佐藤春夫「田園の憂鬱」読了。
本作「田園の憂鬱」は、1919年(大正8年)3月に新潮社から刊行された長篇小説である。
この年、著者は27歳だった。
なお、本作は、著者の意向によって改作を繰り返しており、最終的な定本の正式タイトルは「改作田園の憂鬱或いは病める薔薇」だった。
都会に疲れた新婚夫婦の「憧れの田舎暮らし」
「田園の憂鬱」というのは、つまり、「田舎暮らしの憂鬱」という意味である。
都会の暮らしに疲れた新婚夫婦が、憧れの田舎暮らしを始める。
田舎の風景は確かに素晴らしかったが、田舎の人々との軋轢は、彼らを消耗させていく。
その上、主人公の<彼>は人並外れて鋭敏な神経の持ち主で、やがて、彼は幻聴や幻覚に悩まされるほどにメンタルを損なってしまう。
この作品のタイトルは「田園の憂鬱或いは病める薔薇」が正解だが、最初発表されたときのタイトルは「病める薔薇(そうび)」だった。
「おお、薔薇、汝病めり!」何本擦っても、何本擦っても。「おお、薔薇、汝病めり!」その声は一体どこから来るのだろう。天啓であろうか。予言であろうか。ともかくも、言葉が彼を追っかける。何処まででも何処まででも……(佐藤春夫「田園の憂鬱」)
イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクが書いた詩のフレーズを繰り返しながら、何の解決もなく、物語は終わる。
「病める薔薇」とは、もちろん彼自身のことだったのだろう。
薔薇は、彼の深くも愛したものの一つであった。そうして時には「自分の花」とまで呼んだ。何故かというに、この花に就ては一つの忘れ難い、慰めに満ちた詩句を、ゲエテが彼に遺して置いてくれたではないか──「薔薇ならば花開かん」と。(佐藤春夫「田園の憂鬱」)
薔薇は、おそらく芸術家の象徴だったのだ。
そして、芸術家を志す彼もまた、一本の薔薇の蕾だった。
だからこそ、彼は、薔薇の花で自分自身を占ってみようと思いついたのである。
田舎で暮らすことは、都会を再認識させること
彼の精神がおかしくなってしまった原因には二つあって、ひとつは、田舎の風景が美しすぎることであり、もうひとつは、田舎の人々の暮らしぶりが、彼ら夫婦の暮らしぶりと、あまりに相容れなかったことである。
女優だった妻は、もともと都会派の人間である。
田舎暮らしに憧れる夫に付いてきたにすぎないが、閑静な田舎へ引っ越せば、夫のDV(家庭内暴力)も、少しは緩くなるだろうと期待していたのかもしれない。
しかし、彼の異常は、そもそも鋭敏すぎる彼自身の感性によるものである。
たとえ生活が都会にあっても田舎にあっても、彼が芸術家として花開くために、その異常は必要なものだったのかもしれない。
ただし、都会を離れてしまったことで、都会に対する憧れが、彼自身の中で大きくなってしまったことは、彼にもかの女にも誤算だった。
遠い東京……近い東京……近い東京……遠い東京……その東京の街街が、アクアライトや、ショウウィンドウや、おいおいとシイズンになってくる劇場の廊下や、楽屋や、それらが眠ろうとしているかの女の目の前をゆっくり通り過ぎた。(佐藤春夫「田園の憂鬱」)
都会を離れて田舎で暮らすことは、東京を再認識させる行為でもある。
全篇に渡って、詩的で美しく描かれる田園風景の中にあって、彼ら夫婦の東京に対する思慕の念は、どんどん強くなっていっているような気がする。
ある意味で、自然の美しさは、彼らの手に負える以上にスケールが大きかったということなのかもしれない。
自分を殺して、必死で田舎の暮らしに溶け込もうとする彼の生活は、まるで禅寺に籠った修行僧のようでもある。
「あなた、三月にお父さんから頂いた三百円はもう十円ぼっちよりなくなったのですよ」彼はそれに答えようともしないで、突然口のなかで呟くようにひとりごとを言った。「おれには天分もなければ、もう何の自信もない……」(佐藤春夫「田園の憂鬱」)
本作『田園の憂鬱』は、芸術家を志す若者の精神的な行き詰まりを描いた物語である。
夢に向かってあがいている若者の苦悩と焦燥。
青春は、いつの時代でも、辛く苦しいものだったのだ。
書名:田園の憂鬱
著者:佐藤春夫
発行:2019/12/15
出版社:新潮文庫