新潮文庫から出ている『ブロードウェイの天使』は、デイモン・ラニアンの短篇小説集である。
翻訳は加島祥造。
今回は、巻末の訳者による解説を参考にしながら、この短篇集について紹介したい。
デイモン・ラニアンのプロフィール
デイモン・ラニアンは、20世紀前半のアメリカで活躍した小説家である。
僕がこの小説家を知ったきっかけは、庄野潤三の『エイヴォン記』という長篇随筆の中でだった。
庄野さんの個人的な読書体験を軸とする、この連載随筆の第一回目に取り上げられていたのが、デイモン・ラニアンの「ブッチの子守唄」という短篇小説だった。
随筆の中で、庄野さんはラニアンの文庫本を購入しているが、その文庫本こそが、今、僕が紹介しようとしている新潮文庫『ブロードウェイの天使』である。
ラニアンの祖先は、アメリカ独立の頃にフランスから移住してきた人たちで、農業などに従事していたが、祖父の代になって町の新聞を印刷する仕事にも関わるようになった。
ラニアンの父は十三歳の時から新聞社で働き始め、カンサス州マンハッタンにある地方新聞の記者として過ごす中、1880年、長男ラニアンが生まれた。
そして、このラニアンも、祖父や父と同じようにジャーナリズムの道を歩き、新聞記者としての力を認められたラニアンは、1911年、ニューヨーク・アメリカン紙に呼ばれてスポーツ担当の記者として活躍することとなる。
ラニアンの父は亡くなる直前に「おまえの祖父がカンサス州のマンハッタンで始めたことを、おまえはニューヨークのマンハッタンで成し遂げた。長い道だったな」という言葉を遺したという。
しかし、浪費癖があって経済的には不自由だったラニアンは、1929年、盲腸にかかったものの手術する費用を用意することができなかった。
そこで彼はひとつの短篇小説を書いて、その作品を「サタディ・イヴニング・ポスト」誌に千ドルで売った。
編集長からは「こういう作品ならいつでも買う」と好評を博し、ラニアンは、その後も短篇小説をポスト誌に発表し続け、ジャーナリスト作家としての地位を確立した。
デイモン・ラニアンの作品
ラニアンは、1931年に『野郎どもと女たち』、1934年に『特製盛り合せ弁当』、1935年に『故郷からの送金』などといった作品集を出版しているが、今回ご紹介している新潮文庫版『ブロードウェイの天使たち』は、こうしたラニアンの短篇集から訳者が抽出した精選短篇集である。
刊行は1984年8月で、庄野潤三『エイヴォン記』の連載が始まる4年前のことだった。
デイモン・ラニアンの作品の特徴は、ニューヨークのブロードウェイ界隈で暮らす人々の生き様を題材にしているということである。
ニューヨークという大都会の庶民たちを物語った作家としてO・ヘンリーが有名だが、O・ヘンリーよりも25年後に登場したデイモン・ラニアンは、O・ヘンリーよりも徹底する形で、ニューヨークの中のブロードウェイ界隈という地域にこだわり続けて小説を書いた。
ラニアンが書いた、いわゆる「ブロードウェイもの」の作品は、生涯で70篇ほどになるという。
彼はニューヨークのブロードウェイだけを描いた。それもタイムズ・スクエアからコロンバス・サークルまでの、あの劇場街とその裏側の界隈だけだ。それは銀座八丁にあたる程度の区域でしかない。このニューヨークの繁華な区画は表通りが華やかな電光に飾られるだけ、かえってその裏側の通りは暗いといえる。
ラニアンは、この裏側の住民を描いた。いつも虚しい成功か大穴か奇跡かウマイ商売を夢みる庶民を、あらゆるタイプの悪党を、描いた。しかも彼はこの裏町人生から、数しれぬコメディと人情をとりだし、それにすばらしい表現を与えた。(加島祥造『ブロードウェイの天使』新潮文庫解説)
ラニアンの作品は、『野郎どもと女たち』というタイトルで、1950年、ブロードウェイで初演されている。
この作品は映画化もされて、日本では1956年に上映された。
また、日本では『ポケット一杯の幸福』のタイトルで1962年に上映された映画も、ラニアンの「マダム・ラ・ギンプ」を原作としたものである。
この作品は、1933年にも映画化されていて、アカデミー賞を受賞する名作となったが、1934年に日本で上映されたときの邦題は『一日だけの淑女』だった。
『ブロードウェイの天使』は、1934年、1949年、1979年の3回にわたって映画化されている。
新潮文庫『ブロードウェイの天使』を読んで
最後に、本短編集の収録作品をご紹介しておこう。
『ブロードウェイの天使』収録作品
・紳士のみなさん、陛下に乾杯
・プリンセス・オハラ
・片目のジャニー
・レモン・ドロップ・キッド
・ブロードウェイの出来事
・マダム・ラ・ギンプ
・リリアン
・ミス・サラ・ブラウンのロマンス
・血圧
・ブロードウェイの天使
・世界一のお尋ね者
・ブッチの子守唄
本書に収められている作品は、いずれも一人称形式で書かれている。
物語の語り手は、ブロードウェイの裏町で暮らすギャングの一人だが、物語の主役は彼ではない。
物語の主人公は、この語り手の視点によって語られるところの、ブロードウェイで破天荒に生きているギャングの仲間たちだ。
彼らに比べると、物語の語り手は、いかにも小心者で、事なかれ主義のチンピラに過ぎないが、なぜか、彼はいつでも大物ギャングたちとの騒動に巻き込まれてしまう。
できれば関わり合いになりたくないと思っているのに、正面から誘いを断ることもできない彼は、適度な距離を保ちながら、大物ギャングたちのご機嫌を損ねないように気を付けている。
デイモン・ラニアンの作品の愉快なところは、そんな背景事情から始まっている。
それぞれの短篇小説は独立したストーリーだが、同じ名前のギャングたちが、複数の作品に顔を見せているので、あるいは、シリーズ化された作品群だったのかもしれない。
それぞれのギャングに個性的なキャラクターがあり、いずれも悪事に手を染めながらも人間らしい優しさを失っていないという共通点がある。
悪人のくせに妙に正義感が強くて、いざとなるとおかしな団結力を見せる。
残酷なギャングたちが、人情味あふれるドラマを演じることの意外性とおかしさ。
そう考えると、ブロードウェイの裏町で生きるギャングたちの温かな暮らしぶりを描いた物語が、この短篇集と言うことができるかもしれない。
傑作集だけあって期待外れの作品はない。
どれもみな高いレベルの作品ばかりだが、あえてひとつを選ぶとすると、書名(タイトル)にもなっている「ブロードウェイの天使」だろう。
置き去りにされた女の子を、独り身のギャングが育てる羽目になってしまう物語だが、女の子と一緒に暮らすうちに、ギャングの暮らしぶりはすっかりと変わってしまう。
最後には、予想もしない結末が待っているのだが、およそ短篇小説とは思われない壮大なストーリーで、読む者の心を打つ名作だと思う。
片目を怪我した黒い子猫と一緒に暮らす「片目のジャニー」もいい。
「ブロードウェイの天使」と同じように、これも悲しい結末になってしまうのだが、ギャングと言うよりも、一人の男の優しさといったものが、予想外の展開をもって描かれている。
一体、本書に収録された作品は、いずれも「あっと驚く結末」の仕掛けが凝らされていて、デイモン・ラニアンは、ストーリーテラーとしての実力を持った作家だったと思われる。
もうひとつ、彼の小説は、小心者のチンピラが騒動に巻き込まれていく構成になっているものが多いが、物語の語り手が、ニューヨークで生きる人々を生き生きと描いているという点では、ピート・ハミルやボブ・グリーンといったコラムニストたちのコラム作品と通じる部分があるような印象を受けた。
これは、デイモン・ラニアンが新聞記者だったことを考えると、ある意味で当たり前のことなのかもしれない。
作者のデイモン・ラニアンは、空想のチンピラを物語の語り手として据えながら、ジャーナリストの視点を生かして、ブロードウェイを舞台とする人間ドラマを紹介してみせたのだ。
庄野さんの『エイヴォン記』に紹介されている「ブッチの子守唄」は、『エイヴォン記』で読んでいたときに想像したのとは異なる展開が待っている。
良い意味で最後に裏切られるのが、デイモン・ラニアンの短篇小説なのだろう。
王様を暗殺しに出かけていって、予想外の展開に巻き込まれてしまう「紳士のみなさん、陛下に乾杯」、いつでもレモン・ドロップを齧っているところから墓穴を掘ってしまう「レモン・ドロップ・キッド」。
どの作品の登場人物も、一癖も二癖もあるわりに、優しくて気のいい連中ばかり。
久しぶりに楽しい気持ちで小説を読んだような気がする。
機会があれば、デイモン・ラニアンの、その他の作品も読んでみたいと思う。
書名:ブロードウェイの天使
著者:デイモン・ラニアン
訳者:加島祥造
発行:1984/8/25
出版社:新潮文庫