村上春樹『ねじまき鳥と火曜日の女たち』考察|『ねじまき鳥クロニクル』との違い
村上春樹の『ねじまき鳥と火曜日の女たち』は、長編小説『ねじまき鳥クロニクル』の原型となった短編小説である。
『ねじまき鳥と火曜日の女たち』と『ねじまき鳥クロニクル』では、どのような違いがあるのか?
この記事では、『ねじまき鳥と火曜日の女たち』のあらすじを整理するとともに、『ねじまき鳥クロニクル』との違いについて考察していきたい。
3行でわかる『ねじまき鳥と火曜日の女たち』
日常(平穏な家事と奇妙な電話)
失業中の「僕」が火曜日の午前、スパゲッティを茹でていると、見知らぬ女から「10分間だけ時間をちょうだい」という奇妙な電話がかかってくる。
事件(失踪した猫と空き家の庭)
妻から頼まれて姿を消した飼い猫を探しに出た「僕」は、近所の路地を抜け、空き家の荒れた庭で、サングラスをかけて日光浴をする風変わりな少女と出会う。
結末(猫の不在と不穏な余韻)
猫は見つからないまま、「僕」は少女やねじまき鳥をめぐる奇妙な出来事に遭遇し、帰宅後には妻から猫を「見殺しにした」と責められる。最後には再び電話が鳴り、不穏な余韻を残して物語は終わる。
『ねじまき鳥と火曜日の女たち』の簡単なあらすじ
法律事務所を退職して無職となった「僕」は、火曜日の午前、ひとり台所でスパゲッティを茹でていた。そこへ突然、見知らぬ女から「10分間だけ時間をちょうだい」と、奇妙で性的なニュアンスを含む電話がかかってくる。取り合わずに電話を切った「僕」だったが、その不可解な電話によって、平穏だった日常に小さな違和感が入り込んでくる。
その後、仕事中の妻から電話が入り、姿を消した飼い猫を探してほしいと頼まれる。「僕」は妻に教えられた近所の路地へ向かい、空き家の荒れた庭に足を踏み入れる。そこで出会ったのが、サングラスをかけて日光浴をしている風変わりな少女だった。少女は後の『ねじまき鳥クロニクル』に登場する笠原メイにつながる人物である。
「僕」は少女と奇妙な会話を交わすが、結局、猫を見つけることはできない。さらに、近所の木立からは、妻が「ねじまき鳥」と名づけた、ねじを巻くような不思議な鳥の声が聞こえてくる。
帰宅した「僕」は妻から「あなたが猫を見殺しにした」と責められる。そして最後には、再び電話のベルが鳴り始める。誰も受話器を取らないまま、物語は不穏な余韻を残して幕を閉じる。
【考察】『ねじまき鳥と火曜日の女たち』と『ねじまき鳥クロニクル』との違い
『ねじまき鳥』長編と短篇の違いの比較表
| 比較項目 | 短編『ねじまき鳥と火曜日の女たち』 | 長編『ねじまき鳥クロニクル』 |
|---|---|---|
| 刊行形態 | 1986年(『新潮』1月号初出/短編集『パン屋再襲撃』収録) | 1994〜1995年(全3部の長編) |
| 物語の範囲 | 火曜日の午前から始まる、猫の失踪をめぐる短い出来事 | 1984年から1985年を中心に、妻の失踪と過去の記憶が交錯する長編 |
| 主人公の状況 | 無職の「僕」(元法律事務所勤務) | 法律事務所を辞めた岡田トオル(30歳) |
| 妻の状況 | 仕事を持ち、物語の時点では健在 | 妻・クミコが突然失踪する |
| 探す対象 | 消えた飼い猫(ワタナベ・ノボル) | 消えた飼い猫(ワタヤ・ノボル)と、失踪した妻・クミコ |
| 対立項 | 明確な敵対者は登場せず、日常に不可解な出来事が入り込む | 妻の兄・綿谷ノボルを中心とする対立構造 |
| 異界への接近 | 近所の空き家の庭、ねじまき鳥の声 | 空き家の井戸、井戸を介した意識・空間の越境 |
| 歴史・社会性 | 個人の日常に入り込む不安や違和感が中心 | ノモンハン事件、満州・旧日本軍の暴力など、個人を超えた歴史的記憶へ展開 |
| 文学的スタンス(批評的な読み) | 日常から距離を置き、不可解な出来事を観察する主人公 | 妻の失踪や歴史的暴力に自ら関わり、行動する主人公 |
① 日常の裂け目から深淵へ
短編では、パスタを茹でる静かな日常に「奇妙な電話」「いなくなった猫」「空き家の庭で日光浴をする少女」といった異物が次々と入り込み、日常に生じた亀裂を予感させる。一方、長編では、その亀裂が妻クミコの失踪へと発展し、主人公は枯れた井戸の底へ降り、現実と異界の境界を越える体験へと踏み込んでいく。
② 「悪」の具体化
短編の猫の名前は「ワタナベ・ノボル」だが、長編では猫の名前が「ワタヤ・ノボル」に変わり、さらにクミコの兄として「綿谷ノボル」という人物が登場する。長編では、短編に漂っていた漠然とした不穏さが、綿谷ノボルという具体的な対立者を通して、「悪」や暴力の問題として可視化されていく。
③ 個人から歴史へ
短編が郊外の日常に生じる小さな異変を描いていたのに対し、長編では加納マルタ・クレタ、本田さん、間宮中尉らが登場し、物語の射程が大きく広がる。とりわけ間宮中尉によって語られるノモンハン事件の記憶と満州での凄惨な体験は、主人公の個人的な問題を、戦争・暴力・歴史の記憶というより大きな問題へと接続していく。
【解説】短編小説から長編小説への発展
村上春樹の長編小説には、しばしば、その原型となった短編小説が存在する。
『ノルウェイの森』における短編『蛍』と、『ねじまき鳥クロニクル』における短編『ねじまき鳥と火曜日の女たち』が、その代表例だろう。
『ねじまき鳥と火曜日の女たち』は、『新潮』1986年(昭和61年)1月号に発表された後、短編集『パン屋再襲撃』に収録された短編小説である。
猫がいなくなったことをきっかけに、妻との不和が表面化する夫婦を描いた物語である。
もちろん、二人の背後には、ずっと以前から潜在的な問題があったのだが、それが可視化されていく入り口を描いた作品が、この短編小説だった。
短編では、将来に対する夫の不安だけが浮き彫りにされていて、物語の結末に救いはない。
おそらく、夫の不安を徹底的に掘り下げていったところで現れてきたのが、戦争の記憶にまでつながる「心の闇」だったのだろう。
『ノルウェイの森』が村上春樹を代表する大ベストセラーとなった一方、『ねじまき鳥クロニクル』は海外で「Haruki Murakami」の評価を一気に高める名作となった。
短編小説と読み比べてみることで見えてくる長編小説の謎というものが、もしかすると、あるのではないだろうか。
まとめ│救いようのない不安を抱えて
本作『ねじまき鳥と火曜日の女たち』は、もはや短編小説単体として読むことが難しい作品となってしまった。
謎の少女は「笠原メイ」であり、謎の電話は「妻・クミコの深層心理」である。
長編『ねじまき鳥クロニクル』を知っている人には、どうしてもそのような読み方がつきまとってしまうからだ。
それでも、短編『ねじまき鳥と火曜日の女たち』には、やはり、短編小説でしか表現することのできない余韻がある。
名前を付けることも難しい、救いようのない不安。
その不安を解消するための作品が、長編『ねじまき鳥クロニクル』だったのかもしれない。
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本作を収録した短編集『パン屋再襲撃』については、次の記事で詳しく解説しています。
▶ 村上春樹『パン屋再襲撃』全6編あらすじ解説|短編集の魅力と収録作一覧
また、長編『ねじまき鳥クロニクル』については、次の記事で詳しく解説しています。
▶ 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』あらすじと考察|なぜ最高傑作なのか
