村上春樹が見た80年代日本の狂気|『DAYS JAPAN』インタビュー
村上春樹は日本を離れた作家である。
『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』が、移住先のヨーロッパで執筆されたことは、紀行『遠い太鼓』にも書かれているとおりだ。
だから『ノルウェイの森』でブレイクしたとき、村上春樹は既に日本を離れた作家だった。
久しぶりに帰国した日本で、村上春樹は「狂気のニッポン」を感じている。
この記事では、『DAYS JAPAN』1989年3月号に掲載された「DAYS ロングインタビュー 村上春樹」を参考に、村上春樹の見た「狂気のニッポン」について考察していきたい。
村上春樹が見たニッポン
その頃、村上春樹はイタリアで暮らしていた。
①昭和天皇の崩御
村上春樹の「日本」は、イタリアから見た「ニッポン」である。
天皇が死んだとき、イタリアのテレビのニュースで見たんだけど、これはおかしかったね。(略)”奇妙だった”ということです。(『DAYS JAPAN』1989年3月号)
昭和天皇の崩御は、1989年(昭和64年)1月7日で、本誌のインタビューは、その直後に収録されたということになる。
「日本に帰ってくると、天皇問題というのはあまりにも建前すぎて、いささかうっとうしいですね」と、村上春樹は語っている。
②バブル景気の異常性
当時、日本は地価高騰に沸くバブル絶頂期だった。
こういう社会は正気じゃないと思う。狂気とは言わないけど、少なくとも正気じゃない。とくに地価高騰以来正気じゃない人が増えたね。不気味だと思うね。(『DAYS JAPAN』1989年3月号)
村上春樹が日本を離れて三年。
久しぶりに帰ってきた日本で、村上春樹は「土地のあのグロテスクな高騰がそれに決定的に火をつけたみたいですね」「みんな目が血走っていた」と感じていた。
「村上春樹現象」という狂気
『ノルウェイの森』の大ヒットにより、日本では「村上春樹現象」が巻き起こっていた。
①「現代の夏目漱石」
「村上春樹は『’80年代の夏目漱石』だ」と報じたのは、『週刊文春』1988年(昭和63年)9月8日号である。
でも僕の何処が漱石に似てるんだろうね。見当もつかないですね。(『DAYS JAPAN』1989年3月号)
もちろん、日本のマスコミが、夏目漱石と村上春樹とを文学的に比較していたわけではないだろう。
すべての日本国民が知っている小説家の名前として、彼らは文豪「夏目漱石」を採りあげただけなのだ。
②プライベート写真の流出
写真週刊誌『Touch(タッチ)』1988年(昭和63年)11月8日号に掲載された「『ノルウェイの森』を生んだ作家の知られざる素顔 村上春樹の初公開アルバム「青春グラフティ」」は、当の村上春樹を強く刺激したらしい。
僕の子供時代の写真なんかも週刊誌は出さないでほしいですね。ああいうの本当に吐き気がするね。どうしようもなく吐き気がする。(『DAYS JAPAN』1989年3月号)
この記事では、村上春樹の両親や小学校の担任などが取材に応じている。
本当にうんざりするね。放っておいてくれと言っても放っておいてはくれないんだろうけれど、でも情けないですね。正気じゃないよ。(『DAYS JAPAN』1989年3月号)
「僕の友人だと自称する人」が雑誌の中で、村上春樹について語っていることに対する抵抗感は強かった。
本当に下らないよ。絶対に正気じゃない。出る方も出る方だし、出す方も出す方だ。(『DAYS JAPAN』1989年3月号)
『ノルウェイの森』の大ヒットは、村上春樹をますます日本から遠ざける要因となったのかもしれない。
③有名人になるということ
『ノルウェイの森』が与えた影響は、予想をはるかに上回るものだった。
有名になったメリットなんて僕には何もないですね。ただ面倒が増えただけです。入れ墨みたいなもんですね、あれは。落とそうと思っても落ちない。(『DAYS JAPAN』1989年3月号)
もちろん、この後、村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』によって、国際的な作家へとステップアップしていくことになる。
あるいは、それはまだ「序章」にすぎなかったのかもしれない。
村上春樹による「自作解説」
当時の最新作は『ダンス・ダンス・ダンス』だった。
『ダンス・ダンス・ダンス』
『ダンス・ダンス・ダンス』は、『羊をめぐる冒険』の続編的長編である。
『ダンス・ダンス・ダンス』という小説は完全なハッピーエンドですね。僕の小説にしては珍しいハッピーエンドです。(『DAYS JAPAN』1989年3月号)
『羊をめぐる冒険』の主人公「僕」の80年代を描くために、『ダンス・ダンス・ダンス』は必要な作品だったという。
彼が80年代をどう生きていったかということを僕自身知りたかった。(略)大雑把に言えば80年代の検証ということになるかな。(『DAYS JAPAN』1989年3月号)
当時、「五反田君」は三浦和義みたいだとか、「ユキ」は後藤久美子みたいだとか、作中の登場人物に関するモデル論が話題となった。
「僕は三浦和義のことなんて考えたこともなかった」「僕はこの小説を書き終えるまで、その後藤久美子って人のこと知らなかったんです」と、村上春樹は述べている。
『ノルウェイの森』
村上春樹の作品としては珍しく、『ノルウェイの森』はリアリズムによる文体で書かれた小説だった。
でもね、あの本はたしかに文章のスタイルとしてはリアリズムだけれど、「僕」が直子の入った病院に行くところなんかは、これはもう僕はまったくの非現実の世界だと思う。あれは完全に神話的世界ですね。(『DAYS JAPAN』1989年3月号)
リアリズム小説の中でさえ、村上春樹の小説は「こちら側の世界」と「あちら側の世界」によって構成されている。
すべてが幻想的であるが故にリアルだった『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』とは、まったく対照的な作品だったと言っていい。
だから『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ノルウェイの森』というふたつの小説は裏と表なんです。(『DAYS JAPAN』1989年3月号)
リアルなことが同時に非リアルであり、非リアルなことが同時にリアルであるという世界。
その世界を描いた作品が、心霊少女ユキの登場する『ダンス・ダンス・ダンス』だった。
『ダンス・ダンス・ダンス』を書き上げたことによって、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』と続いてきた「僕」の物語は完結する。
まとめ│描かれなかった「狂気のニッポン」
どうやら、村上春樹にとって、久しぶりの日本は「狂気のニッポン」だったらしい。
土地成金が闊歩する経済大国ニッポンの高度情報化社会。
しかし、その「狂気」が描かれることはなかった。
村上春樹の中の80年代は『ダンス・ダンス・ダンス』で終わっていたし、なにより、村上春樹は「日本を離れた作家」だったからだ。
日本社会の狂気を描く必要性など、村上春樹にはなかったのだろう。
村上春樹の小説は、ひたすらに個人の内面へと向かっていった。
あるいは、村上春樹は、「個人の闇」を描くことで、日本社会という「狂気の闇」を描こうとしていたのかもしれない。
***
文学ブログ『時空標本』では、村上春樹の紹介に力を入れています。
▶【2026最新】村上春樹のおすすめ代表作35選!初心者向けの読む順番・有名作品も解説


