齋藤孝『太宰を読んだ人が迷い込む場所』読了。
本作『太宰を読んだ人が迷い込む場所』は、2020年(令和2年)3月にPHP新書から刊行された文芸ガイドである。
この年、著者は60歳だった。
「生きづらさ」は生きていることの証明
太宰治ほど「生き方」で語られる作家は珍しい。
作家なんて遺された作品だけで語られるのが普通だが、太宰の場合、生き方と作品が同じ次元で語られる場合が多い。
なぜなら「太宰の場合は作品と人生が連動しているところが多い」からだ。
そのため、本書では「太宰の人生のアウトラインを把握」するため、「太宰治人生すごろく」が掲載されている。
まるで「小説の主人公」のように生きた作家(太宰治)の生き方は、確かに魅力的かもしれない。
しかし、現代まで太宰治が読み続けられている理由は、やはり、太宰治という作家が残した作品にある。
太宰は、自分の生きづらさを描き続けた小説家である。
死のうと思っていた。(太宰治「葉」)
最初の作品集『晩年』の冒頭に収録された「葉」から、太宰は「死」を語っている。
生きるか、死ぬか。
その逡巡の中で太宰治は生き続けた。
私は、生きなければならぬと思った。(太宰治「東京八景」)
人生に正解はないから、太宰治は迷い続ける。
生きるべきか、死ぬべきか。
その迷いを小説にした作家が、太宰治だったと言っていい。
死のうと思いました。死ぬのが本当だと思いました。(太宰治「トカトントン」)
ギリギリの中で書かれた小説だから、太宰の作品にはリアリティがある。
太宰治という作家の魅力は、作品が持つ瑞々しさ(生々しさ)である。
自分の中の「ギリギリ」を、太宰治は分かりやすい言葉で伝えることに成功した。
銀座裏のバアの女が、私を好いた。好かれる時期が、誰にだって一度ある。不潔な時期だ。私は、この女を誘って一緒に鎌倉の海へ入った。(太宰治「東京八景」)
とにかく、太宰治は文章がうまい。
短い言葉で、人の心をさっと虜にしてしまう。
現代風に言えば、太宰治は「つかみ」を知っている作家だった。
どうせ、ここまで書いたのだ。全部を、書いて置きたい。きょう迄の生活の全部を、ぶちまけてみたい。あれも、これも。(太宰治「東京八景」)
本書は、ちくま文庫『太宰治全集(全十巻)』を読破した著者が、太宰治の全作品の中から名文を選び出し、簡単な解説を添えた太宰治ガイドブックである。
太宰治の印象的な文章がたくさん収録されているので、この本一冊を読むだけで、太宰治という作家の雰囲気をつかむことができる。
覚えて置くがよい。おまえは、もう青春を失ったのだ。(太宰治「東京八景」)
太宰治は、自分の中の「膿(うみ)」を絞り出すように、文章を書き続けた。
苦悩が苦悩を呼ぶように、太宰治は悩み続けている。
作品を発表するという事は、恥を掻く事であります。神に告白する事であります。そうして、もっと重大なことは、その告白に依って神からゆるされるのでは無くて、神の罰を受ける事であります。自分には、いつも作品だけが問題です。(太宰治「風の便り」)
だから、太宰治の小説には、常に「自分の生きづらさ」が描かれている。
そして、太宰治の生きづらさは、「時代の生きづらさ」ではなく、「彼自身の生きづらさ」だった。
──(生れて、すみません)(太宰治「二十世紀旗手」)
多くの読者が「太宰治の生きづらさ」に共感した。
自分の中に巣くう「生きづらさ」を書くことによって、太宰治はベストセラー作家となった。
太宰治は、なぜ、人気作家であり続けるのか?
太宰治の生きづらさは「我々の生きづらさ」でもあったからだ。
著者は、太宰治人気の秘密を「代弁者」という言葉で説明している。
太宰は、馬鹿なことを含めて、常に死と隣り合わせのギリギリのところを生きて、そこで掴んだものを、作品として見せてくれる。(略)言ってみれば太宰には、「人生の実験者」のようなところがあるのだ。しかも太宰の行状は、読者にとっては「避けて通りたい難所」でありながら、「その気持ち、わかる」と思わせるものがある。多くの読者が太宰を「自分の代弁者」のように感じるのだ。(齋藤孝「太宰を読んだ人が迷い込む場所」)
自分の中の生きづらさを書いてくれる作家、それが太宰治である。
多くの日本人の中に潜む「生きづらさ」を、太宰治は描き続けた。
私は格別うれしくもなく、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と言いました。(太宰治「ヴィヨンの妻」)
そして、太宰治の生きづらさは、現代を生きる我々の生きづらさでもある。
生きづらい時代であればあるほど、太宰の小説は共感を呼んでいく。
それは、混沌とした時代に受け容れられる村上春樹の小説と、どこか共通する部分があるかもしれない。
おそらく、太宰治の小説が忘れられてしまうことはないだろう。
なぜなら、我々は、いつの時代も「生きづらさ」を抱えて生きていかなければならない生き物であるからだ。
「生きづらさ」は生きていることの証明でもある。
そんなパラドックスを物語に描いたのが、太宰治という作家だった。
自己否定の裏側にある文学への自信
『人間失格』や『斜陽』『走れメロス』などの人気作で有名な太宰治だが、遺された作品数は多い(なにしろ、ちくま文庫『太宰治全集』は全10巻ある)。
あまり知られていない作品も、本書では紹介されている。
そんなに「傑作」が書きたいのかね。傑作を書いて、ちょっと聖人づらをしたいのだろう。馬鹿野郎。(太宰治「風の便り」)
『風の便り』は、私小説作家と、その師匠格の作家との間で交わされた往復書簡のスタイルを取っている(つまり、太宰治と井伏鱒二か)。
怒って下さい。けれども絶交しないで下さい。(太宰治「風の便り」)
「弱い男」を書いたら、太宰治は本当に最高の作家である。
このあたり、好き嫌いが分かれるところかもしれない(尾崎豊の音楽みたいに)。
私は今だってなかなかの馬鹿ですが、そのころは馬鹿より悪い。妖怪でした。(太宰治「風の便り」)
太宰治は、なぜ、ここまで自分を卑下しなければならなかったのだろうか。
徹底的な自己否定の裏側にある文学への自信こそが、太宰治という作家の存在意義だったのではないだろうか。
私は十年も、としをとりました。小説家なんて、つまらない。人の屑だわ。嘘ばっかり書いている。(太宰治「恥」)
太宰治の作品には「小説家」が頻繁に登場する。
尋常ではない「文学」へのこだわりが、太宰治を支えていたのだ。
七年前の天才少女をお見捨てなく、と書きました。私は、いまに気が狂うのかもしれません。(太宰治「千代女」)
(名作)小説を書けない苦しさが「千代女」にはある。
なまじっか天才だったからこそ、太宰治は悩み続けていた。
笠井一さんは、作家である。ひどく貧乏である。このごろ、ずいぶん努力して通俗小説を書いている。けれども、ちっとも、ゆたかにならない。(太宰治「八十八夜」)
太宰治の小説の中の「作家」は、決して幸福ではない。
苦しんでいるからこそ「作家」は小説になったのだ(太宰治にとっては)。
ここに男がいる。生れて、死んだ。一生を、書き損じの原稿を破ることに使った。(太宰治「葉」)
ちょっと思いついたけれど、太宰治の作品を「小説家論」という観点から読んでもおもしろいかもしれない。
小説家とは何か?みたいな視点で、作品を読み解いていくのである。
「自分ひとり作家づらをして生きている事は、悪い事だと思いませんか。作家になりたくっても、がまんして他の仕事に埋れて行く人もあると思いますが」「それは逆だ。他に何をしても駄目だったから、作家になったとも言える」(太宰治「みみずく通信」)
小説家とは何か?ということを考えていく中で、人間とは何か?ということが見えてくるかもしれない。
太宰治の素晴らしさは、短い文章を読んだだけで分かる。
おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。(太宰治「きりぎりす」)
太宰治の名言は、二つの短い文章の組み合わせから構成されていることが多い。
「名言グッズ」を作るとしたら、太宰治は素材に困らない作家なのだ。
ゲエテにだって誓って言える。僕は、どんなにでも巧く書けます。(太宰治「斜陽」)
戦後のベストセラー小説『斜陽』にも、印象的なフレーズは多い(人気あるはずだ)。
本作『太宰を読んだ人が迷い込む場所』の著者は「名言Tシャツ」が好きらしい。
「Tシャツ主義」を掲げる私は、常に「この言葉はTシャツにできるか」を考えている。(略)たとえば「これがいいんだよ、学生さん」(ドストエフスキー『罪と罰』)とか、「金閣寺が現れたのである」(三島由紀夫『金閣寺』)などの文字をプリントしたTシャツをつくったことがある。(齋藤孝「太宰を読んだ人が迷い込む場所」)
太宰治の作品には「名言Tシャツ」になりそうなフレーズが多い。
つまり、太宰は、小説の細部にまで決して手を抜かなかった、ということなのだろう。
むしろ、細部にこそ、太宰治の「小説」に対する怨念が込められているような気がする。
僕には、たぶんに、不幸を愛する傾向があるのだ。きっと、そうだ。(太宰治「正義と微笑」)
太宰治の文章は、あたかも(自分自身への)呪文である。
さらば読者よ。命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。(太宰治「津軽」)
カッコいいかもしれないけれど、太宰の呪文をプリントしたTシャツを着た集団が街を歩いていたら、かなり目立つだろうな。
「太宰治Tシャツ」を着るときは、大学のゼミ室とか、文学フリマの会場とか、場所を選ぶべきかもしれない。
自分だったら、どんな言葉をTシャツにプリントしたいだろうか。
どうせだったら、太宰治らしくない前向きな言葉はどうだろうか。
ああ、日本は、佳い国だ。(太宰治「新郎」)
高市早苗総理大臣の政治パーティーへ着ていってもおかしくない、ニッポン讃歌。
オリンピックとかワールドカップの会場で売ってもいいかもしれない。
この見事さを、日本よ、世界に誇れ!(太宰治「新郎」)
まるで「電通」が作ったかのようなキャッチコピーが、太宰治の小説には溢れている。
これだけの名文・美文を残しながら、ただのコピーライターで終わらなかったのが、太宰治という作家のすごいところだ。
大いなる文学のために、
死んで下さい。
自分も死にます、
この戦争のために。
(太宰治「散華」)
太宰治の文章には「思想」があった。
「名作を書かなければならない」という、作家の使命が。
こういう本を読むと、久し振りに太宰治をちゃんと読みたくなってくる。
太宰治を読むことがミーハーでもなんでもないんだと勇気づけられる。
太宰治は、やはり、日本を代表する文学だった。
書名:太宰を読んだ人が迷い込む場所
著者:齋藤孝
発行:2020/03/26
出版社:PHP新書

