大島一彦「寄道 試論と随想」読了。
本作「寄道 試論と随想」は、1999(平成11年)8月に旺史社から刊行されたエッセイ集である。
この年、著者は52歳だった。
「くろがね」の信子ちゃんと村上菊一郎
庄野潤三『うさぎのミミリー』に、この『寄道』が登場している。
料理とお酒を運んでくる信子ちゃんに、最近出た早稲田の大島和彦さんの本、『寄道』のことを話す。「くろがね」さんも大島さんから一冊貰っていた。大島さんは小沼丹のワセダの教え子で、今、英文科の先生をしている。(庄野潤三「うさぎのミミリー」)
信子ちゃんは「くろがね」で働くお姉さんで、小沼さんに連れられてこの店へ通うようになった頃、「信子ちゃんはまだ二十歳そこそこではなかったか」と、著者は回想している。
「しん子ちゃん、おしんこ頂戴」などと言って、お店の女の子をからかう場面が微笑ましい。
『寄道』を読んだ信子ちゃんは、「くろがね」のカウンターに一人で飲む村上菊一郎が、「いっひっひっ」と笑うところなんか描かれていて楽しい本だったと話していたという。
「やあ、大島君、君か……どう、飲んでるかね?」と仰つたあと、俯いて、いつひつひつひつひと云ふやうな笑ひ方をされた。それからはときどき僕の方を見ては、にやりと笑ひながら、「一人酒場で飲む酒は……いいねえ」を何度も繰返してをられた。(大島一彦「寄道─小沼丹先生の横顔─」)
この回想は、早稲田大学で小沼丹の同僚だった村上菊一郎の、かなり貴重なポートレートとなっているのではないだろうか。
信子ちゃんと同じように、自分にとっても、本書を読んで、とりわけ印象に残った場面の一つとなっている。
もっとも、表題作「寄道─小沼丹先生の横顔─」の主役は、もちろん著者の恩師でもあっ小説家の小沼丹である。
村上菊一郎は、小沼丹の良き同僚の一人として、「くろがね」を舞台とした懐かしい物語に、友情出演しているわけだ。
「モン・パリ」を歌い終わると「ぱちぱち…」と拍手の口真似をした
庄野さんが、特に喜んだエピソードは、酔った小沼さんが帰宅した後に「モン・パリ」を歌う場面だろう。
先生がよく深夜酔って帰宅されてゐた頃の或る夜、先生は大層上機嫌で帰つて来られ、頻りに「モン・パリ」を口吟んでゐた。寝床に入つて灯りを消してからも、なかなか止めない。「……、わがパリ」と曲が終ると、「ぱちぱちぱちぱち……」と拍手の音を口真似して、また歌ひ始める。(大島一彦「寄道─小沼丹先生の横顔─」)
庄野さんの作品の中でも、小沼丹と言えば「モン・パリ」だが、「ぱちぱちぱちぱち……」と拍手の音を口真似するというエピソードは、このエッセイが出典となっているらしい。
もっとも、小沼夫人の横で、この話を聞いていた小沼さんは、憮然とした口調で「そんなこと、憶えちゃゐないよ」と言ったというから、最後まで楽しい話となっている。
「随想小沼丹」は、小沼丹の文学に触れたエッセイ。
小沼丹はかつて自分は気に入つた人のことしか書かないと云つたことがある。この創作姿勢が、小沼文学の大らかな人生肯定に繋がつてゐるのではないかと思ふ。(大島一彦「随想小沼丹」)
「小沼文学の大らかな人生肯定」というフレーズが気に入った。
小沼丹の死亡直後に綴られた「白侘助と目白」には、小沼邸の客間の様子が描写されている。
先生のお骨の背後には川合玉堂の川べりの杙に止つた翡翠の掛軸、右手の床の間には埴輪の馬、壁に掛けられた吉岡堅二の二羽の脹雀が梔子の枝に止つてゐる絵、「郭公は恋人をよび」云云と書かれた佐藤春夫の色紙(これは比較的最近掛替へられたもので、以前は長いあひだ「稀に木の葉の飛ぶさへや久しき時を弄ぶ」と云ふ三好達治の色紙が掛けてあつた)、縁側寄りの屏風に表装した井伏鱒二の書──「さびしいひはにまつかさおちてとてもおまへはねにくうござろ」──すべて生前のままである。(大島一彦「白侘助と目白」)
マリア像も、右手の床の間の違棚に置いてあって、ここは、いかにも小沼文学の世界という感じがする。
恩師を慕う気持ちに満ちた、良いエッセイ集だと思った。
書名:寄道 試論と随想
著者:大島一彦
発行:1999/08/20
出版社:旺史社