文学鑑賞

トーベ・ヤンソン「ムーミンパパ海へ行く」新しい時代を生きる、新しい家族の物語

トーベ・ヤンソン「ムーミンパパ海へ行く」新しい時代を生きる、新しい家族の物語

トーベ・ヤンソン「ムーミンパパ海へ行く」読了。

本作「ムーミンパパ海へ行く」は、1965年(昭和40年)に発表された長編小説である。

この年、著者は51歳だった。

原題は「Pappan och havet」。

中年男性が自我を取り戻すことの難しさ

本作「ムーミンパパ海へ行く」は、家庭を持つ中年男性ムーミンパパの喪失と再生の物語である。

物語は、夏の終わりから始まる。

八月末のある日の午後、ムーミンパパがしょんぼりと、庭を歩きまわっていました。なにをしたらいいか、わからなかったのです。なにしろ、しなければいけないことは、自分かほかのものかが、もうすっかりやってしまったように思えましたもの。(トーベ・ヤンソン「ムーミンパパ海へ行く」小野寺百合子・訳)

自分のアイデンティティーを求めて、ムーミンパパは長年暮らしたムーミン谷の家を捨てて、船旅に出る。

小さな無人島で灯台守として暮らすこと。

それが、ムーミンパパの新しい目標だった。

旅には、ムーミンママやムーミントロール、ミイといった家族を連れていかなければならない。

しかし、ムーミンパパの新しい人生は、困難を極めた。

殊に、ムーミンパパの苦境を象徴するのが、どうしても点灯しない灯台のランプである。

人間嫌いの<漁師>にヒントを求めるが、芳しい成果は得られない。

やがて、ムーミンパパは、憧れていた<海>そのものに対する不信感を募らせていく。

「そら、海はときにはきげんがよく、ときにはきげんがわるいが、それはどうしてなのか、だれにもわからないだろ。わしたちには、水の表面だけしか見えないからね。ところがもし、わしたちが海がすきなら、そんなことはどうでもよくなるんだ。あばたもえくぼってわけさ……」(トーベ・ヤンソン「ムーミンパパ海へ行く」小野寺百合子・訳)

父親が自尊心を取り戻したとき、ムーミン一家は、元のように温かい家族の交流を取り戻す。

しかし、それは、ムーミン谷にあった頃の、あのムーミン一家とは違う、新しいムーミン一家の交流だ。

この物語は、中年男性が自我を取り戻すことの難しさを描いている。

なぜなら、大人の男性には、妻や子どもたちという家族があり、社会的な責任感の中で生きていかなければいけないという、大きな制約があるからだ。

灯台に明かりが点いた瞬間、ほっと安堵の溜息をついた読者は、決して自分だけではないだろう。

ムーミン一家の崩壊と再生を描く

本作「ムーミンパパ海へ行く」は、ムーミンパパの物語であると同時に、ムーミンママやムーミントロールの物語でもある。

パパの意向を尊重して、無人島に移住したムーミンママは、元のムーミン谷恋しさに、ホームシックからメンタルを病んでしまう。

彼女もまた、新たな環境の中で、自身のアイデンティティーである「主婦としての生き甲斐」を失い、自分の居場所を探し続けていたのだ。

ムーミンママはため息をつきました。「それがたまらないのよ。たまには変化も必要ですわ。わたしたちは、おたがいに、あまりにも、あたりまえのことをあたりまえと思いすぎるのじゃない? そうでしょ、あなた」(トーベ・ヤンソン「ムーミンパパ海へ行く」小野寺百合子・訳)

「あたりまえのことをあたりまえと思いすぎる」現状からの脱却を試みたのが、そもそものムーミンパパの移住計画だった。

新しい人生にあっては、家庭の主婦であるムーミンママもまた、新しい自分を求めたのである。

ママが灯台を「うち」と呼んだとき、ママもまた再生しつつあったのだろう。

そして、とりわけ重要なのが、思春期の少年ムーミントロールの変化である。

両親の自分探しの旅に付き合わされながら、ムーミントロールは、新しい自分を発見しつつあった。

居心地の良い実家を飛び出し、理解のあるパパとママの許を離れて、少しずつムーミントロールは独り立ちをしてゆく。

大人たちからは、付き合ってはいけないと言われている孤独なおばさん<モラン>と心の交流を始めたり、自分にはない美しさを持った<うみうま>に憧れたり、本作におけるムーミントロールの変化は目覚ましい。

「春のめざめよ。あの子自身でも、気がついてはいないけどね」と、ムーミンママがいいました。「それなのにあなたは、いつまでもあれを、まだ小さな子どもと思っていらっしゃるようね」(トーベ・ヤンソン「ムーミンパパ海へ行く」小野寺百合子・訳)

ムーミンシリーズ全9作品のうち、ムーミン一家が登場するのは、本作が最後である。

最終話『ムーミン谷の十一月』にムーミン一家は登場しない。

ムーミントロールの変化は、少年期の殻を破り、大人へと成長しつつあったムーミントロールの成長過程を描いている。

両親が自分探しを続けている間、少年ムーミントロールもまた、「少年ではない自分」という新しい自分を探しつつあったのだ。

そう考えると『ムーミンパパ海へ行く』は、パパの再生物語としてではなく、ムーミン一家の再生物語と呼ぶべきだろうか。

新しい土地で、それぞれの新しい役割を担いながら、ムーミン一家は新しい歴史を刻んでゆく。

それは、新しい時代を生きる、新しい家族の物語だったのかもしれない。

書名:ムーミンパパ海へ行く
著者:トーベ・ヤンソン
訳者:小野寺百合子
発行:1985/07/10
出版社:講談社青い鳥文庫

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。