イタリア映画『丘の上の本屋さん』(2021)を観た。
古本屋が登場する映画には、わりかし悪くない作品が多い。
文学を通じた老人と少年との交流
本作『丘の上の本屋さん』は、年老いた古書店主(リベロ)と、貧しい移民の少年(エシエン)との交流を描いた、ハートウォーミングな人間ドラマの物語である(少年は、西アフリカにあるブルキナファソの出身)。
おそらく、この映画には、人種差別を戒めるメッセージが込められているのだろう(映画は、アドルフ・ヒトラー『我が闘争』の初版本を求めるネオナチの若者から始まり、『世界人権宣言』で終わる)。
しかし、物語(映画)は深い(古書店主リベロが言ったように)。
「この小説をひと言で表すとしたら何かな」「復讐」「たぶん、それが正解だろう。それでも、よく考えれば、もっと思いつくはずだ。物語というのは、とても奥が深い。最初に感じたことが、全てじゃないんだ。読むことで、じっくり考える時間ができる」(映画『丘の上の本屋さん』)
「最初に感じたことが、全てじゃないんだ」という、リベロの言葉がいい。
老人と少年との交流を主軸として、様々な人生が、この物語の中には織り込まれている。
ゴミ箱から発見された古い日記(1950年代のもの)も、そのひとつだ。
『イソップ物語』、『ピノッキオの冒険』(カルロ・コッローディ)、『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)、『アンクル・トムの小屋』(ストウ夫人)、『白い牙』(ジャック・ロンドン)、『白鯨』(メルヴィル)。
様々な文学作品を通して、老人は、少年に、人生とは何かを伝えようとする。
「注意深くお読み。本は2度味わうんだよ」「どうして?」「最初は理解するため。2度目は、考えるためだ」(映画『丘の上の本屋さん』)
「本は2度味わうんだよ」という言葉は、「最初に感じたことが、全てじゃないんだ」に呼応している。
すべての読書好きと人と共有したい、素敵な言葉だと思う。
「紙の本」を好きな人なら共感できる
折々に登場する脇役の来店客がおもしろくて、とりわけ、印象深いのは、古い自著を探す大学の先生だろう。
「正直に言って、もう諦めてるんだ。どうやっても、手に入らないかもしれん。でも、一日だけでもかまわない。もう一度だけ、触ってページをめくる感触を味わいたい。せめて、紙の匂いをかぐだけでいいんだ」(映画『丘の上の本屋さん』)
電子書籍に対するアンチテーゼが、この場面には含まれている。
「ページをめくる感触」も「紙の匂い」も、それは、本当に紙の書籍が好きな人でなければ分からない、本の醍醐味だ。
何より、一冊の書籍に対する情熱が、古書店主の共感を呼ぶ(そして、鑑賞者の共感も)。
本作『丘の上の本屋さん』は、とりたてて、すごい映画というわけではないけれど、誠実に製作された、まっとうな映画ではある。
そして、こういうまっとうな映画こそが、既に現代では貴重な映画となってしまっているのかもしれない。
紙の本が、古い時代のものとなってしまったのと同じように。