スルメイカ(真いか)は、函館の夏の風物詩だ。
「函館の朝は、いか刺しから始まる」とまで言われた時代。
そんな食文化も、今や昔のものとなりつつあるのかもしれない。
朝いかの行商といか刺しの朝食
『クウネル』39号(2009年9月号)でも、函館のいか刺しが紹介されている(「朝ごはんはいかの刺し身。」)。
毎年6月1日に、函館近海の真いか(スルメイカ)漁が解禁される。函館市民にとって、真いかは夏の訪れを告げる風物詩で、初競りの話題が新聞の紙面を飾る。(「クウネル(vol.39)」)
ところが、今年(2025年)は、その初競りが中止になった。
イカが獲れなかったのだ。
1日に解禁された今季の道南スルメイカ漁で、漁獲がなく2日に予定された初競りが中止になり、「初物」を待ち望んでいた市場関係者や飲食店には落胆が広がった。イカがとれずに競りが中止になった事態は過去60年で初めてで、漁業者からは「危機的な状況だ」との声も。(「北海道新聞」2025/06/02)
夏の函館で、イカの獲れない日が来るなんて、誰が予想できただろうか。
2009年(平成21年)の『クウネル vol.39』は、函館市民の「真いか愛」を伝えている。
「オレのいちばん好きなのは、いかの刺し身にとびっこ(飛子、トビウオの卵の塩漬け)」を混ぜて、ごはんにのせて食べるやり方だね。これは、ちょっとクセになるよ」(「クウネル(vol.39)」)
函館のいかは、朝御飯のいかである。
ここ北海道・函館では、いかの刺し身は晩酌の肴ではなく、朝ごはんのおかずなのです。前日の午後に出発した漁船が夜を徹して釣りあげたいかは、生け簀に入れられ早朝の港に水揚げされて、ぴんぴんと活きがいいままに朝の食卓へ。(「クウネル(vol.39)」)
観光客には難しいが、かつて函館市民は、移動販売の朝いかを買って、朝食の食卓に並べたという。
「いがー、いがーいがー」という行商の物売りは、もはや、函館の名物とさえ言われた。
みやま文庫2『北の味覚』(1970)にも「いか(烏賊)」の項目がある。
ともえの港、函館の街はスルメイカのメッカだ。朝もやの立ちこめる露地うらを『イガー、イガー』と威勢のよい声がとおりすぎてゆき、旅へのいざないを深くする。これがないと、函館の一日は始まらぬらしい。(辰木久門「北の味覚」)
かつて、リヤカーの行商だった函館の烏賊売りは、ワゴン車による移動販売へと姿を変えた。
しかし、函館の風物詩として知られるいか売りの行商は、高齢化などで廃れつつある。
「イガー、イガイガ」―。函館市湯浜町の住宅街を「川村鮮魚」(同市銭亀町)の軽トラックが走る。朝に水揚げされた新鮮なスルメイカを早朝の住宅街に届ける函館の名物・イカの移動販売。1990年代までは最大20業者ほどが見られたが「今見かけるのは川村さんだけ」と多くの関係者が口をそろえる。(「北海道新聞」2020/08/25)
朝いかは、函館独特の食文化と言っていい。
「イカの街、函館」には、朝食にイカの刺身を食べる習慣があります。早朝からリヤカーでイカを売歩く「イガー、イガー」という行商の声は、昔から街の名物のひとつ。(ヤマサ醤油「ひしおwebマガジン」)
旅の朝に「いがー、いがー」という移動販売車の放送を聞くだけで、函館という街の旅情を感じることができたものだ。
とにかく真いかの刺し身にとっていちばん大切なのは鮮度を保つこと。だから生きたまま港に運ばれた真いかを新鮮なうちに朝ごはんで食べる幸せは、食べ頃の真いかが群れをなして集まる、函館などの港に暮らす人々だけが味わえるものだ。(「クウネル(vol.39)」)
朝いかの行商も、いか刺しの朝食も、函館という街でしか経験することができない、貴重なローカル文化だったが、そもそも、真いか(スルメイカ)が獲れなければ話にならない。
今シーズンは解禁日の1日に函館漁港などからイカ釣り漁船11隻が出漁したが、漁獲がゼロ、もしくは数匹しかとれず、初水揚げや競りは中止となった。同市場によると、1965年の開設以来、出漁翌日にスルメイカの競りが行われなかったのは初めてだ。(「北海道新聞」2025/06/02)
夏の朝にいか刺しを食べたという函館の食文化は、幻となりつつあるらしい。
函館の人は「いかの切り方」にもこだわる
いか刺しの食べ方にも、それぞれの家庭によって流儀が違う。
『クウネル vol.39』では、家庭によって異なるいか刺しの食べ方にも注目している。
「うちの実家じゃ、たっぷりの大根おろしにいか刺しを混ぜて、生姜醤油かけて、しらすおろしみたいな感じで食べてるね」(「クウネル」vol.39)
こうした多様性こそ、食文化と呼ぶべき郷土の遺産だったのかもしれない。
わずか16年前の『クウネル』の記事は既に、ひとつの食文化の貴重な記録として読むことができる。
「私は、身よりも耳が好きだね」入船漁港の集会場で、いかのさばき方を披露してくれた鈴木真理子さんも、耳のファンだった。函館の人はみんな耳が好きなんですねと言うと、真理子さんは三角形の耳をまな板にのせた。(「クウネル」vol.39)
いかの耳は、こりこりとした食感に人気があって、家族の間でも取り合いになるほど。
ただし、走りの(季節のはじめの)いかは、まだ小さいので、いか刺しにするほどの耳はない。
夏が深まるほどに、大きくなっていくところにも、いかの季節感を感じることができる。
そして、夏とともに、小樽、留萌、稚内へと、いかは北上し、やがて、知床半島にまで至る。
夏の終わりのいかは、走りの頃に比べて、かなり大きくなっていて、いか刺しにすると、身も厚い。
いかの旬は、やはり、漁が始まる6月から8月までの夏だ。
「いかの切り方」にも、函館の人たちはこだわりを見せた。
「こうやって包丁を手前に引いて切ると、きれいにそろうから、若い人はこの切り方が好きみたいですね。でも私らは、包丁を押すように切るほうが普通。おばあちゃんから習ったやり方です」(「クウネル」vol.39)
包丁を手前から向こう側に押し出すように切ると、いかの刺し身は乱れるし、色も白っぽくなる。
「乱切り」とか「ギザギザ切り」と呼ばれる切り方だ。
引き切りに比べて、押し切りでつくったいか刺しは甘味が増すという。
「オレは、押し切りのほうが絶対に甘いと思う」と康行さんが言う。(「クウネル」vol.39)
毎日のように食べるものだからこそ、彼らは、いかの切り方にさえこだわったのだ。
大皿に盛られたいか30パイ分のいか刺しの写真が、『クウネル vol.39』に掲載されている。
函館のいか刺しは、個人盛りではなく、家族全員の分を大皿に盛って出すことが多いらしい。
大皿に豪快に盛られたいかの刺し身。勧められるままに、新鮮なゴロを醤油に溶いたものをつけて食べてみる。次はおろし生姜のかわりに細かく刻んだ長葱を入れたものを試す。「このくらいだったら、函館の人なら一人で半分くらい食べるね」と真理子さんが笑う。(「クウネル」vol.39)
郷土性に取材した記事を読むことも、『クウネル』を購読する楽しみのひとつだった。
「ストーリーのあるモノとくらし」が、そこにはある。
早朝にいかを売り歩く行商の人たちが歳をとって引退し、家庭でいかをさばけない人も増え、こりこりの刺し身が朝の食卓にのぼることは、いまでは少なくなったらしい。「でも少し時間が経ったいかは、こりこりじゃなくなるけど、逆にうま味が出てくるんだよ」と真理子さんが言う。(「クウネル」vol.39)
食文化の変化という背景も、少しは影響していたのだろうか。
今や、函館の朝いかは、昔話へと変わりつつある。
変化していくということも、また、文化というものの、ひとつの宿命なのかもしれない。