渡辺淳一「北国通信」読了。
本書「北国通信」は、1977年(昭和52年)から1981年(昭和56年)にかけて「週刊小説」に連載されたエッセイを書籍化したものである。
単行本は、1981年(昭和56年)10月、集英社から刊行されている。
酔っぱらいのグチのようなエッセイ
渡辺淳一といえば、「不倫小説を書いた作家」というイメージしか浮かばない。
なまじ「不倫小説」で名声を得ただけに、小説家としても失楽園そのものになってしまったのかもしれない。
そんな不倫作家が昭和50年代に書いたエッセイ集が『北国通信』である。
タイトルのとおり、北海道出身の作家が、北海道を題材にしてエッセイを書いているから、何となく北海道の旅行ガイドという感じがしないでもない。
どちらかというと、飲み屋で隣に座ったオジサンが、北海道の話をしているところを黙って聞き流しているに近いものがある。
かつて「北へ向かう」ということは「失意」とか「左遷」といったイメージとつながっていたことも事実であった。それは「北帰行」という言葉から受ける、暗く憂愁なイメージからも想像できる。東京にいて、「北海道支店に勤務を命ず」、という辞令を受けると、サラリーマンとしては終り、という感じであったらしい。(渡辺淳一「北国通信」)
まあ、そうなんだろうなあ、という感じ。
だから、どうしたということもなくて、北海道や札幌に関する雑感が、どこまでもダラダラと続いていく。
あるいは、昭和50年代には、こうしたエッセイが受けたのかもしれない。
はっきりいって、サッポロ・ラーメンは、いわれているほど美味しくはない。もっとも、「名物にうまいものなし」というから、これはさして驚くべきことではないかもしれない。だが、それにしてもサッポロ・ラーメンの味は、いま一つもの足りない。(渡辺淳一「北国通信」)
著者は「わざわざ札幌まで行って食べなければならぬ、ほどのものではない」と、サッポロ・ラーメンを断罪しているが、これもエッセイというよりは、酔っぱらいのグチに近いものを感じる。
あまりに世間がサッポロラーメンを持ちあげるから、地元出身者としては黙っていられなかったのだろう。
そんな著者が贔屓にしているラーメン屋は、薄野六条仲通りの「信ちゃん」と、時計台前の「はちや」ぐらいなものだった。
札幌がリトル・東京と呼ばれていたころ
札幌は「リトル・東京」などといわれ、街を歩いていると、それこそ東京にいるような錯覚を受ける。雪さえなければ、銀座や新宿を歩いているのと変らない。ドサンコの人達は、それでずいぶん街が立派になり、発展してきたものと思っている。(渡辺淳一「北国通信」)
著者は「「リトル」・東京」の言葉の裏側には、東京のものなら、なんでも無節操に受け入れる、という軽い皮肉もこめられている」と指摘しているが、この「リトル東京」という言葉も、現在ではすっかりと使われなくなってしまった。
なにしろ、グローバル化の進展によって、全国どこの街並みも画一化されたことで、札幌だけを「リトル東京」などと言っていられなくなってしまったからである。
まあ、リトル東京に限らず、全般を通して情緒的で個人的な話が多い。
文庫本の帯には「移ろいゆく北国の自然と風物…」「渡辺文学の原風景を語る」とある。
これが「渡辺文学の原風景だったんだなあ」と思った。
ちなみに、集英社文庫には「カラー写真16ページ」「自作の短歌16首」が収録されていて、特に、すすきのラーメン横丁のグラビア写真がいい。
「若い女の子たちで、いつも満員」というのもびっくりである。
書名:北国通信
著者:渡辺淳一
発行:1985/11/25
出版社:集英社文庫