志賀直哉「小僧の神様」読了。
本作「小僧の神様」は、1920年(大正9年)1月『白樺』に発表された短編小説である。
この年、著者は37歳だった。
志賀直哉に噛みついた太宰治
本作「小僧の神様」は、金持ちの貴族院議員が、見ず知らずの貧しい少年(秤屋の小僧)に、美味しい寿司を奢ってやるという物語である。
少年をかわいそうに思って、議員は寿司を御馳走してやるのだが、その後で、ひどく淋しい気持ちになる。
Aは小僧に鮨を御馳走してやった事、それから、後、変に淋しい気持になった事などを話した。「何故でしょう。そんな淋しいお気になるの、不思議ネ」善良な細君は心配そうに眉をひそめた。(志賀直哉「小僧の神様」)
ちょっと考えた後で、細君は「ええ、そのお気持わかるわ」「そういう事ありますわ」「そんな事あったように思うわ」と、夫に共感を示す。
しかし、その理由は書かれていない。
この書かれていない余白の部分が、つまり、本作「小僧の神様」のテーマである。
金持ちの貴族院議員は、なぜ、淋しい気持ちになったのか?
「小僧の神様」を読んだ太宰治は、金持ちの傲慢だと、志賀直哉を公然と批判している。
この者は人間の弱さを軽蔑している。自分に金のあるのを誇っている。「小僧の神様」という短篇があるようだが、その貧しき者への残酷さに自身気がついているだろうかどうか。ひとにものを食わせるというのは、電車でひとに席を譲る以上に、苦痛なものである。何が神様だ。その神経は、まるで新興成金そっくりではないか。(太宰治「如是我聞」)
実は、太宰治は、自分の作品を貶された腹いせに、志賀直哉の作品に因縁を付けているのだが、太宰の指摘する「金持ちの傲慢さ」こそ、貴族院議員の淋しさの原因となるものだった。
金持ちの議員が、貧しい少年をかわいそうに思い、同情した気持ちは純粋なものである。
しかし、金持ちが貧しい者に施しを与えるという行為は、どんなに純粋な善意によるものであっても、その行為自体、金持ちの傲慢を含んでいると受け止められる可能性を抱えている。
そのことを知っているからこそ、寿司を御馳走した金持ちの議員は、自分の行為に淋しい気持ちを感じているのである。
つまり、この物語は、貧しい者に同情することの難しさを描いた作品なのだ。
困っている者を救済することにためらってはいけない
一方で、寿司を奢ってもらった少年は、寿司を御馳走してくれた金持ちに、心からの感謝を示す。
彼は悲しい時、苦しい時に必ず「あの客」を想った。それは想うだけで或慰めになった。彼は何時かは又「あの客」が思わぬ恵みを持って自分の前に現われて来る事を信じていた。(太宰治「如是我聞」)
少年にとって、金持ちの議員は「神様」である。
そこに、寿司を御馳走してやった男の救いがある。
稀に、太宰治のような狂人が、他人の善意に嚙みついてくるかもしれない。
しかし、他人に同情するということは、そのような「金持ちの傲慢」と呼ばれる批判を恐れてはならないのだ。
困っている者を救済することにためらってはいけない。
それが、この物語の隠された教訓なのである。
最後に著者は、小僧が男を訪ねていく場面を書こうと思って止めた、と綴っている。
小僧は其処へ行って見た。ところが、その番地には人の住いがなくて、小さい稲荷の祠があった。小僧はびっくりした。──とこう云う風に書こうと思った。然しそう書く事は小僧に対し少し惨酷な気がして来た。(太宰治「如是我聞」)
稲荷の祠があることが、どうして小僧に対して残酷なのか?
著者は、小僧に、人の善意を信じる気持ちを、信じたままにさせておきたかったのだ。
いつか一人前になったとき、もしかすると、かつての小僧は、貧しい少年に寿司を御馳走してやるかもしれない。
そうした善意の循環から成る社会をこそ、この物語は期待しているのである。
電車で高齢者に席を譲ることは恥ずかしいかもしれない(偽善と言われそうで)。
しかし、その恥ずかしさを乗り越えてこそ、「助け合うことのできる社会」というものが成立するのではないだろうか。
作品名:小僧の神様
著者:志賀直哉
書名:小僧の神様・城の崎にて
発行:2005/04/15 改版
出版社:新潮文庫