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『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』少女小説家と闘ったコバルト作家の生涯

『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』少女小説家と闘ったコバルト作家の生涯

北海道立文学館にて、特別展『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』が開催されている。

氷室冴子は、2008年(平成20年)に51歳で他界しているから、今年で没後16年ということになる。

存命であれば67歳。

現在まで続く人気を示すように、会場には多くの女性観覧者が訪れていた。

作品の舞台を地図上で再現する

『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』パンフレット 『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』パンフレット

氷室冴子(本名:碓井小恵子)は、北海道岩見沢市出身の女性作家である。

1957年(昭和32年)1月生まれで、田中康夫や柴門ふみ、長渕剛などと同学年ということになる。

存命であれば、まだまだ現役で活躍できる世代だったが、2008年(平成20年)6月6日、肺がんのために他界。

NHK札幌放送局によって制作された『没後15年 氷室冴子をリレーする』では、余命を知っていた氷室冴子が淡々と終活を進めていたことを、当時の友人たちの証言によって伝えている(遺影用の写真を撮るほか、ファンのために早稲田の墓地を用意するなど)。

NHK札幌放送局『没後15年 氷室冴子をリレーする』アンコール放送の案内 NHK札幌放送局『没後15年 氷室冴子をリレーする』アンコール放送の案内

特別展『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』では、氷室文学の象徴とも言える「ヒロイン」を中心として、その作品世界を読み解いている。

例えば、実質的なプロ・デビュー作と作者も考えていた『クララ白書』では、主人公(桂木しのぶ)に焦点を当てる。

桂木しのぶ
札幌にある徳心学園の寄宿舎生。あだなは「しーの」。ともに中等科寄宿舎「クララ舎」に三年次から途中入舎した、佐倉菊花、紺野蒔子とは親友。おしゃべりで落ち着きがなく、すぐに感情的になるが、友達思いで素朴な愛嬌をもつ。上級生、下級生にもファンが多い学園の人気者。吉屋信子の少女小説を愛読する。

「おしゃべりで落ち着きがなく、すぐに感情的になるが、友達思いで素朴な愛嬌をもつ」というキャラクター設定が、「ふくれっつらのヒロインたち」という本展覧会のキャッチフレーズの背景として読むことができる。

執筆当時、氷室は札幌で友人二人と共同生活を送っており、地下街、三越、旭屋書店、くるみやのシフォンケーキ等々札幌の街並もそのままに描かれる。また。古事記を題材とした「佐保彦の叛乱」が文化祭の劇で演じられるなど、後の「銀の海 金の大地」のモチーフが早くも登場している。(北海道立文学館『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』)

会場では、当時の札幌の街並みを再現したマップが展示されていて、作品理解を深めてくれる。

これは、1966年(昭和41年)頃の北海道を舞台に、幼少期の思い出を描いた『いもうと物語』でも同様で、進学校「岩見沢東高校」や地元で人気の「天狗屋まんじゅう」などが登場する岩見沢マップがいい(作品では「湯沢市」として登場)。

つまり、作品理解という点では、作中に登場する学校やお店などのモデルを把握し、舞台となった街並みを地図上で再現するという試みが、本展示の大きな工夫になっていると言えるだろう(簡単な地図ではあったが、チラシや絵葉書などで配付してほしかった)。

『クララ白書』では、少女隊が主演を務めた映画『クララ白書・少女隊PHOON』(1985)のポスターが展示されるなど、当時の人気ぶりを示している。

2021年に『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞した町田そのこは、母親の影響で氷室冴子の読者となり、特に、学校でいじめられていた時代には『クララ白書』を愛読していたと、テレビ・インタビューで回想している(NHK札幌放送局『没後15年 氷室冴子をリレーする』)。

「少女小説家」との闘い

『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』入場券 『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』入場券

本展覧会では、氷室作品が発表された初出誌が豊富に展示されている。

特に印象に残るのは、氷室文学の主戦場となった『小説ジュニア』『Cobalt(コバルト)』の二誌で、『ざ・ちぇんじ!』『シンデレラ迷宮』『なんて素敵にジャパネスク』などのヒット作を連発して、集英社文庫コバルトシリーズの看板作家としての地位を確立していく過程を、視覚的に理解することができる。

一九八二年には、「小説ジュニア」が廃刊し、「コバルト」が創刊。氷室はコバルト文庫の看板作家として活躍し、『ざ・ちぇんじ!』『シンデレラ迷宮』『少女小説家は死なない!』『なんて素敵にジャパネスク』『蕨ヶ丘物語』『なぎさボーイ』と矢継ぎ早に刊行。氷室の才能は一気に開花し、平安もの、学園もの、ファンタジーなど傾向の異なる魅力あふれる作品を次々と生み出した。これらの作品は中高生たちに大きな共感をもって迎えられ、多くの読者を得た。(北海道立文学館『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』)

当時、氷室冴子は、正本ノン・久美沙織・田中雅美とともに「コバルト四天王」と呼ばれており、『コバルト』誌上における作者の露出ぶりは驚異的ですらある。

氷室文学の象徴である「少女小説家」の由来となった『少女小説家は死なない!』は、1983年(昭和58年)に発表された。

「少女小説家」というキーワードは、少女向け小説界隈における氷室冴子の人気を不動のものとしたが、反面、少女向け小説の作家に対するネガティブな固定観念を定着させたとする見方も強い(「少女小説って処女じゃないと書けないんでしょう」)。

氷室は吉屋信子などの「少女小説」を愛読しており、当時はほとんど死語に近かった「少女小説」という言葉を本作であえて使い、ずれの面白さを狙った。しかしその後、この言葉が一人歩きし、氷室は一九八五年頃からはじまる「少女小説」ブームにまきこまれることになる。(北海道立文学館『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』)

80年代に確立した「少女小説家」という新しいブランドは、同時に、一般の「小説家」というカテゴリーからはみ出した、特別の存在と認識されてしまったのだ(「どうせ少女小説家でしょ」みたいな)。

現在、氷室冴子には、スタジオジブリによってアニメ化された『海がきこえる』などの代表作があるが、氷室文学を語るとき、80年代の少女小説ブームを外すことはできない。

『氷室冴子の世界 ふくれっつらのヒロインたち』写真撮影スポット 『氷室冴子の世界 ふくれっつらのヒロインたち』写真撮影スポット

『コバルト』創刊号には「女流新鋭作家」「コバルトフレッシュ5」として、新井素子・氷室冴子・久美沙織・田中雅美・正本ノンの5人が並んだ写真が掲載されている。

ちなみに、当時の「コバルト文庫」は、「集英社文庫コバルトシリーズ」という名称だった。

ジャパネスク・シリーズの成功により、コバルト文庫は盛り上がり、同じく少女を対象とした「講談社X文庫ディーンズハート」のレーベルも誕生した。大部数を売り上げる「少女小説」に社会の注目が集まり、一九八五年から札幌から拠点を東京に移していた氷室は、その代表作家として扱われ、多くの雑誌や新聞の取材を受けることになった。(北海道立文学館『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』)

ラブコメが台頭した80年代のエンタメ文学を語る上で、「少女小説」は分かりやすい概念で、そのこと自体は決してマイナス面だけを有するものではなかったが、「少女小説家」というレッテルは、その後の作家の活動を宿命的に縛り続けることになる。

「少女小説」は、氷室が自作『少女小説家は死なない!』で、パロディ化して使った呼び名だったが、マスコミに流布すると、「少女の感性で書く一人称のラブコメ」という限定した「少女小説」像が作り上げられ、氷室はその枠内で自らの作品が語られることに不満を覚え、疲弊した。(北海道立文学館『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』)

「少女小説家」として成功した氷室冴子は、以後、「少女小説家」との闘いに身を投じていかざるを得なくなった。

氷室文学の悲劇と魅力は、「少女小説家」をめぐるパラドックスから読み解くことができると言っていい。

『氷室冴子の世界 ふくれっつらのヒロインたち』特別展図録 『氷室冴子の世界 ふくれっつらのヒロインたち』特別展図録

『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』図録では、氷室冴子と関わりの深かった人たちの寄稿文を読むことができる。

わたしはときどき「コバルト出身作家」と呼ばれる。(略)小説ジュニアとコバルト・シリーズには、「主人公はティーンエイジャー」ということ以外には、題材について制約はなかった。片岡義男さんもよく書いていた。なので自分が「コバルト出身」と語られるのはおおむね間違いではないし、氷室さんが活躍していたコバルトを自分も主フィールドにして青春小説を書いていたことを、誇りにも感じている。(佐々木譲「氷室さんの背中を追って」)

「氷室さんが活躍していたコバルトを自分も主フィールドにして青春小説を書いていたことを、誇りにも感じている」という言葉には、雑誌『コバルト』に小説を発表していた作家の複雑な心境が透けて見える。

おそらく、氷室冴子が抱いていた葛藤も、『コバルト』に作品を発表する作家としての誇りと、裏表のものではなかっただろうか。

ひとつの頂点を極めたという意味で氷室文学は、日本の文学史に残らなければならない存在となった。

もとより、文学には貴賤などない。

大切なことは、作品が読み継がれていくかどうかということで、その点、氷室冴子の小説は、未だに新しい読者を獲得していると聞く。

『氷室冴子の世界─ふくれっつらのヒロインたち─』は、そんな氷室文学の「未来の可能性」を感じさせてくれる、内容の濃い展覧会だった。

北海道立文学館 (h-bungaku.or.jp)

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。