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庄野潤三『プールサイド小景・静物』村上春樹も注目する<第三の新人>時代の名作短篇集

庄野潤三『プールサイド小景・静物』村上春樹も注目する時代の名作短篇集

庄野潤三『プールサイド小景・静物』は、1965年(昭和40年)2月に刊行された新潮文庫オリジナルの短篇小説集である。

この年、著者は39歳だった。

2009年(平成21年)に88歳で他界した庄野潤三にとっては初期の作品集であり、収録作品、初出およびオリジナルの単行本は、次のとおりとなっている。

「舞踏」
1950年(昭和25年)2月『群像』
1953年(昭和28年)『愛撫』新潮社

「プールサイド小景」
1954年(昭和29年)12月『群像』
1955年(昭和30年)『プールサイド小景』みすず書房

「相客」
1957年(昭和32年)10月『群像』
1960年(昭和35年)『静物』講談社

「五人の男」
1958年(昭和33年)12月『群像』
1960年(昭和35年)『静物』講談社

「イタリア風」
1958年(昭和33年)12月『文学界』
1960年(昭和35年)『静物』講談社

「蟹」
1959年(昭和34年)11月『群像』
1960年(昭和35年)『静物』講談社

「静物」
1960年(昭和35年)6月『群像』
1960年(昭和35年)『静物』講談社

1950年代の庄野潤三

本書『プールサイド小景・静物』に収録されているのは、ほとんどが1950年代に発表された作品である(「静物」のみ1960年発表)。

芥川賞受賞作「プールサイド小景」や、新潮社文学賞受賞作「静物」など、初期の代表作を収録してはいるものの、庄野潤三の長いキャリアの上で、それはあくまでも初期の代表作であり、この一冊をもって庄野潤三を究めたとすることはできないことに注意する必要がある。

むしろ、キャリア全体から見たとき、「五人の男」や「イタリア風」など、必ずしも代表作とすることは難しい作品も含まれている(カルトな人気を持つ作品ではあるとしても)。

これは、本文庫が、1960年(昭和35年)に講談社から刊行された短編小説集『静物』をベースに、初期の名作である「舞踏」と「プールサイド小景」を加えた構成となっているためだと思われる。

ここに収録された作品群と、中期以降の作品群では(長篇『夕べの雲』以降)、作風に大きな変化が見られることに注意した上で楽しみたい。

舞踏 │ 夫のエゴイズム

1950年(昭和25年)2月『群像』初出の「舞踏」は、庄野潤三にとって、実質的な作家デビュー作だった(原稿料をもらって商業誌に掲載した初めての作品)。

当時の庄野さんは、夫婦の危機を大きなテーマとしており、夫の不倫に耐える専業主婦の悲痛な気持ちが、夫婦双方の目線から描かれている。

夫には秘めごとがあった。同じ課に勤めている十九の少女と恋をしている。役所が退けてから、こっそりと二人で映画を見に行ったり、夕暮の市街を散歩したりしていた。(庄野潤三「舞踏」)

『群像』発表時、主人公の妻が自殺したと思われる場面で作品が終わっていたが、作品集『愛撫』収録時に大きく書き換えられた。

夫のエゴイズムにフォーカスした恐怖小説とも読める。

作中「チョウチョ、トッテエ?」とせがむ女の子は、当時3歳の長女がモデルだった。

プールサイド小景 │ サラリーマン家庭の不安定な日常

1954年(昭和29年)12月『群像』初出の「プールサイド小景」は、第32回芥川賞受賞作品である。

庄野潤三の代表作として挙げられることも多く、村上春樹も『若い読者のための短編小説案内』や、村上龍との対談『ウォーク・ドント・ラン』で、「とくに「プールサイド小景」なんか僕は大好きです」と明言している。

もっとも、当の庄野潤三は、江國香織との対談で「もう初期のころのものは読みたくないですね」(『孫の結婚式』所収「静かな日々」)と言っているが(そのくらい作風が変わってしまった)。

一見平穏に見える一家だが、実は、主人公の男は、会社の金を使い込んで、クビになったばかりである。

サラリーマン家庭の不安定な日常生活と、夫婦の不安が、そこにはある。

やがて、プールの向う側の線路に、電車が現われる。勤めの帰りの乗客たちの眼には、ひっそりしたプールが映る。いつもの女子選手がいなくて、男の頭が水面に一つ出ている。(庄野潤三「プールサイド小景」)

実家(大阪)の近所にあるプールがモデルとなっており、実在の事件を素材として小説化した作品だった。

相客 │ 戦犯容疑者だった庄野英二

1957年(昭和32年)10月『群像』初出の「相客」は、庄野文学のファンにも人気の高い名作である。

実兄で童話作家の(庄野英二)が、戦犯容疑者として巣鴨拘置所(スガモプリズン)に拘留されたときの体験を素材としている。

主人公(庄野潤三)は、兄に付き添って、東京行きの急行列車に同乗した。

「相客」とは、兄を連行する刑事であり、兄と一緒に連行されていく戦犯容疑者である。

その気持は同情というようなものではなく、もっと重苦しい、希望のないものであった。「この人は助からないかもしれない」私はそう思った。(庄野潤三「相客」)

作品タイトルの「相客」は、イギリスのエッセイスト(ガーディナー)の作品(「ア・フェロー・トラヴェラー」)にインスパイアされたもの。

イギリスの翻訳小説を読むような、クールな文章スタイルにも注目したい。

五人の男 │ 悲しい男たちの祈り

1958年(昭和33年)12月『群像』初出の「五人の男」は、題名どおり、五人の男をスケッチ的に描いた作品である。

五人の男には、相互の関連性はなく、一見して関係のないエピソードが組み合わされた構成となっている。

最後にN氏は立ち上って、男の子の足を両手でつかんで逆さまにして思い切り振り廻した。逆さにして水を吐かせることなら、初めのうちに何回も試みてみた。しかし、水は出なかった。(庄野潤三「五人の男」)

小川洋子は、『私の陶酔短編箱』でこの作品を採り上げ、「もし彼ら五人の中の一人と逢びきするとしたら誰がいいだろう、と私は空想する」と、綴っている。

後の「静物」への発展が予見されるパッチワーク型の作品だった。

イタリア風 │ 不安定な家族関係

1958年(昭和33年)12月『文学界』初出の「イタリア風」は、日本で知り合ったアメリカ人夫妻を、ニュークへ訪ねる物語である。

そのとき、庄野さんは、ケニオン大学の留学生として、ガンビアに滞在していた。

アメリカ生活の記録は『ガンビア滞在記』(1959)にまとめられているから、本作「イタリア風」は、そのスピン・オフ作品として読むことができる。

実際にニューヨークを訪ねてみると、美しかった夫人がいない。

ここで描かれているのも、不安定な家族関係だ。

アンジェリーニ氏が妻と別れてからここへ戻って来たのだとすれば、二階の二つの部屋の様子は、やっぱり矢口に何かを語りかけて来るのである。部屋の隅にあったベッドは殊にそうであった。(庄野潤三「イタリア風」)

アンジェリーニ氏が暮らしている実家の家族にも、注意が必要。

蟹 │ 五人家族の海水浴

1959年(昭和34年)11月『群像』初出の「蟹」は、夏休みに海水浴へ出かけた五人家族の物語である。

トーンは異なるが、中期の家族物語へ繋がっていく作品として読むことができる。

近藤啓太郎に紹介された太海海水浴場の吉岡旅館が、モデルになっていると思われる。

当時、庄野家では外房での海水浴が年中行事となっていて、長篇『つむぎ唄』(1963)にも、家族で海水浴へ行く場面が描かれているし、名作として名高い短篇「秋風と二人の男」でも、家族で海水浴へ行ってきたエピソードが、主人公の口から語られている。

油断は禁物。敏速に抜かりなくやらねばならない。一緒の列に並んでいる人を競争者か敵のような眼で見たり、見られたりしなくてはならない。ああ、何ということだ。人生はなかなか楽じゃない。(庄野潤三「蟹」)

楽しい家族旅行の裏側にある父親の心労が描かれている。

作中で子どもたちが歌っているのは、童謡「気のいいあひる」。

当時の庄野文学では、童謡や唱歌が、象徴的に引用されることが多かった。

庄野潤三を代表する海水浴小説である。

静物 │ 研ぎ澄まされた夫婦の不安

1960年(昭和35年)6月『群像』初出の「静物」は、『群像』の長篇一挙掲載シリーズの作品として取り組まれたが、なかなか完成することができずに、苦労したことで知られる作品である。

結局、中篇特集のひとつとして発表されたが(115枚)、第七回新潮社文学賞を受賞する名作となった。

村上春樹も、「庄野潤三は、おそらくはこの「静物」という短編小説をひとつ書いただけで、文学史に残る作家であり続ける」と絶賛している(『若い読者のための短篇小説案内』)。

妻の自殺未遂を素材とした作品であり、作家本人は「「静物」を書いたあと、雑巾をしぼるようにして自分をしぼり出す小説はかなわないと思い、今度は素材を外部に求めたいと考えていた」として、以降、聞き書き小説に注力するようになった。

夫婦の不安が、随所で象徴的に投影されている。

彼は声をかけた。ところが、返事をしない。いや、返事をしないばかりか、まるで知らん顔をして眠っているのである。(略)「おい、起きないか」(庄野潤三「静物」)

巧みなメタファーと簡潔な文章のみによって構成されたこの作品は、本書に収録された他の作品とは比べることが難しいくらい、群を抜いて優れた作品となっている。

「静物」を読むためだけに本書を買う価値あり、の作品である。

まとめ │ 名作「静物」を中心として読む

本書『プールサイド小景・静物』の見どころは、なんと言っても、名作「静物」である。

簡潔すぎるだけに解釈の難しいところは、村上春樹の短篇と似ているかもしれない(作風はかなり異なるが)。

幸い、短篇集『静物』(1960)の作品は、すべて本書に収録されている。

「舞踏」が気に入った人は『愛撫』(1953)を、「プールサイド小景」が気に入った人は『プールサイド小景』(1955)を、それぞれ読むといいだろう。

もっとも、どちらも古い本なので、入手は難しいかもしれない(希少価値があるため、古書価も高い)。

初期作品集ということでは、講談社文芸文庫から『愛撫・静物 庄野潤三初期作品集』(2007)が出ている。

晩年の穏やかな作品を読んで、庄野文学のファンになったという人は、作家の若い時代の作品を読んでみるといい(あまりに作風が違うので驚くはず)。

地味な印象はあるが、「相客」と「蟹」は、初期の代表作として外すことのできない作品である。

作家の底力を感じる作品というのは、案外こういった作品なのではないだろうか。

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。