小森陽一「感染症の時代と夏目漱石の文学」読了。
本書は、コロナ禍という特殊な状況の中、夏目漱石の作品を「感染症文学」としての観点から、改めて読み直そうというものである。
例えば、最初に出てくる『吾輩は猫である』では、漱石が疱瘡に罹患した話が紹介されている。
主人は痘痕面(あばたづら)である。御一新前はあばたも大分流行ったものだそうだが日英同盟の今日から見ると、こんな顔は聊か時候後れの感がある。(夏目漱石『吾輩は猫である』第九章)
<主人>とは、『猫』の主人公である<苦沙弥先生>のことだが、これは、もちろん、漱石自身をモデルとしたキャラクターである。
幼少期の漱石が種痘に失敗した話は、唯一の自伝的小説『道草』の中に登場している。
彼は其処で疱瘡をした。大きくなって聞くと、種痘が元で、本疱瘡を誘い出したのだとかいう話であった。彼は暗い櫺子のうちで転げ廻った。惣身の肉を所嫌はず掻き挘って泣き叫んだ。(夏目漱石『道草』)
種痘は、世界的な感染症であった疱瘡を予防するための天然痘ワクチンだったが、漱石の場合、このワクチン接種に失敗して疱瘡に罹患してしまったということらしい。
漱石の右頬には、天然痘を患った痕跡としてアバタが残り、写真を撮るとき、漱石はアバタの側が映らないよう、顔を左側に向けるように意識していたそうである。
『猫』の中で、苦沙弥先生のあばたは、かなり執拗に綴られていて、あばたが漱石に与えていた心理的影響は小さくなかったものであることを感じさせる。
『三四郎』の轢死事件で死んだ<若い女>のモデル
次に登場するのが、青春小説として人気の高い『三四郎』だ。
感染症とは関係ないが、この物語の中で、三四郎が野々宮さんの家で留守番をしている夜に起こった轢死事件が出てくる。
三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上まで美事に引き千切って、斜掛の胴を置き去りにして行ったのである。顔は無創である。若い女だ。(夏目漱石『道草』)
著者が、当時の轢死事件を新聞で探したところ、日露戦争中に一例だけ見つかったという。
戦争で夫を失った女性が、夫の両親から離縁されたことを苦に自殺したものらしいが、あるいは、漱石は、この新聞記事を素材にしたものだろうか。
肝心の感染症は、野々宮さんの妹が入院している<青山病院>のところで登場している。
この<青山病院>は、当時の読者に医学者・青山胤通を連想させるものだが、この青山胤通は、東京帝国大学医科大学教授で、感染症の専門家であった北里柴三郎を排除した人物である。
歴史的に振り返ると、北里柴三郎を大学から排除したことによって、日本の感染症対策は、世界的な流れから大きく遅れてしまうこととなるが、『三四郎』の中で<青山病院>を登場させることによって、漱石はそのことを強く指摘していると、著者は考察している。
野々宮さんの妹の病気がインフルエンザであったことも、北里柴三郎と青山胤通との感染症研究における関係性を想起させる設定だと、著者は述べているが、国民的人気作家・夏目漱石の作品の、ひとつの読み方を紹介しているものだろう。
人気の高い文学作品は、主軸とは異なるところで読み解いていくと、意外と新しい発見があったりするものだからだ。
言ってみればつまみ喰いだが、こんなつまみ喰いが楽しい作品というのは、やっぱりおもしろい作品ということだと思う。
書名:感染症の時代と夏目漱石の文学
著者:小森陽一
発行:2021/9/30
出版社:かもがわ出版