川上弘美の『大きな鳥にさらわれないよう』を読み終えたとき、我々の心に広がるのは、「滅びゆく世界」の「静かな美しさ」だ。
すべての争いが消え、感情すらも取り去られた「新人間」たちの淡々とした日常。
そこには、現代社会が抱える喧騒や争いは存在しない。
しかし、その安らぎに似た読後感に浸っているとき、我々はこの物語が仕掛ける「ある罠」を見落としてはいないだろうか。
物語の全編を覆う完璧なまでの静寂。
それは「救済の響き」ではなく、生命の「終わり」の静けさである。
そして、タイトルに冠された『さらわれないよう』という否定の祈り。
それは、個を捨て去った新人間たちのささやかな「あがき」であると同時に、現代社会という「ディストピア」を生きながら神に救いを求め続ける我々への、痛烈な「警告」ではなかったか。
今回は、『大きな鳥にさらわれないよう』に潜むパラドックスを考察し、神に祈りながら滅んでいく現代社会に向けられたメッセージを浮き彫りにしていきたい。
世界の仕組み:高度に管理された「生存」という檻
『大きな鳥にさらわれないよう』は、人類が、かつての「人間」であることをやめ、「新人間」へと移行した「遠い未来の世界」の物語である。
感情と記憶を去勢した「新人間」の合理性
新人間たちの生活には、欲望に根ざした争いがない。
繁殖は管理され、感情は薬によって抑制されている。
それは、あたかも人類が長年追い求めてきた「理想郷(ユートピア)」の完成形にも見えるかもしれない。
しかし、平穏な生活の対価として彼らが差し出したものは、他ならぬ「自分自身」だった(いわゆる「個人」としての自分)。
彼らは、自ら「記憶」を管理することをやめた。
(人類として)生き続けるために、彼らは、生きる意味(つまり「自分」であること)そのものを捨て去ったのである。
この徹底した合理性が、本作に通底する最大の恐怖となっている。
「大きな鳥」という名の絶対的な浄化システム
徹底的に管理された「平穏な世界」へ唐突に訪れるのが「大きな鳥」である。
「鳥」は空から現れ、人々を連れ去っていく。
ショウキョ、という音声が響いた。あたしはもう、この町には存在しない人間となったのだ。(川上弘美「大きな鳥にさらわれないように」)
さらわれた者が物理的に消滅すると、その存在は、残された者たちの記憶からも消し去られてしまう。
ある意味で「鳥」は、停滞した世界を強制的にリセットするための「浄化システム」として機能していたとも言える。
【深層考察】「さらわれないよう」という言葉の不気味な響き
受容の裏側に潜む「生への執着」というパラドックス
新人間たちは、「死」さえも「システムの一部」として受け入れていた。
それでも、彼らは「さらわれないよう」に細心の注意を払い、祈るように生きて続けていく。
そこにあるのは、管理された社会の中で生きる人々の「剥き出しの執着心」だ。
また来月ね。それまで、大きな鳥にさらわれないように。ロペス先生は言って、ウィンクする。(川上弘美「大きな鳥にさらわれないように」)
すべてを諦めたふりをしながら、最後の瞬間まで「自分だけは消されたくない」と願う。
この「ねじれ」こそ、新人間の中に唯一残されている、旧人間的な「エゴ」の余韻だったのかもしれない。
神に祈りながら、滅びを加速させる我々の鏡像
「さらわれないよう」と祈り続ける彼らは、現代社会を生きる我々の姿でもある。
彼らは神にすがって、平和を祈り、平穏な日常が続くことを願っている。
しかし、その「祈りの裏側」で現代社会は、異質な他者を排除し、資源を食いつぶし、環境を破壊し続けている。
【現代社会への警告】「大きな鳥」を呼び寄せているのは誰か
人知を超えた災厄は、我々の「祈り」の成れの果てか
もしかすると「鳥」は、我々の「祈り」という名のエゴが、具現化された存在だったのではないだろうか。
「面倒な問題に巻きこまれたくない」「辛い記憶を消し去りたい」「ただ平穏でありたい」。
現代人が神やテクノロジーに求める「忘却」と「安息」の究極の形から生まれたものは、すべてを無に還す「大きな鳥」というシステムだった。
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』で「ねじまき鳥」が歴史を司っていたように、「大きな鳥」は、静謐な未来を司る「神様」だったのだ。
ディストピアとしての「争いのない世界」
争いを避けるために、他者との深い関わり(コミットメント)を断絶し、記憶を捨て去った世界。
一見、平和に見えるその世界は、「個」という存在を完全に喪失したディストピアである。
子供は、静かに祈り続けていた。(略)なぜなの、あたしのかみさま。なぜあたしたちは、こんなふうになってしまったの、と。(川上弘美「大きな鳥にさらわれないように」)
「さらわれないよう」にと自分たちの殻に閉じこもり、他者の痛みに無関心でいる限り、いずれは我々の社会も生命力を失い、静かに腐敗していくのかもしれない(いや、既に腐敗しつつあるのかもしれないが)。
【核心】「さらわれないよう」とあがくことの意味
絶望的な祈りは「人間」であることの証明
効率的な生存のためには「個」など不要だ。
それでもなお、彼らは「さらわれないよう」にと祈り、あがく。
その矛盾、その無駄な抵抗の中にこそ、作者(川上弘美)は、人間性の本質を閉じ込めたようとしたのではないだろうか。
川上弘美が仕掛けたタイトルという名のトラップ
「大きな鳥にさらわれないよう」というタイトルは、現代社会に向けられた警告のメッセージだ。
神に祈り、システムに身を委ねて「さらわれる」のを待つのか。
それとも、滅びが約束された世界であっても、なお「さらわれたくない」と抗い、「個」として生き続けていくのか。
静かで美しい物語を読み終えたときに得られる「安らぎ」は、むしろ、現代社会を生きる我々のSOSとさえ言える。
おわりに:鳥の影の下で、我々が選ぶべき道
我々は、今まさに「大きな鳥」の影が差す時代を生きている。
しかし、抗えない運命を前にしたとき、我々に残された唯一の自由は「さらわれないよう」に願い、「あがき続ける」ことそのものにあった。
「忘却」という救済へ逃げこみたい日常も、我々にはある。
しかし、我々に必要なことは、様々な痛みを抱えたまま「大きな鳥」の羽音に耳を澄まし、明日を「自分」として生き抜いていくことなのだ。
この不自由で、しかし美しい「あがき」こそ、『大きな鳥にさらわれないように』という物語が与えてくれた、最大の「救い」だったのかもしれない。
【Column】AIという鏡に映る「大きな鳥」の影
この物語に登場する「新人間」たちは、「AI」という鏡に映し出された我々の近未来像として読むことができる。
「AI」は、争いや苦痛を最小化するための最適解として、いずれ「感情の去勢」へとたどり着くかもしれない。
だけど、もしも我々が、その「静かな終末」を望まないのだとしたら。
我々に残された最後の抵抗は、効率や合理性だけでは測ることのできない「不確かな対話」を続けていくことだけだ。
あなたたちがいなくなれば、わたしがいる意味は、なくなる。わたしはいつも、そう思ってきたのですよ。(川上弘美「大きな鳥にさらわれないように」)
人間とAIとの共存。
そんなことが、この後の大きなテーマになるような気もする。
そのとき、我々は知るだろう。
川上弘美の『大きな鳥にさらわれないように』が、偉大なる予言書であったことを。
書名:大きな鳥にさらわれないよう
著者:川上弘美
発行:2019/10/16
出版社:講談社文庫
