読書体験

小沼丹「鶺鴒」井伏鱒二や吉岡達夫と一緒に埼玉県弘光寺の案内で埴輪造りの名人を訪ねる

小沼丹「鶺鴒」あらすじと感想と考察

小沼丹「鶺鴒」読了。

本作「鶺鴒」は、1978年(昭和53年)10月『群像』に発表された短篇小説である。

この年、著者は60歳だった。

作品集としては、1980年(昭和55年)9月に河出書房新社から刊行された『山鳩』に収録されている。

電車に乗り遅れて、酔っぱらって井伏さんを待たせて

本作「鶺鴒(せきれい)」は、井伏鱒二と一緒に弘光寺を訪ねたときの思い出を綴ったものである。

昔、春の一日、埼玉県の弘光寺と云う寺に行って、それから隣町にある埴輪造りの名人の工房を訪ねたことがある。「──埴輪造りの名人がいて、その名人の話を聴きに行くことにしたんだが、どうだ、一緒に行かないかね?」清水町先生に誘われて、友人の吉岡と一緒に随いて行った。(小沼丹「鶺鴒」)

弘法寺を訪ねるのは、これが二度目で、十年前のときには新しい消防車に乗せられた。

消防車の助手席に座った井伏さんを見て、子どもたちが「あっ、村長さんだ!」と叫んだというエピソードは、「埴輪の馬」(1976)に詳しい。

二度目のときは<某誌の某君>も同行することになっていて、上野駅で待ち合わせる予定だったが、小沼丹と吉岡達夫の二人は、なんと列車に乗り遅れてしまう。

この小説の前半は、列車に乗り遅れた後、後発の急行列車で井伏さんに追いつくまでの話である。

熊谷の次の駅で合流したとき、清水町先生は「──何だ、君達はもう来ないのかと思ってたよ」と言ったそうである。

駅に着くと、弘光寺さんが、このときもやっぱり消防車で迎えに来ていた。

それから、みんなで埴輪の名人を訪ねるが、小沼さんと吉岡さんの二人は、工房をちょっと覗いただけで、すぐに散歩に出かけてしまう。

酒場を見つけて、二人でビールを飲んで戻ると、井伏さんたちは、すっかりと待ちくたびれてしまっていた。

いい気分で工房へ戻って見ると、録音は疾うに終っていたらしい。みんな待ち草臥れたような様子だったかもしれない。恐縮して、雨宿りしていたものですから、と云い掛けたら、「──君達はビイルを飲んでいたんだろう。ちゃんと判ってるんだ」と先生が云ったから吃驚した。(小沼丹「鶺鴒」)

電車に乗り遅れて、酔っぱらって井伏さんを待たせて、というのが、この物語の大きな話題となっている。

埴輪の名人なんかほとんど登場しないで、酒場の女と馬鹿話をしたことなんかが楽しそうに描かれている。

記憶に残る旅というのは、そういうものなのかもしれない。

「どうも済みません」が口癖の婆さん女中

物語の後半は、旅館に泊まったときの話だが、本当に書きたかったのは、この旅館の話だったのかもしれない。

ここに登場する<莫迦に小さな、眼玉ばかり大きな婆さん女中>こそ、この物語の主人公となっているような気がするからだ。

部屋に案内されたと思ったら、いきなり本館の方へ移ってくれと言い始める。

仕方なく引越しをすることにして立ちあがると、「──どうします? 移りますか? それとも此方にしますか?」なんて言ってるから、みんな唖然としてしまった。

しかも、引っ越してみると、最初の部屋と替り映えのしない部屋で、「婆さんがどう云う料簡だったのか見当も附かない」と、みんなで訝しむ。

酒を飲み始めていると、遠くから「影を慕いて」のレコードが聞こえてきた。

吉岡も聞いたのだろう。「──古い唄をやっているな……」と云ったが、それを聴いたら、或る晩、吉岡が電話を掛けて来たのを想い出した。十二時過ぎてたと思うが電話が掛って来たから受話器を取上げたら、吉岡の酔った声で、いま新宿の或る酒場にいるが、この店の何とか子は唄が上手い、いまから「影を慕いて」を歌うから聴いて呉れと云う。(小沼丹「鶺鴒」)

突然に出てくる吉岡さんの、このエピソードが楽しい。

吉岡に「おい、電話を掛けたの、憶えてるか?」と訊くと、吉岡の隣に控えていた婆さんが「──どうも済みません、ちっとも憶えていませんで……」と答えたから、大いに面食って「あんたに云ったんじゃない」と言うと、また「どうも済みません」と言った。

どうやら、この婆さん女中の口ぐせは「どうも済みません」らしくて、井伏さんが何とか言っても、ひたすらに「どうも済みません」を繰り返すだけだった。

これは后になってからの話だが、考えてみると、あの婆さんも面白い奴だったな、と吉岡が云って可笑しかった記憶がある。面白いと云えば、少々面白過ぎたかもしれない。そのとき吉岡は、あの婆さんはこれ迄ずっと、どうも済みません、と云い続けて暮して来たんだろうな、とも云ったが、この言葉にはちょっと感じがあった。(小沼丹「鶺鴒」)

吉岡さんの言葉を聞いて、小沼さんは「一体婆さんはどんな道を歩いて来たのかしらん?」と考える。

そして、「何だか淋しい気がした」とつぶやいた後に続けて「案外、当人は何とも思っていなかったかもしれない」と締めくくっているところは、まさに小沼マジックだ。

感傷的になりそうな場面では、必ず少し距離感を置いた言葉で感情に流されるのを押しとどめる。

それが、逆に不思議な余韻を生み出しているのが、小沼文学の味わいというやつである。

小沼さんの小説を好きな人というのは、きっと、みんな、この余韻を楽しみにしているんだろうな。

井伏さんも吉岡さんも登場していて、すごくいい短篇小説だった。

作品名:鶺鴒
著者:小沼丹
書名:小沼丹全集(第三巻)
発行:2004/08/25
出版社:未知谷

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。