1994年、傷つきやすい青春をテーマにした映画が公開された。
作品名は「ラストソング」。
青春の傷みを伝えるこの作品を、今回は名台詞と一緒に振り返ってみたい。
ラストソングとは?
「ラストソング」は1994年に公開された映画。
東宝・フジテレビジョン提携作品で、製作は東宝とヅジテレビジョン、配給は東宝。監督はフジテレビドラマ「北の国から」の杉田成道、脚本は野沢尚。
主演は元・しぶガキ隊の本木雅弘、主演女優は安田成美。
その他、吉岡秀隆、倍賞美津子、石坂浩二、長岡尚彦、奥脇浩一郎、藤田晴彦。
本木はこの作品で東京国際映画祭で最優秀主演男優賞を受賞している。
プロローグ
これは、まだアナログのレコードに針が落ちていた頃、青春も音楽も、あの塩化ビニールのドーナツ盤のように傷付きやすかった頃の物語だ。
物語は倫子のナレーションをベースに進んでいく。
つまり、基本的にこの映画は倫子の視点から描かれているということになる。
そして、その始まりが、この倫子のつぶやきだった。
日本のリバプール
博多は一頃「日本のリバプール」とか呼ばれて、東京のレコード会社がこぞって青田買いにやって来たもんだ。連中を番組で歌わせて、プロデビューの道をあけてやったのはいいが、、、結局、東京の食い物にさせちまった。
地元福岡のラジオ局に勤める寺園圭介(テラさん)が新入社員の庄司倫子(リンコ)に説明するシーン。
博多はチューリップや甲斐バンド、海援隊、さだまさし、長淵剛など多くのミューシャンを輩出したことで知られている。
また、サンハウスやルースターズ、ザ・ロッカーズ、ザ・モッズなど優れたパンクロックバンドも多く、こうした博多出身のロックバンドは「めんたいロック」とか「めんたいビート」と呼ばれている。
本作に登場するシューレス・フォーも、そんなめんだいビートの系譜に位置づけられるロックバンドだった。
ここから上に昇るのはやめとけ
東京に行きたい。テラさんのところに相談に行くと、あんたは決まって「やめとけ、ここから上に昇るのはやめとけ」そう言ったよな。こげなちっぽけな街で俺たちをくすぶらせっとが、あんたの趣味だったとか!
東京でのプロデビューを目指す八住修吉(シュウちゃん)がステージ上から寺園を挑発するシーン。
音楽業界の食い物にされて埋もれていったミュージシャンを数多く見てきた寺園は、東京行きを安易には勧めない様子が伺われる。
太陽が死んだ朝に
この街で俺は生まれた 太陽が死んだ朝に
この街で俺は愛した 逃げ道が塞がれた夜に
燃え上がる 燃え上がる
この気持ち ただ歌い続けたい
修吉率いる地元ロックバンド「シューレス・フォー」が博多のライブハウスのステージで演奏する曲。
シナリオには「イーグルスの『ならず者』のような、誰かに愛されるんだ、誰かに愛してもらうんだ、手遅れにならないうちに、と語りかける友情の曲」と記されている。
作詞作曲は元エコーズの辻仁成。
ちなみに3番の歌詞では「最後の歌はお前のために歌わせてほしい、この気持ち伝えたいラストソング」というフレーズがあって、映画のテーマがさりげなく織り込まれている。
どうしてこの曲に「ラストソング」という言葉が盛り込まれているのか、いろいろと考えていくと興味深い。
鼻もちならない女だよ
金とか教養とか外ヅラでよ、人間を見るときは見下ろすか見上げるのかどっちかだ。人を小馬鹿にするのも、おべんちゃら使うのも得意ってわけだ。自分以外の女はどれもバカにしか見えなくて、裸の俺たちなんかちっとも見ようともしない、鼻もちならない女だよ、お前は。
シュウ吉と倫子の初対面シーン。
自分の生き方を「お嬢様学校を出てろくにロックもわからずにラジオ曲に就職してみんなにチヤホヤされて、、、」などと小馬鹿にされた倫子は「あんたの人生に比べたらかなりマシよ」とシュウ吉に毒づくが、そのときシュウ吉はこのセリフで倫子を泣かせてしまう。
強姦じゃねえよ。心中だ
「惚れたんだ」「強姦しながら、何言ってんのよ」「強姦じゃねえよ。心中だ」
ライブの翌朝、泥酔した倫子は修吉の部屋で目覚めたる。
何もなかったと聞いて安心したところ、修吉は倫子に襲いかかる。
修吉流の告白だった。
俺と一緒に死ぬか? 生きるか?
「俺と一緒に死ぬか? それとも、俺と一緒に生きるか?」俺と生きるか、死ぬか。その返事ができるまで、あたしは結局4年もかかってしまった。
倫子に襲いかかった時、倫子に馬乗りになった修吉がつぶやく言葉。
映画の中で重要なテーマになっている。
一緒にやるか殺してやるか、どっちかだ
惚れちまったよ、お前の音に。妬けちまってな、お前の才能に。こうなりゃ、一緒にやるか殺してやるか、どっちかだ。
修吉が稲葉一矢をバンドに勧誘したときの言葉。
修吉は一矢の才能に心から惚れ込んでいて、プロデビューのために一矢の才能が必要だと見極めていた。
すぐジジイぞ、こげん真っ暗闇にいたら
こげん暗闇の中ずっと、そげん風に歩いているつもりか? すぐジジイぞ、こげん真っ暗闇にいたら。
バンド勧誘に即答しない一矢に修吉が投げかけた言葉。
この時、一矢は20歳だった。
そのカンテラ、これから俺が持ってやるよ
そのカンテラ、これから俺が持ってやるよ。その光で、俺がお前の道を照らしてやるからな。
真夜中の鉄道構内、別れ際に修吉が一矢に叫ぶ言葉。
物語の中で「光」は重要なキーワードになっているが、その「光」を具現化したのが、深夜の車両点検のために一矢が使っているカンテラの光だった。
浜辺の唄
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も
映画の中では唱歌「浜辺の歌」が複数回に渡って使われている。
ノスタルジックな場面で、ロックと対照的なこの唱歌は非常に効果的な役割を果たしている。
旅の重さに、まだ気付いていなかった
その時あたしは、旅の重さに、まだ気付いていなかった。
倫子のナレーション。
「旅」はツアー巡業のことであり、若い彼らがプロとして生きていく上での生き様のことでもある。
そして、彼らの生き様は想像を超えて「重い」ものとなった。
犬たちの詩
いつも俺は吠えるばかりの繋がれた犬のような存在
勝ち目がないとわかったら逃げていた
たいしたこともやれないくせに 苦し紛れに大ほら吹いて
その日その日を胡麻化して生きていた
巡業先のクラブで歌うシューレス・フォーのデビューシングル。
作詞作曲は辻仁成。
ちなみにデビューシングルのジャケットは若き日の甲斐バンドのレコードを彷彿とさせる4人の写真が使われていた。
その後の展開で、修吉の作るこうした歌は既に時代遅れのものだということが判明する。
リコのこと、俺、好きだ
覚えていてほしいんだ。リコのこと、俺、好きだ。そういう気持ち、シュウちゃんなんかに負けないよ。自分より頭のいい女がどれだけ自分に尽くしてくれるか、あいつはいつもリコを試してるんだ。そんな奴に負けるかよ。
修吉にハメられた一矢を慰めようと追いかけてきた倫子に、一矢が告白するシーン。
まっすぐで純情な一矢のキャラクターが表現されている。
光あるうちにゆけ
君は夜明けだった
星が灯りをかかげている間
光あるうちに行け
君が愛をかかげているその間
この曲を披露して、一矢はソングライターとしての才能をも知らしめることとなり、その後のソロデビューへと繋げる。
作詞作曲は元甲斐バンドの甲斐よしひろ。ここで甲斐の作品が登場することで、博多から東京へ出てくるロックバンドのモデルのひとつとして甲斐バンドの存在が示唆されているような気がする。
俺たちを捨てろ、、、って
言ってあげて、一矢に。俺たちを捨てろ、、、って。
一矢の才能を見せ付けられた修吉を倫子が諭すシーン。
修吉を中心に回ってきた彼らの暮らしが、ここで大きく転換する。
今はとんがった歌じゃ誰も聴かない
今はとんがった歌じゃ誰も聴かない。暖かくないと聴いてくれないの。あなたは今の客をつかみそこねた。
プロデューサー青木祥子が修吉を切り捨てるシーン。
修吉は「俺は歌うぞ」と抵抗するが、結局は祥子の提案を受け入れるしかないことは、誰よりも理解していた。
「とんがった歌」が大好きだったロック少年にとっては痛い台詞だったけれど、時代は紛れもなく移り変わりつつあった。
どこが夜明けなんだよ
歯の浮くラブソングでリコを釣りやがって。君の夜明けだと? この女がお前の、どこにそんなものがあった? ここか? ここか? どこだ、一矢? こいつのどこにそんなものがあった? どこが夜明けなんだよ、一矢、言ってみろ!
バンド解散を迫られた修吉は怒りと悔しさで理性を失う。
倫子の体をまさぐりながら一矢を問い詰めるシーン。
激怒した一矢は修吉を何度も何度も殴り付ける。
泣けたんだ、お前の歌に
泣けたんだ、お前の歌に。
一矢に殴りつけられた修吉がつぶやく言葉。
結局、一矢の才能は、誰よりも修吉が理解していたのだ。
あれから3年経った
あれから3年経った。3年も経ってしまった。
倫子のナレーション。シューレス・フォーは解散し、修吉と一矢と倫子を残してメンバーは博多へと帰って行く。
そして3年。
一矢はロックシーンのスターダムをのし上がっていた。
とんがった詞なんかいらねえんだから
とんがった詞なんかいらねえんだから。あったかく包んでやりゃいいんだから。愛してるって言葉、5回入れりゃできるんだから。
新曲が作れなくて苦しむ一矢を、マネージャーになった修吉が慰める。
横にいる祥子を挑発するように「とんがった言葉なんかいらねえんだから」と薄笑いを浮かべる。
天下のイナバカズヤだ
そうだよな。今さら、愛だの恋だのチャラチャラしたモン歌えねえよな。1万3千人にチケット叩き返してやろうぜ。どうってことねえよ。天下のイナバカズヤだ。そうだよなあ、ゼニ儲けのために歌ってるわけじゃねえもんなあ、お前は。
コンサートを目前にして曲が作れなくて苦しむ一矢。
修吉はどこまでも祥子を挑発する。
後戻りはもうできねえんだよ
俺の夢はお前の夢だろうが。ずっと、俺たちはそうだっただろう? 俺とお前には流れてんだよ、同じ血が。だから、だからな、一矢、後戻りはもう、もうできねえんだよ、一矢!
独立を目論む修吉は、レコーディングスタジオ建設のための土地を購入しようと一矢を説得する。
あんたを信じてついて来たんだよ
何やってんだよ、シュウちゃん。ここでやろうよ、この草っぱらで。スタジオなんか欲しかないよ。レコード会社なんかいらないよ。俺たちはそうやって来たろ? あんたを信じてついて来たんだよ、俺は。思い出してよ。あんたはいつも、俺の前を歩いていたんだ。
スタジオ建設の夢を語る修吉に一矢は語りかける。
傷付きやすい少年の役をやらせると、本当に吉岡秀隆以上の役者はいないと思う。
泣きながら語るシーンは吉岡君の最高の武器だろう。
「北の国から」で培われてきたものは大きいなあ。
あの頃ってどの頃だ?
あの頃ってどの頃だ? 俺がお前らにツブされたあの頃か? 言ってみろ、どの頃だ? 俺と生きるか、俺と死ぬか、お前に聞いたあの頃か?
倫子から「あの頃に戻ってよ」と諭された修吉が逆ギレするシーン。
シュウちゃんを切りなさい
「シュウちゃんを切りなさい。あたしたちはお互いに、相手のつっかえ棒になってる。もたれ合ったり支え合ったり。この4年間ずっとそうだった」「リコとシュウちゃんは?」「別れる」
事務所移籍や独立を企む修吉を切り捨てるために、倫子は一矢を説得する。
3人で活動していく「潮時」が来ているということを倫子は理解していた。
みんな、行かないでくれよ
ここで生まれたんだよ。思い出してくれよ。シュウちゃんも連れてこようよ。3人でやり直そうよ。俺たち、壊れたらダメだよ。みんな、行かないでくれよ。
仲間を失いたくない一矢は倫子の説得にも抵抗する。
傷付きやすい少年の一矢は一人になることが怖かったのだ。
3人で選んじゃダメ
怖がらないで。一人になってしまうことを、自分が変わってしまうことを、怖がらないで。生きるっていうことは、精一杯生きるっていうことは、今の自分を変えることじゃないかな。あたしたちは40にもなるし50にもなるし60にもなるでしょ? だけど、今のまま、ただ40や50になっちゃいけないの。人のためとかさ、友だちのためとかさ、そういうことで生きてゆく時代は、たぶん、自分の足で通り過ぎなきゃいけないの。3人で選んじゃダメ。一矢の足で、あたしの足で、、、一人で選ぶの。
引き続き、倫子が一矢を説得するシーン。
本作品のメインテーマの部分で倫子の長い台詞の意味は、つまり「一人で生きろ」ということ。
ここまで仲間と生きて来れたけれど、ここから先は一人で生きていかなければいけない。
人はみなそういう瞬間をどこかのタイミングで迎えるものなのだ。
シュウちゃんが、俺の光だったんだ
「シュウちゃん、覚えてる? 真夜中の線路で俺に言った言葉。あの言葉があったから、俺、シュウちゃんとやってこれたんだ」「俺は、何て言ったんだ?」「そのカンテラ、これから俺が持ってやるって。その光で、俺がお前の道を照らしてやるって。シュウちゃんが照らしてくれたんだ。シュウちゃんが、俺の光だったんだ」
修吉を切り捨てた一矢が、泣きながら修吉に語りかける言葉。
一矢のソロデビューのきっかけになった作品「光あるうちに行け」が自分を歌った歌だということに、修吉は初めて気付くが、時間を巻き戻すことはもうできない。
個人的に、この映画の中で一番好きなシーンだ。
メソメソするな、一矢!
メソメソするな、一矢! 負けて逃げるわけじゃねえんだ、俺は。あきらめたわけじゃねえんだ、ばかやろー。また博多でつかまえてやるよ、凄え野郎を。アンプにギター繋いで喧嘩ふっかけてきて、口下手なくせして歌わせると言葉が妙に迫ってきて、だけど俺が道を照らしてやらないと、一人で歩いて来れない野郎だ。そいつと俺でやってやる。ライオンズをさらいやがった西武球場を俺たちで満杯にして、天下取ってやるよ。これが俺の夢だ。聞いたか、一矢、俺の夢だ! 待ってろ、すぐ追いついてやるよ。だから、、、ツブれたりしやがったら、承知しねえぞ。
泣き続ける一矢を、修吉は大きな声で怒鳴りつける。
最後のマネージャーとしての役割を、修吉は果たしたのだ。
友だちをなくしたことがありますか?
友だちをなくしたことがありますか? 俺は今日、大事な友だちをなくした。俺は今、一人だ。一人でいることが、こんなに寂しくて、こんなに怖くて、こんなに寒いことを、初めて知った。俺は歌うよ、あいつのために。ラストソングだ。
修吉と倫子が去ったコンサート会場で、一矢は一人ステージに立つ。
ここが一矢の新しいスタートになるが、未来への明るさや希望はない。
ラストソング
一人ぼっちで僕はどこまで
歩いてゆけるというのか
背負いきれぬ痛みの数だけ
夢を見てしまうのは何故だろう
映画タイトル曲。作詞作曲は吉岡秀隆。
傷つきやすいナイーブな少年の真骨頂が見られる。
作中で一矢が着用しているシルバーネックレスは、おそらく尾崎豊にもらったもの(シングルCDのジャケット写真でも着用している)。
尾崎は1992年に死んだばかりだったが、おそらく才能あるソングライターを演じる上で、吉岡君は尾崎豊の存在を大きく意識していたのではないだろうか。
この頃、吉岡君は「尾崎チルドレン」と呼ぶべき作品をいくつも発表、アルバムも制作している。
あれはボエームの「冷たい手」だったんですね
あなたたちと歩いた旅が、私にたくさんのことを教えてくれました。人間とはどんなに悲しいものか、傷つきやすいものか。それでもやっぱり素敵で、愛すべきものだということを、あなたたちが教えてくれたんです。これから私たちは別々の道を歩き始めるでしょう。だけどね、シュウちゃん。もし、あの時に戻れるとしたら、、、俺と死ぬか、俺と生きるか、もう一度そう聞かれたら、今の私だったら迷うことなく、、、あなたと生きます、そう答えるでしょう。あの朝、あなたが聴いていたオペラのアリアが何だったのか、私は今ごろ分かりました。あれは、ボエームの「冷たい手」、、、だったんですね。
倫子の最期のナレーション。
修吉と初めて出会ったその翌朝に、眠っている倫子の横で修吉がヘッドフォンで聴いていたアリアの曲名を、倫子は一人思い出している。
おわりに
僕はこの映画が死ぬほどに大好きで、映画パンフレットもシナリオフォトストーリーもサウンドトラックCDも、もちろんVHSビデオも持っているのだけれど、DVDだけは所有していない。
なぜなら、この作品は未だにDVD化されていないからだ。
お願いだから、この作品をDVD化してください(誰にお願いしたらいいか知らないけど)。
