90年代のアウトドアブームの時代、北海道でいちばん人気があったのが、フォークシンガーのいなむら一志だろう。
なにしろ、いなむらさんは、当時、HTB(北海道テレビ)の人気野外活動番組だった『遊々アウトドア』で、主役を張っていたのだから。
90年代・北海道のアウトドアブーム
『遊々アウトドア』は、毎週土曜日の朝7時30分から8時00分まで放送の30分番組。
アウトドア初心者のいなむらさんが、様々な達人からアウトドア・スキルを学ぶ、というのが、番組コンセプトだった。
もちろん、かわいい局アナがひとり、アシスタントについていて、いなむらさんと一緒にアウトドア・スポーツに挑戦していた。
放送が開始された1994年(平成6年)というのは、とにかく、日本中がアウトドアブームだった時代である。
亜璃西社『北海道キャンプ場ガイド』とRISE『北海道キャンピングガイド』が同時に出版されたのが1992年(平成4年)で、北海道のアウトドアブームは、このあたりから静かに火がつき始めていた。
1993年(平成5年)には、田中律子の著書『キャンプで会いましょう』が出版され、1995年(平成7年)には映画化までされてしまう。
アウトドアライフストア「WILD-1」が、北海道に初出店したのも1995年(平成7年)で、大混雑の開店セールでは、アブ・ガルシアのスピニングリールを、かなり安く買うことができた(現在、店舗は「ハードオフ西宮の沢店」になっている)。
当時は、市内各地に、いろいろなアウトドア・ショップがオープンして、アウトドア好きには、本当に楽しい時代だったように思う。
カー用品の「オートハローズ」まで、「トムソーヤ」とかいうアウトドア・ショップを始めていたし、「石黒ホーマー」でもコールマンを始めとするアウトドア・グッズに力を入れ始めていた(「ホーマック」に名称変更するのは1995年)。
当時のアウトドアブームを支えていたのは、いわゆるニューファミリー層で、小さな子どもを連れて、キャンプ旅行へ出かけるという夏休みのライフスタイルは、この時代に定着したものらしい。
当然、アウトドアライフを楽しむための自動車(RV車)も大人気で、1994年(平成6年)には、都会派のためのオシャレなRV車「RAV4(ラブフォー)」が、トヨタから登場(CMは木村拓哉)。
同じく1994年(平成6年)、三菱自動車からは、軽自動車版のパジェロ「パジェロミニ」が発売されているが、この三菱自動車こそ、『遊々アウトドア』のメインスポンサーで、毎週土曜日の朝7時30分には、必ず、三菱のRV車が颯爽と登場していた。
もっとも、サラリーマンのアウトドア・ライフというのは、大抵の場合、土曜日の早朝から始まるので、キャンプシーズンにリアルタイムで『遊々アウトドア』を観るというのは、なかなか難しかった。
それでも、カヌーイスト・野田知佑さんがゲスト出演して、十勝の歴舟川で川下りをした回などは、忘れずにビデオ録画を予約して、永久保存版にしたくらいだ(VHSビデオだけど)。
あのときは、モンベルの辰野勇社長も友情出演していて、『遊々アウトドア』も立派な番組になったものだと、感激した記憶がある。
そんな時代、『遊々アウトドア』でメインパーソナリティーとして活躍し、主題歌や挿入歌まで歌っていたのが、北海道教育大学出身のフォーク歌手・いなむら一志だった。
『遊々アウトアドア』主題歌の「ゴキゲン曜日はいつも」
『ぼくは空の下 大地の上 君のそば』は、1997年(平成8年)に発売されたフルアルバムで、『遊々アウトアドア』で使われた曲は、ほぼ入っているのではないかと思われる。
特に有名なのは、『遊々アウトアドア』の主題歌だった「ゴキゲン曜日はいつも」だろう。
鳥は歌い 木々はそよぐ
さわやか気分に 誰もが声を交わす
「ごきげんいかが どちらまで?」
ゴキゲン曜日は風まかせ
あなたとならば どこまでも
YOU YOU YOU YOU YOU
どこまでも どこまでも
(いなむら一志「ゴキゲン曜日はいつも」)
「♪YOU YOU YOU YOU YOU~」のリフレインは、もちろん「遊々アウトドア(ゆうゆう・あうとどあ)」を意識したものだろう。
この「ゴキゲン曜日はいつも」は、1995年(平成7年)に発売されたシングル「ぼくの一番君が一番」のカップリングだった。
君が君らしく 君の君らしさ みせてくれるだけで
ぼくもぼくらしく ぼくのぼくらしさ 君にみせるだろう
ぼくのいちばん それは君が 一番好きなもの
(いなむら一志「ぼくの一番君が一番」)
同じく、テレビで人気だった曲に「ハックルベリー気分」がある。
「子供が生れた 俺も親父さ」
久しぶりの やつの手紙
言葉の間に ただよっている
少しだけの淋しさ
感じているのは お前だけじゃない
空の青さに 気づいていても
空の高さを 見上げていても
いつか はばたく夢を忘れている
だから ハックルベリー
きっと ツリーハウスに戻ろうよ
だから ハックルベリー
きっと ツリーハウスに戻ろうよ
(いなむら一志「ハックルベリー気分」)
歌詞カードの写真撮影は、『遊々アウトドア』のスタッフだった、すけのぶ哲規さん(資延哲規)。
『遊々アウトドア』の料理コーナーは、すけのぶさんの時代が、一番おもしろかったなあ。
いなむら一志さんは、2014年、岩見沢市内のスタジオで急死してしまったけれど(64歳だった)、「ゴキゲン曜日はいつも」を聴くと、平成初期の楽しかったアウトドアの時代を思い出す。
不景気の中、急速に冷めていくアウトドアブームと歩調を合わせるように、『遊々アウトドア』も、1998年(平成10年)に番組終了。
平成一桁台というひとつの時代を振り返るとき、いなむら一志さんは、間違いなく、北海道民のスターだった。