庄野潤三「組立式の柱時計」読了。
本作「組立式の柱時計」は、「新潮」昭和46年11月号に発表された短篇小説である。
作品集では『休みのあくる日』(1975、新潮社)に収録された。
明夫と良二の兄弟が登場する、いわゆる「明夫と良二」シリーズの作品だが、「上の女の子が結婚して、五人家族が四人になって最初に迎える冬」の時期の物語である。
ちなみに、姉の和子が結婚して家を出るエピソードは、『明夫と良二』(1972、岩波書店)の中で紹介されている。本作「組立式の柱時計」は、『明夫と良二』のその後を書いた作品である。
四人家族になったことについて、庄野さんは「人数はひとり減っても、別にそのためにさびしくなったようにも思えなかったし、不思議な出来ごととか怖い話を聞きたがるという点では、前とちっとも変りはなかった」と綴っている。
「明夫と良二」シリーズ全般の特徴だが、兄弟の言葉で語られる出来事に特別のストーリーはなく、日常生活の中の、一見目立たないようなエピソードが折り重ねられて、一篇の小説を構成している。
例えば、最初に登場するエピソードは、夜に窓の外に干してある白いシーツを見た時に、お化けだと思って怖かったと、明夫(長男・予備校生)が語る話である。
明夫が勉強している時は、庭に背中を向けている。窓があけてあって、外は夜の闇に包まれている時に、わざわざそっちを振り向くのがいけない。夏の間は、窓の戸をあけたままにしている。寝る時になって、雨戸を締める。それはいい。ただ、家の中に自分ひとりだけ起きているような夜中には、見ないでも済むところは見ない方がいい。(庄野潤三「組立式の柱時計」)
他愛ない話の中に「わざわざそっちを振り向くのがいけない」とか「見ないでも済むところは見ない方がいい」などといった、教訓めいた言葉が入っているところがいい。
その後で、良二(次男・中学三年生)が、「夜中に目がさめて、どっち向いて寝ているのか、ぜんぜん分からないことがある。あの時は、焦る」と言い始める。
寝相が悪すぎて、寝ているうちに、自分の頭がどこにあるのか、分からなくなってしまうらしい。
組立式の柱時計の細い鎖が垂れ下っている方に頭がないといけないのに、本棚の方に行っている。「そういう時にお便所へ行こうとすると、もうぜんぜん分らなくなるの」「それで部屋の中をさまようのか」と彼は言った。(庄野潤三「組立式の柱時計」)
「それで部屋の中をさまようのか」という庄野さんの言葉で、広くもない子ども部屋が、まるで大海原のような広い空間に変わってしまう。
「組立式の柱時計の細い鎖」は、昔の船乗りたちが航海の目印としていた、北極星のようなものであったのだろう。
庄野さんの手にかかると、ささやかな日常生活が、いかにも味わい深いものに思われてくるから不思議だ。
晩年の作品へと続くエピソードの原石
この後、物語は、良二の学校の友だちの話へと展開していくが、友だちの中には「帰り道が同じなので、暗くなった道をいつも一緒に歩いて戻って来る大沢武君」がいる。
「てけし」というあだ名のこの少年は、晩年の庄野文学の代表作である「夫婦の晩年シリーズ」にも登場している。
次男はとっくに結婚して独立して、フーちゃんという女の子の父親になっているのだが、そのフーちゃんの父親の学校時代からの友人が「てけし」である。
「てけし」が腕を骨折した状態で駅伝競走に出場したという話は、「夫婦の晩年シリーズ」の中でも、庄野さんの思い出として語られている。
その駅伝競走のエピソードが詳細に語られているのが、本作「組立式の柱時計」であって、一貫して日常生活を素材として小説を書き続けてきた庄野文学の軸の強さには、改めて驚かされた。
先ごろ、生誕101年を前に、夫婦の晩年シリーズの『せきれい』が、小学館のP+D BOOKSから刊行されたが、「夫婦の晩年シリーズ」を読んで庄野さんの読者になったという人は、ぜひ、庄野さんの昔の作品も読んでみるべきだと思う。
晩年シリーズの原型となるエピソードが、きっといくらでも見つかるだろう。
書名:休みのあくる日
著者:庄野潤三
発行:1975/2/5
出版社:新潮社