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小林多喜二「蟹工船」感傷的な希望の光を灯し続ける、幻想のプロレタリア文学

小林多喜二「蟹工船」感傷的な希望の光を灯し続ける、幻想のプロレタリア文学

小林多喜二「蟹工船」読了。

本作「蟹工船」は、1929年(昭和4年)、『戦旗』に発表されたプロレタリア文学の中編小説である。

感傷的なまでに希望の光を灯し続ける、幻想の文学

2008年(平成20年)、小林多喜二の『蟹工船』がベストセラーとなった。

80年前の小説が、流行語大賞にも選ばれるような、大きな社会現象となったのだ。

『蟹工船』人気を支えたのは、当時の若者たちである。

『蟹工船』は、希望の文学だった。

どれだけ困難な環境にあっても、民衆は連帯することで社会を変えることができるという夢が、『蟹工船』にはあった。

「威張んな、この野郎」この言葉が皆の間で流行り出した。何かすると「威張んな、この野郎」といった。(小林多喜二「蟹工船」)

『蟹工船』は、劣悪な労働環境で働く若者たち(労働者たち)に希望を与えてくれる、勇気の文学だったのだ。

しかし、ひとたび期待が満たさなかったとき、「希望の文学」は「裏切りの文学」へと転ずるリスクを孕んでいる。

希望が大きいほどに、それがとん挫したときの落胆も大きい。

『蟹工船』は、裏切りの文学でもあったのだ。

もしかすると、『蟹工船』は、夢のままで、そっと隠しておくべき、幻の文学だったのかもしれない。

感傷的なまでに希望の光を灯し続ける、幻想の文学。

そう考えると、2008年(平成20年)に『蟹工船』が脚光を浴びた理由も、何となく分かるような気がする。

プロレタリア文学には、感傷的な希望がある

日本のプロ文(プロレタリア文学)の代表作として真っ先に名前のあがる作品が、小林多喜二の『蟹工船』である。

本作は、函館港を出発してカムチャッカ沖で蟹漁を行う、通称「蟹工船(かにこうせん)」を舞台とした、春から夏にかけての物語だが、夏らしい話はどこにも出てこない。

蟹工船の劣悪な労働環境が、爽やかな北の夏の香りを、何もかも吹き飛ばしてしまっているからだろう。

蟹工船に乗り込んでくる労働者たちは、そもそもの生活基盤に経済的問題を抱えた者たちである。

雑夫として雇われた十四、五の少年たちは、函館の貧民窟の子どもが中心で、青森や秋田の子どもたちも混在している。

漁夫で多いのは、秋田や青森、岩手から来た「百姓の漁夫」で、彼らは内地では食っていくことができないので、蟹工船に乗らざるを得なかった者たちだ。

夕張炭坑のガス爆発で死にかけて、炭鉱から足を洗った坑夫もいる。

北海道の奥地のタコ部屋に土工として売られた者や、各地を食いつめた「渡り者」なども、そこに加わっていたが、いずれにしても、他に生きていく当てのない、経済的困窮者であることに変わりはない。

その男は冬の間はゴム会社の職工だった。春になり仕事が無くなると、カムサツカへ出稼ぎに出た。どっちの仕事も「季節労働」なので、(北海道の仕事はほとんどそれだった。)イザ夜業となるとブッ続けに続けられた。「もう三年も生きれたらありがたい。」といっていた。粗製ゴムのような死んだ色の肌をしていた。(小林多喜二「蟹工船」)

彼らは、生きるために蟹工船に乗りこみ、蟹工船の上で死なないために必死になって生きようとする。

2008年(平成20年)当時、そんな登場人物の姿は、現代のワーキングプアの姿と重ね合わせて語られていた。

そして、そのことこそが、2008年(平成20年)に『蟹工船』がブレイクした、大きな理由だったのだ。

はっきり言って、プロレタリア文学に現代性はないし、もちろん、将来性もない。

だけど、プロレタリア文学には、感傷的な希望がある。

もしかして、何かを変えられるかもしれないという、感傷的な希望。

それは、1960年代の日本に燃えた、学生運動の光に似ていないだろうか。

僕がプロレタリア文学を好きな理由は、案外、そんなところにあるのかもしれないな。

作品名:蟹工船
書名:教科書で読む名作 セメント樽の中の手紙ほかプロレタリア文学
著者:小林多喜二
発行:2017/3/10
出版社:ちくま文庫

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。