今回の青春ベストバイは、『北の国から’87初恋』のシナリオブックです。
横山めぐみがヒロインで、尾崎豊の「I love you」が挿入歌だった、このスペシャルドラマは、「北の国から」史上で最も素晴らしい作品だったのではないでしょうか。
少なくとも我々バブル世代にとっては、忘れることのできない80年代ドラマだったと思います。
尾崎教の信者が観た『北の国から’87初恋』
1987年(昭和62年)3月27日に放送された『北の国から’87初恋』。
それは、僕が初めて観た『北の国から』だった。
北海道に暮らしていながら、なぜか『北の国から』には興味がなかった。
あるいは、北海道に住んでいるからこそ、テレビドラマの中の富良野になんか、興味を持てなかったのかもしれない(しかも、割と近くの町に住んでいたので)。
僕が『北の国から’87初恋』を観たのは、尾崎豊の曲が使われているという、ただそれだけの理由だった。
そのとき、僕は大学1年生で、あと数日で大学2年生になろうとしていた。
1987年(昭和62年)3月に中学校を卒業した純君よりも、4つ年上だったということになる。
当時の僕はいわゆる<尾崎教信者>で、尾崎の楽曲がテレビドラマで使われるということは、僕にとってかなりの重大事件だったのだ。
初めて観た『北の国から’87初恋』は、すごく良かった。
なにしろ、レイちゃん役の横山めぐみが最高にかわいい頃だったし、<泥のついた一万円札>という、『北の国から』史上に残る名場面もあった。
「金だ。いらんっていうのにおやじが置いてった。しまっとけ」「あ、いやそれは」「いいから、お前が記念にとっとけ」「いえ、アノ」「抜いてみな。ピン札に泥がついている。お前のおやじの手についてた泥だろう」「…」「オラは受け取れん。お前の宝にしろ。貴重なピン札だ。一生とっとけ」純。恐る恐る封筒をとり、中からソッと札を抜き出す。二枚のピン札。ま新しい泥がついている。(倉本聰「北の国から’87初恋」)
そして、何よりも、東京へ向かうトラックで流れる尾崎豊の「I LOVE YOU」は、本当に胸を打つ名曲だったから。
教祖と呼ばれつつも、当時はまだどこかマニアックな存在だった尾崎豊が、本当の意味で全国区にデビューしたのは、このときが最初だったのではないだろうか。
純君とレイちゃんの初恋が、大人たちの事情によって呆気なく崩壊してしまうところも、青春の痛みを感じさせていい。
吉岡秀隆という俳優は、傷つきやすい少年を演じるのが、誰よりも似合っている役者だった。
この作品をきっかけに、僕は吉岡秀隆のファンとなり、『男はつらいよ ぼくの伯父さん』『ラストソング』などの映画に惹かれていくことになる。
『北の国から’87初恋』抜きに尾崎豊を語ることはできない
『北の国から’87初恋』の名場面と言えば、<泥の付いた一万円札>が有名だけれど、夕立の納屋で、下着姿のレイちゃんと純君が二人きりになる場面も、かなりの胸キュンシーンだ。
れい「白いのね」純。ドキンとする。ブラジャー一つになってしまったれい。スカートを下半身にまきつけている。れい「坐って」(倉本聰「北の国から’87初恋」)
この頃の横山めぐみは、どうしてこんなにかわいかったんだろうと、本気で考えてしまうくらいにキュート。
断言してしまえば、横山めぐみは、『北の国から』史上で最強のヒロインだったに違いない。
ところで、1992年(平成4年)4月に尾崎が急死したとき、テレビのワイドショーでは、インタビューに応じる吉岡秀隆の姿が繰り返し放映された。
『北の国から’87初恋』のあたりから、吉岡君は、プライベートでも尾崎豊と仲良くなって、友人と一緒に尾崎の自宅を訪ねたこともあったという。
テレビカメラの前に立つ(そして号泣する)吉岡君の首にぶら下がっていたのは、尾崎からプレゼントされたというシルバーのネックレスだった。
そういうことまで合わせて考えると、僕の中で『北の国から’87初恋』は、尾崎豊というミュージシャンを象徴するテレビドラマだったような気がしてならない。
むしろ、『北の国から’87初恋』を抜きにして、尾崎豊を語ることはできないと言うべきか。
「純君、音楽きく?」「好きだよ」「だれが?」「尾崎豊」「本当!? 私も狂ってンの! ユタカの何好き?」「15の夜とか」「最高!」「セブンティーンズマップとか」「シェリー」「ああ」「それに卒業」「オレも好き」(倉本聰「北の国から’87初恋」)
今回のベストバイは、ドラマ放映当時に発売された『北の国から’87初恋』のシナリオブックである。
先にドラマを観てから読まないと、この物語の面白さは伝わらないかもしれない。
脚本だけでは、横山めぐみの下着姿も見えないし、尾崎豊の「I LOVE YOU」も聞こえてこないからだ。
その代わり、ドラマを観た後で、感動を反芻するように、このシナリオを読むと、映像からだけでは見えなかったものが、きっと見えてくることだろう。
1987年(昭和62年)3月、日本で最も感動的だった卒業式は、北海道の超絶へき地・小規模校<富良野市立麓郷中学校>で行われた、黒板純の卒業式だった。