池田葉子『マイ・フォト・デイズ~カメラと暮らす、楽しい日々~』読了。
本作『マイ・フォト・デイズ』は、2008年(平成20年)3月に枻文庫から刊行された写真エッセイ集である。
この年、著者は43歳だった。
カメラを使った自分探し
「暗黒のゼロ年代」を象徴するカルチャーとして「写真ブーム」がある。
当時の写真ブームは、若い女性の活躍が目立ったことや、トイカメラに代表されるフィルムカメラが主流だったことなどから、いわゆる「スローライフ」の文脈によって解釈される部分が大きかった。
当時の写真ブームを牽引した『カメラ日和』の創刊は2005年(平成17年)で、2007年(平成19年)には『女子カメラ』も創刊されている。
写真愛好家の作品が収録された写真集『Camera People(カメラピープル)』は、2006年(平成18年)から2008年(平成20年)まで、計3冊が刊行された。
そして、同じ時期、フィルムカメラやトイカメラに関する(初心者向け)書籍が、相次いで刊行されている。
あの時代、人々はなぜ「カメラ」という世界に、あんなにも惹かれていたのだろうか。
あれから20年を過ぎた今、振り返ってみると、それは「どん底の日本」と決して無関係ではなかったことが見えてくる。
例えば、「どん底」の2008年(平成20年)に、枻(エイ)文庫から刊行された『マイ・フォト・デイズ』は、写真歴5年というアマチュア写真家(池田葉子)の写真とエッセイを収録した作品集である。
写真をはじめて5年。気がつくと写真漬けの日々になっていた。買い物でパチリ、散歩でパチリ…。いつでもどこでも撮る。身近な風景を、大好きな物を、感性のままに撮るのが私のスタイル。ロモLC-A、ローライフレックス、ポラロイドSX-70…。大好きなカメラで今日も撮影に出かけよう。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
初心者にしか伝えられないものを、初心者の目線から伝えたい。
それが、本書のコンセプトだった。
2000年代の写真初心者である作者の写真やエッセイには、ゼロ年代という暗黒の時代が有していた「暗い時代の影」がある。
写真を撮り始めた頃、何を撮っていいのかさっぱりわからず、ただあてずっぽうにレンズを向けることが多かった。(略)ところがファインダー越しに見ると「撮りたい!」と思わせるものが必ず出現する。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
当時の写真ブームは、「いいね」狙いの「インスタ映え」な写真とは違って、自分の中の「何か」を表現したいという欲求が、ブームの形で現れたものだったように思う。
それは、とても不安定な時代だった。
終わりの見えない就職氷河期と派遣切りが生みだす格差社会の中で、ワーキングプアの若者たちが日本中をさまよっていた。
「♪日本の未来は世界が羨む恋をしようじゃないか~」と(若い女性グループのモーニング娘が)半ばヤケッパチで歌わざるを得なかったほど、日本の未来は「お先真っ暗」だったのだ。
彼らは、自分の中に潜む「不安」の姿を、どうにかして具現化(ビジュアル化)しようとしていた。
その頃、流行したトイカメラのひとつ「HOLGA(ホルガ)」は、「魂を写すカメラ」と言われている。
「世界で唯一魂を持つカメラ」「キングオブトイカメラ」「カルトカメラ」などとうたわれるホルガ。(略)魂を持つカメラ…というのも、あながちウソではないのかもしれないなと、自己満足できる写真がかなりの確率で撮れる。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
彼らが求めているのは「インスタ映え」するようなオシャレ写真でも、歴史に残るドキュメンタリー写真でもない。
彼らが写したかったもの、それは彼ら自身の存在だった。
「HOLGA」は、自分の内面に潜んでいるもの(つまり魂)を具現化するカメラとして、多くの愛好家によって支持された。
「LOMO LC-A」と「HOLGA」が、当時のトイカメラブームを牽引するカメラだったと言っていい。
不完全なカメラを用いることで、彼らは自分自身の不完全な内面を撮影しようとしていた。
写真にはその時々の自分自身が写る。そのことを初めて知ったのは、この写真を撮ったときではないかと思う。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
暗黒の時代とは、人間の存在が歴史的に軽かった時代を意味している。
「見えない自分」にもがく若者たちは、写真を撮ることによって自分自身の存在を確認していたのだろうか。
写真データをチェックしていると、自分の影が写り込んでいる写真が、意外と多いことに気が付く。(略)しかし、本当のところは写真を撮られることが大嫌いな私。だから自分が写っている写真がほとんどない。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
彼らが本当に見たいものは、写真には写らないものだったかもしれない。
奇跡の一枚を狙った自撮りには写らない、本当の自分。
だから、彼らは、自分以外のものを撮ることで、本当の自分自身を見つけようとしていた。
私はあまり花を撮らない。「撮りたい」という気持ちに駆り立てるものは、誰も見向きもしないようなサビやゴミが多いのである。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
彼らが積極的に「汚れたモノ」を愛していたとは思われない。
ともすれば見過ごされてしまいそうな「サビ」や「ゴミ」の中に、彼らは自分自身の残像を見つけていたのだ。
風雨にさらされて、独特な変貌を遂げるサビの美しさは見事だ。(略)私もこんなふうに周りと調和するように老いていきたい。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
もちろん、当時の写真愛好家が、そんな難しいことを考えながら、写真を撮っていたわけではないだろう。
彼らは、ただ、自分の中に潜む「不安」の正体を、カメラというツールを駆使することによって確かめたいと考えていただけなのだ。
それは、カメラを使った自分探しとも言える。
誰もが(日常生活の中で)自分探しの旅をしていた。
もう一度、あの時の快い気持ちに浸りたくて、数日後に再びこの場所を求めて探し歩いた。その後も何度も何度もこの場所を探している。しかし、いくら探しても、未だに見つけ出すことが出来ないでいる。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
当時の写真雑誌や写真集には、「本当の自分」を探し続けている人たちの不安や焦りが写されているのではないだろうか。
それは、ゼロ年代という「暗黒の時代」を生きる人々の、社会的な不安だったかもしれない。
トイカメラを使った異世界転生
暗黒の時代に流行したもの、それが「トイカメラ」である。
彼らは、デジタルカメラによるリアルな写真を、できるだけ回避しようとしていた。
なぜなら、彼らは、リアルな(現状の)生活に満足できていなかったからだ。
ちなみに「リア充」という言葉が一般に広まったのは2007年(平成19年)頃で、この言葉もまた「リアルが充実していない人」の存在を意味づける、格差社会の中で生まれたものだった。
現状に満足できない人々は、リアルを非リアルへと変換してくれるトイカメラに救いを求めた。
そうなのだ。ロモLC-Aのファインダーを通して見た景色は、肉眼で見るのと全く違うのだ。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
ロシア製のフィルムカメラ「LOMO LC-A」は、非現実の世界を見せてくれた。
「好きな色はなに?」と聞かれて必ず答える色は青。(略)特に秋空の紺色がかった深い青が好き。そんな秋空をポジフィルムを詰めたロモLC-Aで撮影すると、かなり高い確率で私好みの青空が撮れる。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
ポジフィルムを使うのは、できるだけ濃い青色を引き出すためだ。
LOMO LC-Aのレンズは、濃い色(特に青が顕著)のものを撮るほどに、トンネル効果がはっきりと現れる。
だから、「ロモグラファー」と呼ばれるLOMO愛好家は、好んで青空の写真を(ポジフィルムを使って)撮影した。
ある意味で、それは「異世界転生」と同じような意味を持っていたのかもしれない。
彼らは現実世界にはないものを求めて、トイカメラの世界に遊んだ。
異世界転生カメラの主人公は、まさしく「LOMO BOY(ロモボーイ)」である(ロモのシャッターカバーにプリントされた少年キャラクターのこと)。
コードネーム「アラジン」で開発設計が進められたポラロイドカメラ「SX-70」は1972年に発売された。(略)特にレトロな色合いや優しい描写で撮りたい時、あるいは光そのものを表現したいときに、私はよくこのカメラを使う。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
ポラロイドカメラ「SX-70」もまた、異世界を見せてくれるカメラだった。
川崎市にあった専門店「SX-70 by SWEETROAD」まで、聖地巡礼に出かけたポラロイド・マニアは多い(2017年に閉店)。
「LOMO LC-A」の明確な画像とは異なり、「SX-70」は、まるで遠い記憶のように淡い世界を見せてくれた。
トイカメラやポラロイドカメラは、現実の生活に満足できない人々の不安を癒してくれた。
本当の自分探しをしながら、彼らは、本当の自分自身を直視することに脅えていたのかもしれない。
現実を鮮明に写すデジタル一眼レフカメラよりも、画質が鮮明ではない古いレンズを持つフィルムカメラが人気を集めた。
直視できない現実を、彼らは生きていたのだ。
写真を撮るという行為は、風景の一部を切り取るということである。普通に見ている時には、視界に入るすべてのものを捉えているのだが、ファインダーというフレームの中に切り取ることによって、普段とは全く違う世界が作り出される。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
フィルムカメラは(特にトイカメラは)、「普段とは全く違う世界」へと案内してくれる、自分探しの優秀なガイドとして機能している。
本当の自分を見つけるために、そして、少しでも居心地の良い異世界へと転生するために、彼らは理想のカメラを探した。
おもちゃっぽさにかけてはホルガに次ぐのがこのカメラ。アメリカのVivitar社が製造・販売しているトイカメラだ。(略)22ミリの超広角レンズが描く世界は思いがけない迫力があり、四隅の光量落ちによるトンネルエフェクトはものすごく、アーティスティックな写真に仕上がる。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
この時期、ブームに支えられて、様々なトイカメラが登場している。
「Vivitar Ultra Wide&Slim(ヴィヴィター・ウルトラワイド&スリム)」は、超広角レンズと激しいトンネル効果で、日常生活を簡単に「非日常の世界」へと変換してくれるカメラだった。
「LOMO LC-A」よりも、広い世界を見せてくれることが最大の魅力だったと言える(のちに、17mmの超広角レンズを搭載したハーフカメラ「Lomo LC-Wide」が登場した)。
まるで、現実世界から逃避するように、カメラのファインダーを覗き続けていたあの頃。
リアルな街を歩きながら、心は「ここではないどこか」を歩いていたような気がする。
それが、ゼロ年代というカメラブームの時代だった。
結局私が撮りたいものって何だろうと考えてみた。(略)もう用済みの秤。もう使われなくなったレトロな入れ物。長い年月鍵をかけられたままの倉庫。打ち捨てられた空き缶。草木に覆われていずれ見えなくなってしまうだろう廃墟の扉。(池田葉子「マイ・フォト・デイズ」)
作者は、世の中から見棄てられたしまったかのような「不完全なもの」にファインダーを向け続けている。
本書『マイ・フォト・デイズ』の魅力は、そんな作者の視点にあったのではないだろうか。
あまりも多くの若者たちが「見えない人間」と化していた時代。
「用済みの秤」や「打ち捨てられた空き缶」は、社会的な共感を得ることのできる素材だったのである。
やがて、2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災を経て、彼らは現実と向き合い始めた。
いつまでも「異世界」で遊び続けているわけにはいかないことに、誰もが気付き始めていたのだ。
「非日常からの脱出」という写真ゲームからの脱出。
自分探しのカメラブームは終焉を迎え、『カメラ日和』も『女子カメラ』も姿を消した。
時々、古い写真を見返しながら、こんなことを思う。
あの頃の自分は、いったい何を探していたのだろうかと。
書名:マイ・フォト・デイズ~カメラと暮らす、楽しい日々~
著者:池田葉子
発行:2008/03/30
出版社:枻(エイ)文庫





