庄野潤三『紺野機業場』考察|安宅言葉が伝える「無名の人々」の物語
庄野潤三『紺野機業場』は、北陸の小さな街で織物工場を営む庶民の歴史を辿った聞書き小説である。
この記事では、芸術選奨を受賞した本作のあらすじを整理するとともに、この作品の持つ魅力について詳しく紹介していきたい。
3行で分かる『紺野機業場』
発端(紺野友次との出会い)
物語の語り手である「私」は、ふとしたことから紺野友次と知り合い、石川県小松市安宅にある織物工場を訪れるようになる。
交流(紺野友次の話)
何日も泊まりこむ「私」に、紺野友次は、様々に寄り道をしながら、安宅に伝わる古い慣習や一族の歴史などについて、詳しく教えてくれる。
魅力(安宅言葉に甦る地方文化)
安宅の方言を交えて語られる紺野友次の話は、多様性に富んでいた時代の日本を鮮やかに甦らせていた。
『紺野機業場』簡単なあらすじ
北陸の安宅で織物工場を営む紺野友次と知り合った「私」は、紺野の自宅兼工場に泊まりこみ、酒を酌み交わしながら、北陸に伝わる古いしきたりや紺野一族の歴史などについて、話を聞かせてもらう。
都会で暮らす「私」にとって、安宅の独特な方言や言い伝えは、均一化される前の日本が、いかに豊かな地方文化を持っていたかということを感じさせてくれるものだった。
織物工場を兼ねた紺野の自宅で、紺野夫妻と一緒に暮らしているおばあさんから、「私」は、この家に伝わる歴史の味わいというものを感じとっていた。
【考察】『紺野機業場』が伝えているもの
①「安宅」という豊かな地方文化
本作『紺野機業場』は民衆史として、あるいは地方の郷土史として、非常に貴重な記録となっている。
一方で、この物語は決して歴史書として語ることのできない作品である。
なぜなら、本作は、安宅について語る紺野友次の「言葉」そのものが、作品の大きな主題となっているからだ。
小説(紺野機業場)は書き終わったが、安宅の言葉の抑揚がなつかしい。私は、もっとこの言葉を聞きたい。茶飲み話をいつまでも聞いていたい。(庄野潤三「海のそばの静かな町」/『クロッカスの花』収録)
紺野友次が、安宅の古い歴史について語る。安宅の話はいつの間にか安宅で暮らす古い人々の話になり、次から次へと様々な人たちの思い出が語られた後に、ようやく安宅の古い歴史の話へと戻ってくる。
脱線次ぐ脱線。
というか、脱線がむしろ話題の中心になっているかのように、とめどなく続く紺野の話は、論点を要約していないから、まるで、伝承者の言葉を、そのまま聞いているような気持ちにさせてくれる。
さらに、紺野の話は、安宅地方の古い方言によって語られる。
「まあ、爆撃に会うて無くなったと思うて、諦めようまいかいや」と云うと、「またお父っつぁんのお得意が出た」と云って、家内に笑われました。(庄野潤三『紺野機業場』)
「安宅の水戸つかえ」とか「のた越しのぼら」などのように、地域に伝えられている言葉も多い。
時々、紺野夫人の注釈が入ることによって、読者は紺野氏の言葉の意味を理解することができるのだが、なんとも回りくどい、このやりとりこそが、実は本作『紺野機業場』の大きな魅力となっていることは確かだろう。
それは、時間がゆっくりと流れる時代の、時間がゆっくりと流れている地方の物語だった。
云わば炉辺閑話の積み重ねのようなものであるが、その中から「日本」が浮び上らないとも限らない。(庄野潤三『紺野機業場』あとがき)
日本の地方都市が、いかに豊かな地方文化を築いていたかということを、この物語は伝えてくれる。
高度経済成長期が成熟しつつあった時代、失われつつある地方文化に、作者も懐かしい郷愁を感じていたのではないだろうか。
②「名も知れぬ人々」の物語
紺野氏の話は、安宅で生きる人々の歴史でもある。
この隣りの津山というのが、まさ子ちゃんの主人と同じで、飲むと暴れる。東京に居って大学を出て、成績がよかったのに、いまは土方をしている。これも語れば一つの物語がある。(庄野潤三『紺野機業場』)
紺野氏が語るのは、無名の庶民の物語である。
そして、名も知れぬ人々の物語に、大いなる関心を示したのが、庄野潤三という作家だったのではないだろうか。
1971年(昭和46年)11月『三田文学』に掲載された古屋健三との対談で、庄野さんは次のように語っている。
そういう一生名前が出ないし、名前が出ようとも思わないし、むしろ出ることは迷惑でしかないというふうな、つつましく暮しているさまざまな職業の人というのがこの世の中にいるわけですから、もし何かのきっかけがあれば、そういう人を主人公にした小説を書いてみたいという気持が何年か前からだんだん少しずつ強くなってきています。(古屋健三・庄野潤三『「絵合せ」を語る』)
本作における「紺野友次」は、まさに「無名の主人公」だったわけだが、無名の主人公たる紺野氏は、さらに無名の登場人物たる「安宅の人々」の物語を語り始める。
紺野一族を中心にして語られる「無名の人々の物語」は、この作品の根幹を成しているもので、まさに『紺野機業場』は、無名の人々を語った物語だったと言っていい。
歴史や社会に影響を与えたわけでもない一般人の物語がおもしろいのは、つまり、我々が生きている世の中が「無名の人々」によって支えられているという事実を裏付けるものだったからだろう。
それは、つまり「人生の奥深さ」というものである。
チャールズ・ラムの強い影響を受けた庄野さんの、作家としての到達点のひとつが、本作『紺野機業場』だったのではないだろうか。
▶チャールズ・ラム『エリア随筆抄』あらすじ・詳細な解説を読む
【解説】「安宅言葉」という物語
庄野潤三『紺野機業場』は、1969年(昭和44年)9月号『群像』に発表された長編小説である。
1969年(昭和44年)11月に講談社から単行本が刊行され、1970年(昭和45年)3月、第二十回芸術選奨文部大臣賞を受賞した。
いわゆる「聞き書き小説」と呼ばれる作品群の代表作として知られている。
作者・庄野潤三に「紺野悠二」を紹介してくれたのは、大阪の毎日放送に勤務していた実弟・庄野至だった。
紺野悠二の紹介を受けた庄野さんは、1965年(昭和40年)6月、石川県安宅まで出かけ、本作の主人公である「紺野友次」への取材を開始する。
阪田寛夫『庄野潤三ノート』によると、それはテープレコーダーで録音するような取材ではなく、紺野氏の話を丹念にノートに聞き書きしていくという作業だったらしい。
安宅言葉の面白い表現に出くわすと、「一寸一寸、もう一回言ってください」と頼んで、一字一字おさえるように書きとめた。(阪田寛夫『庄野潤三ノート』)
民俗学的な内容を豊富に含んでいながら、『紺野機業場』は歴史の記録以上の作品となっている。
紺野氏の語る「安宅言葉」が既に小説なのであり、話があちこちへ飛んでいくストーリーが、つまり小説なのだ。
「また、話がそれますが」というふうにちょっと断りが入って、わき道へそれてゆく。暫くして、やっと、もとへ戻って来る。この、わき道へそれてゆくところを聞くのが、また楽しい。(庄野潤三『紺野機業場』著者から読者へ)
おそらく作者は、紺野氏の「脱線」を意図的に使うことで、物語の起伏を生み出していたのだろう。
まとめ│生のような食感を味わう
本作『紺野機業場』にあるのは、原石の輝きである。
研磨されていないわけではない。
作者によって緻密に磨き上げられた原石が『紺野機業場』である。
丁寧に加熱調理されているのに、まるで「生」のような食感を提供すること。
それこそが、庄野文学の「聞き書き小説」において、作者に与えられた使命だったのではないだろうか。
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文学ブログ『時空標本』では、庄野潤三の紹介に力を入れています。
