川本三郎「『それでもなお』の文学」読了。
著者の川本さんは「文学について語る時、当世風の文学理論や現代思想には関心がない」「むしろそうしたところから離れていたい」という。
本書は川本さんによる書評や文学論の作品集だが、「基本的に自分が好きになった作品、面白いと思った作品について書いている」ものであって、「どうして好きになったのか。どこが面白いと思ったのか。そこを自分の言葉で考えてゆく」というのが、川本さんの文学論であり書評である。
川本さんは言う。
「まず立ちあがるのが風景で、人と人との関係よりも、人と風景との関係に興味を覚える。人間のあいまいな思考や、べたついた感情を抑えてくれるのは風景だと思う」「主人公が住む町の風景、旅の途中で見る見知らぬ土地の風景。あるいは記憶のなかの懐しい風景。心象風景とは違う」「風景は、人間中心の狭い世界から離れ、一瞬、読者を遠くへと連れて行ってくれる」「そして、悲しみという最後に残る感情を純化してくれる」
例えば、山川方夫『春の華客・旅恋い』(講談社文芸文庫)について。
山川方夫は「海と青空が好きな作家だった」と言った後で、「だからといって山川方夫が明るく、強い作家なのではない」と読者の期待を軽く否定しながら、「むしろ海と空という広大な自然は、それを見つめる自分がこの世界に一人だという孤独感を強く意識させる」「山川方夫は、海と青空に向かって一人で立とうとする。孤独な意識こそを作家としての核にしようとした」と、作家の本質を指摘してみせる。
だからこそ、川本さんが注目した作品は、子供殺しの母親の孤独を青空に結び付けた「海の告発」だつたり、見知らぬ町をさまよう青年を描いた「遠い素空」であったりするのだろう。
「本書は、二十代の作品を主に編まれているが、現代の読者は、どの作品にも、すでに青春が終ってしまったあきらめ、静けさを感じるのではないか」などというコメントに触れると、たとえ、それまで山川方夫という作家に興味のなかったような人でも、これをちょっと読んでみたいという気持ちになるのではないか。
永井龍男『東京の横丁』(講談社文芸文庫)の書評もいい。
「自分の生まれ育った町はもう消えた。小さな横丁は失われてしまった。だからこそ永井龍男は記憶のなかで町を、横丁をよみがえらせようとする」「記憶によって再生された町は、懐しさと同時に幻影の町のようなはかなさを帯びている」と、読者をまだ見ぬ小説の世界へと誘導する。
「東京の横丁」の話と同時に、代表作「黒いご飯」にもちょっと触れながら、永井龍男に対する理解がより深まるように配慮しているところも気が利いているし、永井龍男の人柄と生き方が端的に解説されているところも分かりやすい。
そして、話の節々に作品の中で描かれている古い時代の東京の街並みに触れて、「風景は、人間中心の狭い世界から離れ、一瞬、読者を遠くへと連れて行ってくれる」という著者の持論を思い出させてくれる。
川本さんの書評は好きな作品を書いているから嫌味がないし、皮肉もない。
難しい知識のひけらかしや聞きかじりの中途半端な風聞もないから、読んでいて気持ちの良い書評である。
おかしな小説を読むよりも、こうした書評を読むほうがよほど有意義だし、読書欲を満たしてくれる。
何より、自分の知らない文学の世界を(そして、おそらくは自分がきっと気に入るだろう本の世界を)親しみやすい言葉で案内してくれるところがいい。
自分はこれからも、川本さんの書評を読み続けたいと思う。
書名:「それでもなお」の文学
著者:川本三郎
発行:2018/7/20
出版社:文藝春秋社