梶井基次郎「檸檬」読了。
本作「檸檬」は、1925年(大正14年)1月『青空』(創刊号)に発表された短篇小説である。
この年、著者は24歳だった。
作品集としては、1931年(昭和6年)5月に武蔵野書院より刊行された『檸檬』に収録されている。
丸善に仕掛けられた檸檬爆弾は、<私>の憂鬱そのもの
昔、失業をしたことがある。
大学を卒業して就職した出版社の、あまりにブラックすぎる社風に耐えられなくなって、2年持たずに逃げ出してしまったのだ。
就職浪人の生活というのは、想像していた以上に心身を消耗させた。
仲間たちと疎遠になり、好きだった小説を読むことさえできなくなった。
無暗矢鱈にイライラとした毎日。
充実した生活というのは、実に、充実した生活によって支えられているものだったのである。
梶井基次郎の「檸檬」を読むと、今でも、あの頃のことを思い出す。
これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。(梶井基次郎「檸檬」)
心に不安があるうちは、どんなに好きなものであっても、自分を慰めてくれるものではない。
そして、「心の中にある不安」を、他人に共感してもらうことは、ほとんど不可能だった。
それは「不吉な塊」であって、理屈で説明できる悩みごとではなかったからだ。
心の中の不安(不吉な塊)を、<私>(梶井基次郎だろう)は、丸善の店舗内で、払拭しようと試みる。
私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなに面白いだろう。(梶井基次郎「檸檬」)
丸善に仕掛けられた檸檬爆弾は、<私>の憂鬱そのものであったに違いない。
妄想の中で丸善の爆発する様子を思い浮かべながら、<私>は自分自身の不安から逃れようとしていたのである。
心の中の不安との向き合い方
言い知れぬ憂鬱を抱えた男の物語でありながら、本作「檸檬」は実に知的だ。
ローリング・ストーンズが「満足できないぜ!」と不満を大爆発させるのとは、全然違う。
そこに、本作「檸檬」の魅力がある。
心の中の不安との向き合い方が、実にインテリなのだ。
「あ、そうだそうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試して見たら。「そうだ」私にまた先程の軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当り次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。(梶井基次郎「檸檬」)
かつて好きだった丸善の画集コーナーで、<私>はいろいろな画集を積み上げて、最後に檸檬を載せる。
自分の不安(檸檬)が、丸善を征服したような気になって、<私>は心地良い充実感に浸る。
なんと、カッコいい不安との向き合い方だろう(かなり怪しい行動だが)。
「イライラしていた。誰でもいいから殺したかった」などと言って、電車の中でナイフを振り回す今どきの若者とはレベルが違う。
黄色い檸檬は、クールな<私>自身の象徴である。
赤い林檎や橙色の蜜柑や、まして茄子でも胡瓜でも南瓜でもいけない。
どうして「檸檬」なのか?
<私>が<私自身>を投影するものとして、それは「檸檬」でなければいけなかったのだ。
一体私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰った紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。(梶井基次郎「檸檬」)
檸檬は外国の果物である(産地はカリフォルニアだった)。
かつて外国文化に憧れていた<私>だったからこそ、それは「檸檬」でなければならなかったのだ。
外国に憧れていた<私>が、外国産のフルーツ<檸檬>で、外国文化の聖地である<丸善>をぶち壊す。
ここに、<私>が<私>から脱却するためのロジックがある。
あるいは、<私>はメンタルを病んでいたのかもしれない。
しかし、そんな心の病を、梶井基次郎は都会的な文章で制御しながら、冷静に描写していく。
自分が失業したのも、梶井基次郎が「檸檬」を発表したのと同じ、24歳の時だった。
心の中の不安との向き合い方を、自分はこの作品から教わっていたのかもしれない。
作品名:檸檬
著者:梶井基次郎
書名:檸檬
発行:2003/10/30 改版
出版社:新潮文庫