芥川龍之介『鼻』のあらすじ・主題考察|なぜ鼻が戻って安心したのか
芥川龍之介『鼻』は、周囲の視線にあたふたする人間の弱さを描いた短編小説である。
同時に、この物語では、他者と比較することで優越感に浸りたいという、人間の浅はかな一面も描かれている。
この記事では、本作『鼻』のあらすじを整理しながら、物語の主題について考察していきたい。
3行でわかる『鼻』(芥川龍之介)
日常(コンプレックス)
あごの下まで垂れ下がる巨大な鼻を持つ高僧・禅智内供(ぜんちないぐ)は、尊厳を保ちたい一心で人目を気にし、鼻を短くする方法を密かに探し続ける。
事件(念願の短縮と冷笑)
弟子の助けで熱湯と踏みつけの荒治療を行い、念願叶って鼻が人並みの短さになるが、周囲の人間はかえって彼を露骨にあざ笑うようになる。
結末(傍観者の利害と解放)
他人の不幸を求め、幸福を嫉妬する人間の身勝手な心理(傍観者の利害)に苦悩するなか、ある朝鼻が元の長さに戻り、内供は晴れやかな安堵を取り戻す。
『鼻』主な登場人物
禅智内供(ぜんちないぐ)
五十歳を超えた僧侶。長さ五、六寸(約15~18cm)の巨大な鼻に、激しいコンブレックスを抱いている。
弟子法師
禅智内供の弟子。都の医者から、内供の鼻を短くするための民間療法を仕入れてくる。
中童子(ちゅうどうじ)
お寺で働く少年。内供の鼻が短くなったときに笑った。
『鼻』簡単なあらすじ(ネタバレ要約)
池の尾の僧侶・禅智内供は、生まれながらの大きな身に、激しいコンプレックスを抱いているが、僧侶の立場として、容貌で悩んでいることなど、他人に知られるわけにはいかない。
人知れず、鼻を小さくするための努力を続けるが、一向に効き目がなかった。
ある日、都から帰った弟子法師が、鼻を短くするための民間療法を、都の医者から教わってきたという。
食事のときにも、弟子に持たせた板で鼻を支えてもらっている内供は「弟子が気の毒だから」という理由をつけて、弟子法師が持ち帰った民間療法を試してみたところ、巨大な鼻はたちまち小さくなってしまった。
長年のコンプレックスから解放された内供だったが、周りの人々は、短くなった内供の鼻を見て笑っている。
ことに、少年の中童子は、痩せた犬を追い回しながら、鼻を馬鹿にする始末だった。
元の鼻が懐かしくなった頃、内供の鼻は一晩で元へと戻り、内供は安心した気持ちになっている。
【考察1】なぜ禅智内供は鼻が元に戻って安心したのか?
本作『鼻』に描かれているのは、外見にとらわれて右往左往する人間の愚かしさである。
巨大な鼻にコンプレックスを抱いていた内供は、弟子法師の民間療法により鼻が小さくなったことで、一度は歓喜するが、周囲の嘲笑に耐えることができず、元の鼻を懐かしく思う。
問題の本質は「鼻が大きいこと」ではなく、他者からどのように思われるかを気にする「内供の内面」にあったのだ。
内供にとって大切なことは、周囲から笑われないことである。
鼻が巨大であっても、周囲の嘲笑を受けないのであれば、内供にとってはそれがベターである。
だからこそ、内供は鼻が元に戻ったことで安心したのである。
【考察2】傍観者の利己主義とは何か?
一方で、内供の鼻を嘲笑する周囲の人々も、この物語では主人公である。
大きすぎる内供の鼻に、内面同情していた人々は、内供の鼻が短くなったのを見て、むしろ嘲笑するようになる。
彼らは、内供の巨大な鼻を見ることで、自分たちの平凡な鼻を喜ぶ人たちである。
内供の鼻が普通の鼻になってしまっては、もはや自分たちの鼻を喜ぶわけにはいかない。
彼らは、内供の鼻が短くなったことを笑うことで、自分たちの優位性を保とうとした。
これが「傍観者の利己主義」と呼ばれるものである。
芥川龍之介は、禅智内供という主人公で人間の浅ましさを描くとともに、内供の鼻を笑う人々を描くことで、人間のエゴイズムを批判してみせたのだ。
『今昔物語集』原作との違い
本作『鼻』は、『今昔物語集』に収録された「池尾禅珍内供鼻語」という物語を下敷きとした創作小説である。
原作で、主人公の内供は短くなった鼻を見て喜ぶが、芥川は原作にはなかった内供のコンプレックスを鮮明に描きだすとともに、周囲の人々が持つ利己的な感情までも、物語の中で浮き彫りにしてみせた。
単なる滑稽譚だった原作を、近代社会を生きる人々の内面の物語にまで昇華させたことで、芥川龍之介は高く評価されることとなった。
芥川龍之介は歴史を描いているのではなく、歴史を題材として近代社会(当時の現代社会)を描こうとしていたのである。
ゴーゴリ『鼻』の影響
芥川龍之介の『鼻』は、ロシアの作家ゴーゴリの短編『鼻』に影響されて生まれたものだと言われている。
ゴーゴリの『鼻』は、ある日突然に消えたコワーリョーフの鼻が元へ戻ってくるという話だが、失われた鼻が元へ戻ることで安堵する主人公像は、どちらの『鼻』にも共通していた。
いわば『鼻』は喪失と再生の物語であって、失われることによって再確認されるアイデンティティが、「鼻」という象徴によって可視化されていると言っていい。
夏目漱石が絶賛した『鼻』
本作『鼻』は、文豪・芥川龍之介の出世作として知られている。
前作『羅生門』により「芥川龍之介」としてデビューした芥川は、1916年(大正5年)、本作『鼻』を『新思潮』に発表して、世の中から注目を集めた。
とりわけ、夏目漱石から絶賛されたことは有名な話で、このとき、芥川は、東京帝国大学文科大学英文学科在籍中の学生だった。
まとめ│『鼻』が伝えている主題(テーマ)を読み解く
本作『鼻』は、「人間という小さな存在」について書かれた物語である。
容貌に悩む愚かな僧侶や、他者と比較することで自己の優位性を保とうとする人々は、まさに「ちっぽけな人々」でしかない。
作者・芥川龍之介は、本作『鼻』を書くことにより、そんな「人間という小さな存在」を笑い飛ばそうとしたのだろう。
そのため、『鼻』は一般的に「救いのない小説」だと言われる。
しかし、コンプレックスを乗り越えたところにある悟りを、この小説は教えてくれているのではないだろうか。
コンプレックスは、常に他者との比較の中から生じる。
自分が自分らしく生きることができれば、我々はもっと強くなることができるのかもしれない。
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