村上春樹さんのエッセイが好きです。
小説よりも好きだっていう人、意外と多いそうです。
エッセイというのは、雑誌で読んだ方が楽しい
村上春樹はエッセイがいい。
若い頃から、村上春樹のエッセイが好きだった。
年を取っても、村上さんのエッセイだけは、なんとなく読んでいる。
熱心な読者とまでは言えないにしても。
エッセイというのは、雑誌で読むのがいい。
エッセイ集も悪くないけれど、エッセイというのは、雑誌で読んだ方が楽しい。
いろいろな記事の中に、そっと村上さんのエッセイがある。
おや、今回は、村上さんのエッセイが載っているのか。
思わぬ得をしたような気持ちで、取りとめのないエッセイを読む。
ひとつのエッセイを読み終えたら、ページをめくって次の記事へと進む。
エッセイというのは、そのくらいの気軽さで楽しんだ方がいい。
だからかどうか分からないけれど、我が家には、村上さんのエッセイが掲載された雑誌が、いくつかある。
2003年4月に発行された「Arne(アルネ)No.3」も、そのひとつである。
「アルネ(第3号)」には、村上さんのエッセイ「言いだしかねて」が掲載されているのだ。
村上さんは飛行機に乗ると、いつも『言いだしかねて』という歌を思い出す
村上さんは飛行機に乗ると、いつも反射的に『言いだしかねて』という歌を思い出してしまう。
『言いだしかねて』(I Can’t Get Started)はアメリカの古い歌で、作曲はヴァーノン・デューク、作詞はアイラ・ガーシュイン、1930年代後半に大ヒットした。
なかなかしゃれた歌詞だからと言いながら、村上さんは冒頭の部分を紹介している。
僕は飛行機で世界一周もした。
スペインの革命も調停した。
北極点も踏破した。
でも君相手だと、
なぜかうまく切り出せないんだ。
1930年代後半といえば、日本では昭和10年代前半である。
1937年(昭和12年)に日中戦争が始まっているから、『言いだしかねて』が大ヒットしていた頃、日本は既に戦時中だったということになる。
まして、1939年からは第二次世界大戦が始まっているから、1930年代後半という時代は、決して明るくて楽しい時代というものではなかった。
そう考えたとき、「それでも人々は暗い雲のまわりに明るい縁取りを探し求めていたのだ」「誰だっていつだって、暗い雲のまわりに、ロマンティックな淡い光を求めて生きているものなのだ」と綴っている村上さんの言葉の意味が分かるような気がする。
ビリー・ホリディとカウント・ベイシー楽団
『言いだしかねて』は多くのミュージシャンによって録音されたが、村上さんにとっての『言いだしかねて』は、ビリー・ホリディがカウント・ベイシー楽団とともに吹き込んだ1937年11月3日の演奏である。
当時、レコード会社との契約の関係で、カウント・ベイシーとビリー・ホリディは共演録音をすることができなかった。
LPレコードで発売されているものは正規録音ではなくて、ラジオで中継されたものを、プロデューサーのジョン・ハモンドが私的に録音したものである。
正規録音に比べて音は今ひとつだけれど、村上さんにとっての『言いだしかねて』は、このラジオ中継版のものでなければならないのだ。
村上さんのエッセイには様々なテーマのものがあるけれど、とりわけ、音楽に関するものはいい。
エッセイを読んだ後には、間違いなく、その音楽を聴きたくなるからだ。
考えてみると、僕は村上春樹のエッセイのおかげで、随分とたくさんの音楽の世界を知ることができた。
モダンジャズもクラシック音楽も、僕は村上さんのエッセイを教科書のように使いながら勉強してきたのだ。
まあ、そういう人はきっと多いのかもしれないけれどね。