「なつかしい本の記憶 岩波少年文庫の50年」読了。
本書は、岩波少年文庫の創刊50年を記念して、2000年(平成12年)に刊行された「岩波少年文庫 別冊」である。
岩波少年文庫の何がおもしろいのか?
岩波少年文庫最大のポイントは、長年に渡って築き上げられてきた膨大な文化遺産である、ということだろう。
戦後、多くの出版社から様々な少年少女文学全集が刊行される中、岩波少年文庫は着実に収蔵作品を積み上げ続けてきた。
持続的な取組という点でも、岩波少年文庫の果たした歴史的役割は大きい。
本書は、そんな岩波少年文庫の創刊50年を記念して刊行されたものである。
内容としては、岩波少年文庫と関わりの深い文化人の対談や過去に発表されたエッセイなどが収録されているが、本書を読むと、戦後社会の中で岩波少年文庫の果たしてきた役割や、子どもたちに与えた影響の大きさなどを、改めて感じることができる。
例えば、創刊から岩波少年文庫に関わり続けている石井桃子は、創刊四十五周年に当たって寄せたエッセイの中で「つづけて出されている個々の本自体が、古くなっていきつつあるとは、とても思えない」と綴っている。
成長期に、ごく自然に文学を生活にとりこみ、いい本にめぐりあえた人は仕合せである、なぜならば、その人は、半ば無意識のうちに、自分の中に、生きてゆくのに必要な美の標準を心の奥深くとり入れ、目の前のものに流されずに生きてゆくことができるから、という信念めいたものを、私は持っている。(石井桃子「心の奥の美しい芽」)
このような児童文学に対する全幅の信頼は、岩波少年文庫の歴史を支えてきた大きなエネルギーになっているに違いない。
同様のことは、中川李枝子と山脇百合子との対談からも感じられる。
だいたい、すぐれた児童文学にはすぐれた大人が出てくるから、大人になって読んでも心づよい。そのへんの育児書よりよほど役に立つ。育児書にははやりすたりがあって、そうそう当てにできないけど、児童文学の本には真実がある。ほんものの価値あるものが、いっぱい詰まっている。(中川李枝子・山脇百合子「見知らぬ世界のとびら」)
ここでも、児童文学は、成長過程の一つの栄養素として語られている。
児童文学は、少年少女期にのみ断絶して働きかけるのではなく、大人になってまでも生き続ける永遠の文学ということなのだろう。
エッセイでは、猪熊葉子の書いたものが良かった。
そういう忘れがたい登場人物たちもさることながら、私たち姉妹がケストナーの作品を愛したのは、どの物語も必ずユーモアと、幸せな結末とをもっていたからであったと思う。このようなケストナーの物語の持つ特性が、いつの間にか児童文学作品の価値判断をする際の基準を私に与えたのである。(猪熊葉子「ケストナーと二人三脚」)
「どの物語も必ずユーモアと、幸せな結末とをもっていたから」ケストナーの作品を愛することができたという言葉は、いかにも含蓄のある言葉だと、僕は思う。
それは、児童文学を読む喜びそのものでもあるからだ。
本書は、岩波少年文庫の魅力をたっぷりと味わいつつ、同時に児童文学を読む楽しさを再認識することのできる本でもある。
岩波少年文庫の何がおもしろいのか?
それが分からないという人は、まず、この本を読んでみるところから始めることをお勧めしたい。
井伏鱒二が語る『ドリトル先生』の魅力
本書には、河盛好蔵が井伏鱒二に取材したエッセイが収録されている(1961年の『図書』に掲載されたもの)。
しかしドリトル先生の性格は、僕たち東洋人にはついてゆきやすいですね。それから、十二巻のどれを取っても性根の坐っているのが僕の好きでもあり、感心するところです。ただ、翻訳は楽じゃない。若いときにもっと英語を勉強しておいたらよかったと思います。(河盛好蔵「井伏鱒二氏との一時間」)
『ドリトル先生』の魅力について、井伏さんは「それは先生が動物の言葉を解するということでしょうな」と語っている。
とかく、我々は、文学というものを(それが児童文学であってさえ)、何か難しい言葉で感想を述べたいと考えがちだが、本当の読書感想というのは、もっとシンプルであっても良いのかもしれない。
『ドリトル先生』の魅力は、先生が動物の言葉を解するということ──。
井伏さんの、この言葉を読んで、自分も、もっと素直に文学と向き合いたいと、そう思った。
書名:なつかしい本の記憶 岩波少年文庫の50年
編者:岩波書店編集部
発行:2000/6/16
出版社:岩波少年文庫