ザ・タイマーズの『LONG TIME AGO』は「原子爆弾ブルース」である。
そして、同時に、それは「原子力発電所ブルース」でもあった。
あれから36年。
日本の原爆被害は「80年前」の物語となった。
清志郎が歌う「原子力発電所ブルース」
ザ・タイマーズの原子爆弾ブルース『LONG TIME AGO』は、1989年(平成元年)11月に発表された(アルバム『TIMERS』所収)。
それは、原子力発電所の時代だった。
我が国の原子力発電は,1989年に入って2基が運転を開始したことにより,1989年6月末現在,運転中のものは37基,発電設備容量は2,928万キロワットとなっている。これに建設中や建設準備中のものも含めた合計は53基,4,590万8千キロワットである。(『原子力白書(平成元年版)』)
『原子力白書(平成元年版)』(1989)によると、1989年(平成元年)現在で実際に稼働している原子力発電所は37基、計画中のものを含めると53基の原子力発電所が、日本に設置される予定だった。
2025年(令和7年)現在、日本で実際に稼働している原子力発電所は14基だから、日本の原子力発電所計画は、この35年間で大きく縮小してしまったことになる。
要因は、2011年(平成23年)3月の東日本大震災で被災した福島第一原子力発電所(東京電力)において、重大な原子力事故が発生したためである(日本の歴史で初めてのことだった)。
それまで、日本の電力業界は、一貫して原子力発電所の安全性を主張していた。
今、原発反対運動の矛先が原子力発電所の廃止に向いているが、もう少し冷静になってエネルギー問題を大所高所から考える必要があると思う。原子力は基本的に危険なものではない。(生田豊朗「明日のエネルギーを支える原子力発電のために」/『経営コンサルタント』1988/07)
「原子力発電所は安全だ」「原子力発電所は危険なものではない」と訴え続けてきた電力会社の主張は、福島事故によって一瞬にして崩れた。
「安全神話」の崩壊である。
斉藤和義が「ずっとウソだった」(2011)を歌った理由が、そこにはある。
この国を歩けば 原発が54基
教科書もCMも言ってたよ「安全です」
オレたちを騙して 言い訳は「想定外」
懐かしいあの空 くすぐったい黒い雨
ずっとウソだったんだぜ
やっぱバレてしまったな
ほんとウソだったんだぜ
原子力は安全です
ずっとウソだったんだぜ
ほうれん草食いてぇな
ほんとウソだったんだぜ
気付いてたろ この事態
(斉藤和義「ずっとウソだった」)
この大事故を契機として、原子力発電に依存する日本のエネルギー政策は大きな転換を余儀なくされることになる。
そして、こうした状況を、既に1989年(平成元年)に予言して歌っていたミュージシャンが、忌野清志郎(ザ・タイマーズ)だった。
ゼリー(忌野清志郎)は歌っている。
Long Time Ago 44年前
原子爆弾が落ちてきたことを
日本のお偉い人は一体どう考えてるんだろう?
Long Time Ago
44年たった今
原子爆弾と同じようなものが
おんなじこの国に次々と出来ている
(ザ・タイマーズ「ロング・タイム・アゴー」)
悪用される原子力エネルギーに対する怒りが、そこにはある。
ザ・タイマーズの原子爆弾ブルース「LONG TIME AGO」は、原子力発電所ブルースでもある。
過去の原爆被害を歌いながら、清志郎は、未来の原子力事故を歌っていたのだ。
Long Time Ago
44年たった今
まだ苦しんでいる人がいるのに
どうして原子力が そんなに大事なんだろう?
(ザ・タイマーズ「ロング・タイム・アゴー」)
1945年(昭和20年)8月の原爆被害は、決して歴史の中の物語ではない。
忌野清志郎は、実際に生きている1989年(平成元年)の日本に、原子爆弾の恐怖を歌い続けていたのだ。
80年前の原子爆弾ブルース
ザ・タイマーズの『LONG TIME AGO』は、日本で初めての「原子爆弾ブルース」である。
Long Time Ago 44年前
8月6日の朝 8時15分
何の罪もない人が 死んでいったのさ
Long Time Ago 44年前
人間の歴史で初めてのことさ
この日本の国に 原子爆弾が落ちたのさ
(ザ・タイマーズ「ロング・タイム・アゴー」)
原爆から44年が経過して、それは「昔話」になりつつある時代だった。
既に、戦争を知らない世代が(原爆を知らない世代が)日本社会の中核となり、太平洋戦争は(原子爆弾は)、歴史の教科書の1ページとなりつつあった。
曲名「LONG TIME AGO」は、そんな時代に対する焦りが象徴されている。
もちろん、原子爆弾は「昔々の物語」ではない。
なぜなら、「原子爆弾と同じようなもの」が、「同じこの国に次々とできていた」からだ。
原子力エネルギーに対する恐怖は、むしろ、日増しに高まっていた。
旧ソ連ウクライナ共和国の「チェルノブイリ原発」で、深刻な原子力事故が発生するのは、1986年(昭和61年)のことである。
RCサクセション(忌野清志郎)は『サマータイム・ブルース』(1986)を歌い、ザ・ブルーハーツは『チェリノブイリ』(1988)を歌った。
佐野元春が歌った『警告どおり 計画どおり』(1988)も、チェリノブイリ事故を歌った作品である。
新しい世代に「広島や長崎の原子爆弾は昔の物語ではない」という意識が増殖し始めていた。
広島や長崎の原子爆弾は、つまり、現代社会の恐怖でもあるのだ。
Long Time Ago 44年前
原子爆弾が 落ちてきて
何10万人もの人が死んでいったのさ
(ザ・タイマーズ「ロング・タイム・アゴー」)
昔々の物語は「44年前」から「80年前」の物語へと年を取った。
広島の原子爆弾は、本当に「LONG TIME AGO」へとなりつつあるのだ。
忌野清志郎が『LONG TIME AGO』を歌った時代から、既に36年が経過しようとしている。
大切なことは、我々は『LONG TIME AGO』を「LONG TIME AGO」にしてはいけない、ということだ。
日本の原爆被害は、決して昔々の物語ではない。
ずっとクソだったんだぜ
東電も北電も 中電も九電も
もう夢ばかり見てないけど
ずっとクソだったんだぜ
それでも続ける気だ
ほんとクソだったんだぜ
何かがしたいこの気持ち
ずっとウソだったんだぜ
ほんとクソだったんだぜ
(斉藤和義「ずっとウソだった」)
斉藤和義の祈りは、もう二度と「ずっとウソだった」のような曲が生まれてはならない、ということにある。
それは、1989年(平成元年)に、忌野清志郎が『LONG TIME AGO』で歌った祈りでもあった。
広島や長崎の原爆被害から80年。
『LONG TIME AGO』は、今も「LONG TIME AGO」ではないのだ。