読書体験

夏目漱石「坑夫」海辺のカフカをとらえた「なにを言いたいのかわからない」という不完全さの奥にあるもの

夏目漱石「坑夫」あらすじ・感想・考察・解説

夏目漱石「坑夫」読了。

本作「坑夫」は、、1908年(明治41年)に春陽堂から刊行された『草合』に収録された長篇小説である。

初出は、1908年(明治41年)1月から4月『朝日新聞』(新聞連載小説)。

この年、著者は41歳だった。

『海辺のカフカ』をとらえた『坑夫』の不完全さ

漱石の『坑夫』を高く評価している村上春樹は、長篇『海辺のカフカ』で、登場人物の言葉に託して、著者のメッセージを発信した。

作中『坑夫』を愛読しているのは、15歳の家出少年「田村カフカ」だ。

「本を読み終わってなんだか不思議な気持ちがしました。この小説はいったいなにを言いたいんだろうって。でもなんていうのかな、そういう『なにを言いたいのかわからない』という部分が不思議に心に残るんだ」(村上春樹『海辺のカフカ』)

『坑夫』についてカフカ少年は、作中の主人公が、坑夫としての体験から教訓を得たとか、生き方が変わったとか、人生について深く考えたとか、社会の在り方に疑問を持ったとか、そういうことは特に書かれておらず、と言って、主人公が人間として成長したという手ごた
えみたいなものも感じなかったと、読後感を述べている。

「『なにを言いたいのかわからない』という部分が不思議に心に残るんだ」というカフカ少年の気持ちに価値付けをしてくれるのが、高松にある甲村記念図書館の司書(大島さん)だった。

「たとえば君は漱石の『坑夫』に引きつけられる。『こころ』や『三四郎』のような完成された作品にはない吸引力がそこにはあるからだ。君はその作品を見つける。べつの言いかたをすれば、その作品は君を見つける。シューベルトのニ短調のソナタもそれと同じなんだ。そこにはその作品にしかできない心の糸の引っ張りかたがある」(村上春樹『海辺のカフカ』)

「ある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故に人間の心を強く引きつける──少なくともある種の人間の心を強く引きつける」と、大島さんは言った。

大島さんの心をとらえているものは「質の良い稠密な不完全さ」だ。

カフカ少年と大島さんとの会話には、そのまま著者(村上春樹)のメッセージが託されていると読んでいい。

村上春樹は、夏目漱石の『坑夫』を高く評価していた。

ただし、この作品は、大島さんも指摘しているとおり、「一般的に言えば漱石の作品の中ではもっとも評判がよくないもののひとつ」である。

その理由は、この作品が、小説らしい小説ではなかったからだ。

本作『坑夫』は、二人の女性の間で板挟みとなった19歳の少年が、その葛藤から逃避して東京を離れる物語である。

主人公は、ぽん引き(長蔵さん)に誘われるまま、坑夫となるべく銅山を訪れるが、結局、坑夫となることもできずに東京へ戻ってくる。

そこには、カフカ少年の受け止めのとおり、新たな教訓もなく、主人公の成長もない。

ゼロからスタートした物語が、再びセロへと戻ってくるだけだ。

多くの読者は、この作品をどのように読むべきか、混乱したのではないだろうか。

著者(夏目漱石)は、ある程度は意識的に、このような作品を執筆したらしく、作中で何度か説明のようなものがある。

もっと大きく云えばこの一篇の「坑夫」そのものがやはりそうである。纏まりのつかない事実を事実のままに記すだけである。小説のように拵らえたものじゃないから、小説のように面白くはない。その代り小説よりも神秘的である。すべて運命が脚色した自然の事実は、人間の構想で作り上げた小説よりも無法則である。だから神秘である。と自分は常に思っている。(夏目漱石「坑夫」)

作者が、作品中に登場して作品解説をするあたり「メタ小説」だが、「小説のように面白くはない」とあるのは、世間の不評に対する開き直りだったのかもしれない。

実際、著者は、他者から提供を受けた話を、そのまま書いたものらしく、最後の文章にも、こうした作者の意図が窺える。

自分が坑夫についての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。(夏目漱石「坑夫」)

「その証拠には小説になっていないんでも分る」という最後の一文にも、作者の開き直りを感じるが、もしかすると、作者は、この作品を執筆しながら、「小説とは何か」といったことと、深く向き合っていたのではないだろうか。

『坑夫』という作品の執筆過程そのものが、作者にとっては、新しい自分を見つけるための、ひとつの冒険だったと言えなくもない。

ただし、小説の主人公は、どこにも辿りつくことができなかった。

この小説が与える「モヤモヤ感」はそこにある。

もしも、この物語が、当たり前の小説であったなら、シキ(坑道)の奥底まで潜った主人公は、そこで何かを見つけて、自己の変容へとつなげていることだろう。

方法によっては、鉱山の奥底そのものに、主人公の深層心理を投影することもできたかもしれない(「自分は普通の社会と坑夫の社会との間に立って、立派に板挟みとなった」)。

しかし、『坑夫』では、主人公の心の動きが詳細に語られるばかりで、再生も成長も生まれない。

むしろ、瞬間的な心の動きに着目した作品が、この『坑夫』という作品だったと言えるだろう。

例えば、主人公が提案する「無性格論」も、そのひとつだ。

こう云う時の出処進退は、全く相手の思わく一つできまる。いかな馬鹿でも、いかな利口でも同じ事である。だから自分の胸に相談するよりも、初さんの顔色で判断する方が早く片がつく。つまり自分の性格よりも周囲の事情が運命を決する場合である。性格が水準以下に下落する場合である。平生築き上げたと自信している性格が、めちゃくちゃに崩れる場合のうちでもっとも顕著なる例である。――自分の無性格論はここからも出ている。(夏目漱石「坑夫」)

「よく調べて見ると、人間の性格は一時間ごとに変っている」と、主人公は考える。

変わるうちには矛盾が出てくるはずで、人間の性格には矛盾が多いという意味になり、結局のところ、性格などあってもなくっても同じということになる(これが「無性格論」)。

学問を学んでいるだけあって、主人公の頭は、いつもいろいろなことを考えている。

頭の回転に実践が追いついていないところに、主人公の若さがある。

自我の放棄とも思われる消極的な姿勢は、実は、実社会に寄り添う主人公の心理を反映したものとして読むこともできる。

これは、もちろん、主人公の複雑な女性関係がもたらした影響でもあっただろう。

事の起りを調べて見ると、中心には一人の少女がいる。そうしてその少女の傍にまた一人の少女がいる。この二人の少女の周囲に親がある。親類がある。世間が万遍なく取り捲いている。(夏目漱石「坑夫」)

問題の女性関係について詳しい説明はなく、「艶子さん」と「澄江さん」という名前が、随所に散見されるだけだ(だから、『坑夫』には、『三四郎』や『それから』のような問題提起さえもない)。

主人公は、二人の女性との結婚問題を抱えながら、親・親戚まで巻き込んだトラブルの中で、現実逃避を企てたものらしい(つまり家出をした)。

こうした主人公の境遇は、『海辺のカフカ』の主人公(カフカ少年)と重なるものであり、作中で大島さんも、そのことに触れている。

「でも人間はなにかに自分を付着させて生きていくものだよ」と大島さんは言う。「そうしないわけにはいかないんだ。君だって知らず知らずそうしているはずだ。ゲーテが言っているように、世界の万物はメタファーだ」(村上春樹『海辺のカフカ』)

もしも、カフカ少年が、『坑夫』の主人公に何かしら共感するものがあったとしたら、それは、どこにも辿りつくことがない「青春の不安」ではなかっただろうか

「不完全な小説」に対する共感

自己変容には至らなかったものの、カフカ少年が大島さんと出会ったように、『坑夫』の主人公も、シキの中で安さんと出会っている。

「日本人なら、日本のためになるような職業についたらよかろう。学問のあるものが坑夫になるのは日本の損だ。だから早く帰るがよかろう。東京なら東京へ帰るさ。そうして正当な――君に適当な――日本の損にならないような事をやるさ」(夏目漱石「坑夫」)

安さんの言葉は、家出中の身であるカフカ少年の心にも響いたのではないだろうか。

残念ながら、『坑夫』の主人公は、安さんの言葉を受け容れることはなかった。

「帰る場所がない」という思いが、主人公の退路を断ってしまっていたのだ(「しかし僕だって、酔興にここまで来た訳じゃないんですから、帰るったって帰る所はありません」)。

「2人の女性のうち、どちらを選ぶか」という葛藤は、「坑夫になりたくはないけれど、東京へ帰るわけにもいかない」という新たな葛藤へすり替わっている。

もしも、この小説に、何らかの教訓を見出すとしたら、葛藤からの逃避は、新たな葛藤を生み出す、ということになるかもしれない。

ゼロからスタートしたものが、再びセロへと戻ってくる話などというのは、世の中には特別珍しくもないことだろう。

だからこそ、人は、変容や成長を求めて、文学に触れたいと願うのである。

病気に潜伏期があるごとく、吾々の思想や、感情にも潜伏期がある。この潜伏期の間には自分でその思想を有ちながら、その感情に制せられながら、ちっとも自覚しない。(夏目漱石「坑夫」)

「自分が前に云った少女に苦しめられたのも、元はと云えば、やっぱりこの潜伏者を自覚し得なかったからである」と、主人公は自己分析している。

自分の中の潜伏者とは、まだ見ぬ「もう一人の自分」、つまり、無意識の中に存在する自分自身のことだ。

理屈では説明のつかない行動を取るとき、人は、無意識の中の自分の意志に従っているのである。

シキの底で死に目にあったとき、主人公は「死を転じて活に帰す経験」「活上より死に入る作用」について考えている。

過酷な体験の中の自己分析が、この物語を支えているのだ。

それでは、大島さんの言った「完成された作品にはない吸引力」とは、果たして何を意味するものなのだったのだろうか。

もしかすると、カフカ少年は、『坑夫』という小説に、完成されていない不完全な自分を見たのではないだろうか。

それは、恋愛問題から逃げ出し、「坑夫になる」という無謀な計画さえも実現することができなかった、非力な主人公への共感である。

自分は、できるなら、シキから帰ることもできなくなってしまった安さんの物語を読んでみたいと思う。

この黒い坑の中で、人気はこの坑夫だけで、この坑夫は今や眼だけである。自分の精神の全部はたちまちこの眼球に吸いつけられた。そうして彼の云う事を、とっくり聞いた。彼はおれもを二遍繰り返した。「おれも、元は学校へ行った。中等以上の教育を受けた事もある。ところが二十三の時に、ある女と親しくなって――詳しい話はしないが、それが基で容易ならん罪を犯した。罪を犯して気がついて見ると、もう社会に容れられない身体になっていた」(夏目漱石「坑夫」)

あるいは、ここから始まる物語が、あってもよかったかもしれない。

深い業を背負った安さんの言葉からは、後の『門』『こころ』にもつながるような「完成された物語」が見える。

もしも、もっと時間があれば、あるいは、別の物語が生まれていたのかもしれない。

そもそも、1908年(明治41年)1月から始まる『朝日新聞』の連載小説は、島崎藤村の『春』が予定されていたが、藤村の執筆が遅れていたため、急遽、漱石がその穴を埋めることとなった。

それでなくとも、漱石は、前年の1907年(明治40年)10月に『虞美人草』の連載を終了したばかりだったから、新しい連載小説の構想は、ほとんど整っていなかったらしい。

藤村の『春』は、『坑夫』終了後の4月から無事に連載が始まり、名作と呼ばれる長篇小説となった。

さらに、漱石も、藤村が『春』を連載している間に、新しい小説の構想を整え、『春』連載終了後の9月から12月まで、後に代表作と呼ばれることになる『三四郎』を連載した。

こういうのも、やはり、人生の綾と言うのかもしれない。

書名:坑夫
著者:夏目漱石
発行:2004/09/20改版
出版社:新潮文庫

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。