菊池桃子のデビュー40周年記念ベストアルバム 『Eternal Best』が発売された。
「eternal」には「永遠の」という意味があり、今回のアルバムには「永久保存版」という意味が込められている。
ラ・ムー(RA MU)時代まで含めて、ほぼすべてのシングル曲を網羅しているが、なぜか、大ヒットセカンドシングル「SUMMER EYES」だけは収録されていない。
初期作としては「OCEAN SIDE」「Adventure」「BLIND CURVE」などのアルバム曲が収録されているため、「SUMMER EYES」までは必要ないということか?
菊池桃子クロニクルとしては、一部に欠陥を残す形となったが、本作『Eternal Best』は、シティポップ界隈における再評価が進んだ以降では、初めてのベスト盤である(30周年の2014年は、シティポップ・ブレイクの直前だった)。
全30曲中「ラ・ムー」の作品が7曲も収録されていることを考えると、シティポップを意識した選曲という見方もできる(それにしても「SUMMER EYES」を外す理由にはならないが)。
『FM STATION(1987年6月15日号)』インタビューを読む
注目のブックレットには、デビューシングル「青春のいじわる」のポスターなど、当時の写真がふんだんに収録されている。
『FM STATION(1987年6月15日号)』のインタビュー記事、『ViVi(1987年3月号)』や『近代映画(1987年9月号付録)』の表紙、『月刊平凡(1987年7月号)』のグラビア、『明星ヘアカタログ MEN’S ’87秋号』『近代映画(1987年11月号)』の掲載ページなど、80年代の雑誌からの引用は楽しい(もっと大きなパンフレット・サイズで見たかった!)。
1987年(昭和62年)は、映画『アイドルを探せ』、日本テレビ『24時間テレビ 愛は地球を救う』のチャリティー・パーソナリティ、日本テレビ系ドラマ『恋はハイホー!』主演など、トップ・アイドルとして精力的な活動を行った年である。
翌年(1988年)2月には、ラ・ムー(RA MU)への転向が発表されているので、今回のブックレットには、アイドル歌手として絶頂期にあった菊池桃子が収録されていると言える。
手元にあった『FM STATION(1987年6月15日号)』を読んでみると、5月27日に発売された4枚目のアルバム『ESCAPE FROM DIMENSION』のプロモーションであったことが分かる。
インタビューのタイトルも「さわやかエスケープ」だ。
菊池桃子「このアルバムは私が大学生になってから初めての作品なので、いままでよりもアルバムも大学生になりたいなって思ったんです。…実際に歌を録った時はまだ高校生だったんですけどね(笑)(『FM STATION(1987年6月15日号)』)
「だけど、桃子ちゃんのLPって、いままでも含めてサウンドが全然、ルンルンキャピキャピ・タイプじゃないね。一貫して洗練されたポップな音になってるでしょ」というインタビュアーのコメントは、菊池桃子の作品が持つシティポップとしての可能性に言及したものだろう。
「デフォルメされた良質の青春」と「高度に洗練された都市生活」
今回のベスト盤『Eternal Best』を聴きながら、菊池桃子の歌詞世界を整理してみた。
近年のシティポップ・ブームにおける再評価によって、菊池桃子の作品は、林哲司サウンドから語られることが多いが、その歌詞世界を併せて理解することによって、菊池桃子の音楽世界を深く理解することができるのではないだろうか。
楽曲は、歌詞とメロディとアレンジとの総合作品であり、そのどれが欠けても、シティポップとしての高い評価を得ることはできないからだ。
菊池桃子の場合、歌詞世界の基本となっているのは、林哲司のオメガトライブ・サウンドと共鳴することができる都会的情景である。
多くの場合、主人公は、都会で暮らす十代の少女であり、ある程度裕福な(少なくとも中流家庭以上の)インテリジェンスな両親のもとで、良質の教育を受けて育てられていることが、その歌詞世界からは窺われる(端的に言うと、都会に住む良家の子女というイメージ)。
初期作品における最大の特徴は、デフォルメされた良質の青春である。
『Eternal Best』冒頭には、「OCEAN SIDE」「Adventure」「BLIND CURVE」という、初期アルバム曲が収録されているが、これらの作品は、いずれも、英文フレーズを多用して、少女の日常を非日常に転換する手法が用いられている。
例えば、1曲目「OCEAN SIDE」は、デビューアルバム『OCEAN SIDE』のオープニングを飾った曲で、菊池桃子という新人アイドル歌手のコンセプトが、すべて、この曲に象徴されている(作詞は青木久美子)。
去年よく 夕闇の中 Twilight time
「Aqua City」 聴きながら Driving
Feel so eyes 友達と週末
海へ行くあなたを A few to the time
淋しく All the time ひとりでみてた
(菊池桃子「OCEAN SIDE」)
この曲では、昨年は一人で淋しい思いをしていたけれど、今年は、彼と一緒にリゾート旅行できるようになって嬉しいという少女の喜びが描かれているが、英語フレーズの多様化とパッチワークのように細切れの歌詞によって、物語のストーリーをすっと理解することは難しい構成となっている。
これは、おそらく楽曲上の戦略で、単純な世界をデフォルメすることによって、複雑で非日常的な世界に置き換える効果を狙ったものと考えることができる。
ちなみに、『Aqua City』は、杉山清貴&オメガトライブのファースト・アルバムで、林哲司のオメガトライブ・サウンドとの共鳴が、歌詞世界においても意識されていることが分かる。
一方で、デビューシングル「青春のいじわる」は、一語の英語も用いないリアリズム手法によって描かれている(作詞は秋元康)。
違う誰かを愛したらいつかわかってくれるだろう
青春という言葉なんて僕達に似合わないけれど
素直になれない二人の若さが痛いね
(菊池桃子「青春のいじわる」)
アルバム曲で、秋元康は「BLIND CURVE」を提供しているので、「青春のいじわる」は、明らかに戦略的な意図をもってリアリズム手法が採用されている。
つまり、多くの視聴者が、その歌詞世界を聴覚的に一瞬で理解する必要があるシングル曲においては、あえてデフォルメ手法によらず、正統的なリアリズム手法が用いられているのだ。
逆説的に言うと、アルバム曲ではかなり周到に、非日常的な世界観を構築することに配慮されていたと指摘することができる。
つまり、日常の非日常感への転換こそが、菊池桃子サウンドにおける歌詞世界の大きな特徴だったということである。
それは、シティポップの世界観としても、必要不可欠な要素だったもので(都会あるいはリゾート)、後年、菊池桃子が、シティポップ界隈でブレイクする根拠は、当時から既に整っていたと言えるだろう。
もうひとつ、注目しておきたいのは、ロックバンド「ラ・ムー(RA MU)」へ転向した後の歌詞世界である。
ブラック・コンテンポラリー色の強いラ・ムーを「ロックバンド」と形容することに違和感を覚えるが、当時は、他に適当な言葉がない時代だった。
アイドル時代の清楚なイメージから一転、ラ・ムーでは、過激でスキャンダラスな歌詞世界が構築されたと評価されることが多いが、ラ・ムーの世界観は、あくまでも「良質な青春」という枠を踏み越えてはいない。
むしろ、高度に洗練された都市生活がデフォルメされているのがラ・ムーであり、例えば、同学年アイドル荻野目洋子(「六本木純情派」「湾岸太陽族」「湘南ハートブレイク」)が持つ自己崩壊的な刺激性とは、意識的に距離を置いていることは明らかだ(キャラクターとしての差別化を図るという意図があるとしても)。
菊池桃子の歌詞世界が有する都会性が最もソフィスティケートされた作品は、ラ・ムー最後のシングル曲となった「青山Killer物語」(1989)である。
青山通りの黄昏時は
切れた会話に影を落とす
舗道で見上げた風のビルボード
人も街角も変わってくね
(ラ・ムー「青山Killer物語」)
ラ・ムーの不幸は、「バブル時代」という、現実が非現実を超越する異常な日常世界の中に埋没してしまったということにあった。
非日常性を提供する歌詞世界が、現実を越えることができなかった時代。
バブル景気は、現実世界そのものを大きくデフォルメしていたのであって、菊池桃子的シティポップが生き残る隙間は、既に残されていなかった。
だからこそ、現実世界が現実世界というリアリティを取り戻したとき、菊池桃子の作品は、再評価という形で復活することができたのだ。
『Eternal Best』では、菊池桃子的シティポップの世界観が、美しく再現されている。
それは、1980年代後半の日本が持っていた輝きと共鳴する美しさだ。
今回のベスト盤では、2024年Remasterによる80年代サウンドを楽しむことができるが、これは決して懐古趣味的な音楽ではない。
近未来的だった菊池桃子シティポップは、2020年代の良質なサウンド・トラックに値する音楽だからだ。
やはり、このアルバムは、懐かしさだけで聴いてはいけない。
「SUMMER EYES」の未収録は、つくづく残念だったけれど(2024年Remasterが欲しかったのです)。