村上春樹「村上朝日堂 はいほー!」読了。
本作「村上朝日堂 はいほー!」は、1983年(昭和58年)から1988年(昭和63年)にかけて『ハイファッション』に発表された作品を中心に収録されたエッセイ集である。
単行本は、1989年(平成元年)5月に文化出版局から刊行された。
この年、著者は40歳だった。
村上春樹が30代だった頃
74歳の村上春樹が書いた『街とその不確かな壁』を読み終えたら、若い頃の村上春樹の作品が読みたくなった。
でも、頭を使うのも嫌だったので、結局、書棚から選んだのは、エッセイ集の『村上朝日堂 はいほー!』である。
なにしろ、1983年(昭和58年)から連載されていた作品だから、最初の頃、村上さんは34歳である。
村上春樹にも34歳の頃があったのだ(当たり前だけど)。
今回の新作に繋がりそうな「青春と呼ばれる心的状況の終わりについて」は、「青春は終わった」という一文から始まっている。
もちろん僕はかつてその女の子のことが好きだった。でもそれは既に終わったことだった。だからつまり僕がずっと大事に守ってきたのは、正確に言えば彼女ではなく、彼女の記憶だったのだ。彼女に付随した僕のある心的状況だったのだ。(村上春樹『村上朝日堂 はいほー!』)
なんだか、新作の話と似ていますよね?
もしかすると、村上春樹という作家は、こうした「青春の終わり」みたいなものを、ずっと引きずりながら小説を書き続けてきた作家だったのかもしれない。
「ひとり旅」は、一人旅している電車の中で、女性と一緒になったときの対応について綴られている。
別に電車の中で女性と一緒だろうが男性と一緒だろうが、あまり関係ないような気がするけれど、村上さんは、電車の中で女性と一緒になったときの対応について、割と真剣に苦悩している。
トルーマン・カポーティの短編に『夜の樹』というのがある。これはギターを抱えてひとり旅する若い女の子の話である。彼女は夜行列車の中で風変わりな老夫婦と同席して奇妙な体験をするのだが、僕はこの話がとても好きで、列車の中でひとり旅の女の子に会うといつもこの短編を思い出してしまう。(村上春樹『村上朝日堂 はいほー!』)
カポーティの「夜の樹」は、僕も好きな作品だ。
「おい、おっさん、それけっこう貧乏だぜ」
「どんな髭剃りにもその哲学がある」という有名なフレーズが登場するのは、「無人島の辞書」。
それから──これは小説のどれかの中で使ったと思うんだけれど──「どんな髭剃りにもその哲学がある」というのも僕の大好きな格言的例文のひとつである。高校時代に読んでそのときに「うーむ」とうなって、それ以来ずっと頭の中に刻みこまれているわけだが、残念ながら正確な英文は忘れてしまった。(村上春樹『村上朝日堂 はいほー!』)
「小説のどれかの中で使った」とあるのは、『1973年のピンボール』のことである。
このエピソードは、『ランゲルハンス島の午後』というエッセイ集にも登場しているので、村上さんは、よほどこの例文が好きだったのだろう。
作家・村上春樹を知る上で興味深いのは「スコット・フィッツジェラルドと財テク」で、ここでは村上さんの好きな三人の作家の名前が登場している。
好きな作家を三人選べと言われたら、すぐに答えられる。スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーティ。この三人の小説だけはかれこれ二十年くらい飽きもせずに何度も何度も読みかえしている。(村上春樹『村上朝日堂 はいほー!』)
長い旅行をするときには、フォークナーとディッケンズが、これに加わるそうだ(旅行ででもなきゃ読む気になりづらいようだけど)。
個人的に一番好きなのは「貧乏はどこに行ったのか?」。
日曜日の朝に家の近所を散歩していると、U首シャツにだらっとしたバミューダ・ショーツ、ゴム草履という格好のお父さんがマンションの駐車場でいとおしそうに白いメルセデスを洗車しているという光景を見かける。そういうのを見ると僕は「おい、おっさん、それけっこう貧乏だぜ」と思う。(村上春樹『村上朝日堂 はいほー!』)
この「おい、おっさん、それけっこう貧乏だぜ」というのが僕は大好きで、日曜日の朝に住宅街を散歩しながら、だらしない格好で高級車を洗車しているお父さんを見つけるたびに、「おい、おっさん、それけっこう貧乏だぜ」と心の中でつぶやいている。
書名:村上朝日堂 はいほー!
著者:村上春樹
発行:1992/05/25
出版社:新潮文庫