庄野潤三「イタリア風」読了。
本作は、庄野夫妻がアメリカのオハイオ州にあるケニオン・カレッジに留学しているときの体験を素材とした短篇小説である。
主人公の「矢口」は、妻の「豊子」と一緒にニューヨークへ出かけ、日本で知り合った「アンジェリーニ氏」の家を訪ねる。
矢口が初めてアンジェリーニ氏と出会ったのは、日本にいたときのことである。
東海道線の下り列車の中、通路を隔てて隣り合わせの席に座っていたことがきっかけだった。
矢口は、冬休みで、小学三年生の女の子と五つになる男の子を連れて、大阪にいる彼らの祖母のところへ行くところで、通路を挟んで隣の席に座っている若い外国人の男女のうちの男性がアンジェリーニ氏だった。
アンジェリーニ氏の隣の女性は彼の新妻で、「女が細くて、いかにも柔らかそうな肩や腕で男に触れている部分が、ひとりでに視野の中に入って来るのを感じないわけにはいかなかった」「足のかたちもよかった」などと、矢口はアンジェリーニ夫人のことを考えている。
二人の両親はともにイタリアからアメリカへ移住してきた人たちだという。
ニューヨーク近郊のバビロンへアンジェリーニ氏を訪ねたとき、矢口は当然にこの美しい人妻と出会えることを期待していたのだが、アンジェリーニ氏は既に妻と別居していて、アンジェリーニ夫人と会うことはできなかった。
矢口夫妻は、アンジェリーニ氏の実家へ招かれて、彼の両親や妹に紹介される。
意外だったのは、彼の一番下のクララの存在だった。
色が白く、美しい顔だちをしているが、手も足も先へ行くに従って細くなっていて、体格のいいアメリカの若い女を見馴れた矢口の眼には少し異様に映った。セーターをスラックスを着けているが、他の娘には似合うこの服装が彼女の手足を包むと、ちょっと違った感じに見えた。黒い髪と濃い眉をしていて、アンジェリーニ氏に少し似ている。アメリカの娘とすっかり感じが違うとしたら、この妹のような顔だちがイタリア風なのかも知れない、と矢口は思った。(庄野潤三「イタリア風」)
作品名の「イタリア風」は、だから、アンジェリーニ氏の妹クララに焦点をあてて付けられたものということになる。
食堂の戸棚のところには、クララが四、五人の男の学生にかこまれて花束を手にして立っている写真が飾ってあり、アンジェリーニ氏は「それは妹が今年カレッジのクイーンに選ばれた時の写真です」と言った。
やがて、夕食の途中で、クララのボーイフレンドが彼女を迎えにやってきたとき、アンジェリーニ氏は「アメリカの妻」についての議論に熱中しているところだった。
微妙な夫婦関係を細部にまでこだわりながら繊細に綴る
この物語は、日本で知り合ったアンジェリーニ夫妻をバビロンへ訪ねたとき、夫婦は既に離婚を前提として別居状態になっていたというところに、ひとつのポイントがある。
初期の庄野文学で顕著に見られた夫婦間の不安定な関係を、庄野さんはニューヨーク近郊の街で感じたのかもしれない。
『ガンビア滞在記』では触れられることのない微妙な夫婦関係が、危ない緊張感を持って描かれている。
美しい妹クララがボーイフレンドと仲良く出かけていく様子は、やがて、彼らの将来にも、アンジェリーニ氏と同じような不安が訪れるかもしれないということを感じさせる。
妻と別居しているアンジェリーニ氏が「アメリカの妻」について議論を白熱させているところは、いかにもシニカルだし、アンジェリーニ氏が見せてくれた飾り皿には、イタリア語で「めんどりが歌い、おんどりが沈黙しているところに平和はない」と書かれていた、というエピソードも、この物語を構築する上で、重要な素材のひとつとなっている。
おおらかにガンビアでの生活を描いた「ガンビア滞在記」とは対照的に、「イタリア風」は、微妙な夫婦関係が細部にまでこだわりながら繊細に綴られている物語と言うことができるだろう。
作品名:イタリア風
著者:庄野潤三
初出:文学界(1958/12)