J.D.サリンジャー『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア─序章─』読了。
本作『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア─序章─』は、1963年(昭和38年)にリトル・ブラウン社から刊行された作品集である。
この年、著者は44歳だった。
収録作品(原題)及び初出は次のとおり。
大工よ、屋根の梁を高く上げよ
・Raise High the Roof Beam, Carpenters
・1955年(昭和30年)11月『ザ・ニューヨーカー』
シーモア─序章─
・Seymour: An Introduction
・1959年(昭和34年)6月『ザ・ニューヨーカー』
「シーモア─序章─」は救済の物語だった
サリンジャーは、生前に4冊の著作を出版した。
・『ライ麦畑でつかまえて』(1951)
・『ナイン・ストーリーズ』(1953)
・『フラニーとゾーイー』(1961)
・『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア─序章─』(1963)
つまり、本作『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア─序章─』は、作家サリンジャーにとって、最後の著作だったということになる。
ちなみに、この年(1963年)、サリンジャーは44歳。
その後、2010年(平成22年)に91歳で他界するまで、サリンジャーは一冊の本も出版することはなかった。
作品としては、1965年『ザ・ニューヨーカー』に中編小説「ハプワース16、一九二四」を発表しているが、単行本としては出版されていない。
なお、「ハプワース16、一九二四」の出版が頓挫した経緯については、映画『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』(2020)でも触れられている。
作品の発表時期についても確認しておいた方がいい。
・「フラニー」(1955年1月)
・「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」(1955年11月)
・「ゾーイー」(1957年5月)
・「シーモア─序章─」(1959年6月)
「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」は、「フラニー」と同じ1955年(昭和30年)に発表された作品であり、その翌年に「ゾーイー」が発表されている。
そして、『ナイン・ストーリーズ』(1953)以降に発表された作品は、いずれも、グラース家に関する物語ばかりだった(いわゆる「グラース・サーガ」)。
グラース家の事情は、「フラニー」「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」「ゾーイー」「シーモア─序章─」と、作品を重ねるごとに明らかにされていく。
そのゴールは、長男(シーモア・グラース)は、なぜ自殺したのか?という謎を解き明かすことにあるようにも見える。
彼は、一九四八年、休暇をとって細君と一緒にフロリダに行っていたときに、自殺したのだ。(J.D.サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」野崎孝・訳)
同様の記述は「シーモア─序章─」にもある。
彼は(わたしは死亡通知のような言い方をしたいと思う)一九四八年、三十一歳のとき妻とフロリダに旅行滞在中、自殺した。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
これは、もちろん、『ナイン・ストーリーズ』に収録されている短篇小説「バナナフィッシュにうってつけの日」(1948)で自殺した主人公の青年(シーモア・グラース)のことだ。
「シーモア─序章─」では、「バナナフィッシュにうってつけの日」の作者が、シーモアの弟(グラース家の次男)であり、「シーモア─序章─」の作者でもあるバディ・グラースであることが明かされている(「これまでにわたしは直接シーモアについて語っていると考えられた二つの短編小説を書き、出版したと言ってもいい」)。
他方、それ以前の、一九四〇年代の末に書いたもっと短い小説では、彼自身が直接姿を現すばかりでなく、歩いたり、話したり、海にもぐったり、最後の一節では頭にピストルを打ちこんでいる。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
「二つの短編小説」のうち、もう一作は、「シーモア─序章─」との組み合わせで出版された「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」である。
この二つの作品のうち、新しいほうは一九五五年に出版されたが、一九四二年の兄の結婚式をきわめて総括的に物語ったものである。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
さらに、物語の語り手(バディ・グラース)は、かつて長編小説を書いたことも告白している。
人によっては──わたしの親友ではないが──わたしがこれまでに発表した唯一の長編小説の若い主人公にシーモアのことがたくさん入っているのではないかと質問してきた。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
物語の語り手(バディ・グラース)を、作者(サリンジャー)の分身として読むと、「わたしがこれまでに発表した唯一の長編小説の若い主人公」は、『ライ麦畑でつかまえて』の主人公の少年(ホールデン・コールフィールド)ということになる。
多くの読者は、「ライ麦畑でつかまえて」と「バナナフィッシュにうってつけの日」とを関連づけて読んだらしい(「しかしはっきり言っておきたいことは、兄を知っている者は誰もそんな質問はしないし、話しもしないということである」)。
今ここで、わたしが読者に言いたかったことは、若い人たちがシーモアの生涯なり死のことで、わたしのところへ来ても、悲しいかな、わたし自身の奇妙な個人的苦悩のために、そうしたインタヴューに応じることはまったく不可能だ、ということである。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
「シーモア─序章─」の作者(バディ・グラース)は、「バナナフィッシュにうってつけの日」を「失策」だと語った。
最初の作品でピストルを射つことはもとより、歩いたり、話したりする若者「シーモア」はまったくシーモアではなく、奇妙なことに、よく似ているのは──アレー・ウープかな──わたしのほうだと指摘している。(略)どうしても言っておきたいのは、あの小説を書いたのはシーモアの死からまだ二カ月しかたっておらず、わたし自身が作中の「シーモア」や実際のシーモアと同じように、ヨーロッパの戦場から帰ってきたばかりであったということである。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
「シーモア─序章─」では、こうして過去の作品群との関連性を明らかにした上で、自殺したシーモア・グラースという人間の真理について迫ろうとする。
このとき、物語の語り手(バディ・グラース)は、作者(サリンジャー)と同じ四十歳で、作者(サリンジャー)と同じような隠遁生活に近い暮らしを送っている。
わたしはある山の、人の近寄りがたい方の側の、森の奥深くにある、みじめなとは言わないまでもまったく質素な小屋に独り暮しをしている。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
映画『ライ麦畑で出会ったら』(2015)には、森の奥深くにある小屋で独り暮らしをしているサリンジャーが登場する。
1950年代末、グラース家の次男(バディ)もまた、世間から遠く離れた場所で暮らしていたらしい。
かなり大勢の英文科の若い人たちはわたしの住所、隠れ家をとっくに知っているし、それを裏づるようにわが家のバラの花壇にはタイヤの跡がついている。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
「わが家のバラの花壇にはタイヤの跡がついている」とあるのは、プライベートに踏み込まれるサリンジャー自身の苛立ちと読んでいい。
バディは(サリンジャーと同じように)当時の流行だったビートニクを強く批判する(「達磨行者、ビート族や不潔族とか気むずかし族、禅の破壊者(ゼン・キラー)」など)。
バディに必要だったのは、ヒッピーになって群れることではなく、東洋思想や東洋文化を正しく理解することだった(シーモアと同じように)。
シーモアは思春期の大部分と成人してからずっと、初めは中国の詩に、やがてそれに劣らず日本の詩にも深く心を惹かれていき、そのいずれにも世界のほかのどんな詩にもまして心を惹かれていた。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
実際、「シーモア─序章─」には、西行や小林一茶など、日本の詩人が名前を見せる。
まさに一茶の名を口にすることは、わたしに真の詩人は素材を選ばぬという確信を与えてくれる。明らかに素材が彼を選ぶのであって、彼が素材を選ぶのではない。大輪の牡丹は一茶にしか現れないのだ。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
「かの偉大なる一茶は嬉々として庭に一輪の大輪の牡丹があると助言してくれる」というバディの言葉の背景には、「是程と牡丹の仕方する子哉」などといった一茶の句があったのかもしれない。
東洋思想へのアプローチは、シーモアへのアプローチでもある。
シーモアはたぶんどの詩形にもまして、日本古来の三行、十七音節の俳句を愛し、彼自身でも俳句を──血のにじむ思いをして──詠んだ。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
俳句が重要なのは、自殺する直前にも、シーモアはひとつの俳句を書き残しているからだ。
たとえば、シーモアは自殺した日の午後、ホテルの彼の部屋の備えつけ吸取り紙に、きちんと古典様式の俳句を書いている。(略)その中で、彼は、飛行機に乗った小さな女の子のことを手短かに語っている。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
この俳句は、短編「ゾーイー」(1957)の中で読むことができる。
それと、それからシーモアが自殺したホテルの部屋で僕が見つけた俳句調の詩だな。メモシートに鉛筆で書いてあったんだ。「機上の娘 人形の首めぐらして われを見せ」(J.D.サリンジャー「ゾーイー」野崎孝・訳)
「ゾーイー」にバディは登場しないが、バディ(兄)から届いた長い手紙を、弟(ゾーイー)が読む場面がある。
この手紙を読み返して、ゾーイーは妹(フラニー)を危機から救うのだが、グラース家の絆には、いつでも長男(シーモア)の存在がある。
そして、長男(シーモア)と次男(バディ)の一体感は、異常なほどに強い。
おまえとぼくがときどき同じような話し方をするのがそんなに悪いことだろうか? ぼくたちの間にある皮膜はとても薄いのだ。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
シーモアの残した手紙には、シーモアも、また、弟(バディ)との一体感を感じていたことを示唆している。
もしかすると、シーモアはバディだったのではないだろうか?(「わたしはいつも、シーモアと肉体上の点で似ていることを心ひそかに喜び、それを自慢にしていた」)
バディを作者自身(サリンジャー自身)の分身として読むとき、そうすると、シーモアもまたサリンジャー自身だった、ということになる。
つまり、サリンジャーは、自分自身を殺したのだ(「バナナフィッシュにうってつけの日」という小説の中で)。
およそ誰しも、自分自身の中に、生き続けたいと願う自分と、もう生きることを諦めたいと絶望する自分とが共存しているものだ。
サリンジャーは、自分自身の中に潜む「絶望の自分」をシーモアに託し、小説の中で殺したのだ。
「絶望の自分」たるシーモアを葬ることで、サリンジャーは、生き延びることができた。
つまり、「バナナフィッシュにうってつけの日」は、作者にとって救済の物語だったということになる。
思うに、サリンジャーは、小説を書くことによって、自分自身を救い続けた。
ものを書くことがいったいいつおまえの職業だったことがあるのだい? それは今までおまえの宗教以外の何ものでもなかったはずだ。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
シーモアは(手紙の中で)「小説は、お前の宗教だったはずだ」と指摘する。
このことによって、40歳のバディもまた救われるのだが、もしかすると、シーモアが救ったのはサリンジャー自身でもあったかもしれない。
ああ、思いきってやれ。バディ! おのれの心を信頼するのだ。おまえはそれに値する職人なのだ。それによって裏切られることはないだろう。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
「ああ、思いきってやれ。バディ!」というシーモアの叫びは、「ああ、思いきってやれ。ジェリー!」というサリンジャー自身の叫びである(ジェリーはサリンジャーの愛称)。
サリンジャーにとって、シーモアの自殺と向き合うことは、自分自身と向き合うことでもあったのだ。
物語の終わりで、バディはひとつの悟りを得る。
あの教室にいる娘たちは、あの恐るべきミス・ゼイベルも含めて、ブーブーやフラニーと同じように、わたしの妹でない娘は一人としていないのである。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
これは、「ゾーイー」でフラニーが得た悟りの再現として読むことができる。
「きみ、ぼくの言うこと聴いてんのか? そこにはね、シーモアの『太っちょのオバサマ』でない人間は一人もおらんのだ。その中にはタッパー教授も入るんだよ、きみ」(J.D.サリンジャー「ゾーイー」野崎孝・訳)
バディの得た悟りはサリンジャー自身の悟りでもあり、そこに、この物語のテーマがある。
「ゾーイー」が救いの物語であったように、「シーモア─序章─」もまた、救いの物語だったのだ。
サリンジャーは、シーモアという青年の死を通して、バディという作家の言葉を借りながら、自分自身の救済に取り組んでいたのかもしれない。
生きているサリンジャーの姿
本作『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア─序章─』は、喜びに満ちた作品である。
最後の客人もどうやら出て行ったものとみえて、彼がここにいたことを物語るものとしては、空のグラスと、白鑞の灰皿に葉巻の吸殻が残っていただけであった。この葉巻の吸殻をシーモアに進呈すればよかったとわたしは今でも思っている。(サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」野崎孝・訳)
「この葉巻の吸殻をシーモアに進呈すればよかった」とバディが考えているのは、それこそ「値段のつけることのできないもの」だったからだ。
今夜ぼくはミュリエルに、ある禅宗の老師が、世の中で一番価値あるものは何かと尋ねられたときに、それは死んだ猫だと答えたが、それは死んだ猫には誰も値をつけることができないからだと言ったという話をしてやった。(サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」野崎孝・訳)
「ミュリエル」は「バナナフィッシュにうってつけの日」にも登場するシーモアの妻だが、「死んだ猫には誰も値をつけることができない」からこそ「世の中で一番価値があるものだ」というシーモアのロジックは、冒頭にある「秦の穆公(ぼくこう)」のエピソードに対比すべきものだろう。
肝心かなめのものを掴むために、瑣細なありふれたことは忘れているのでございます。内面の特質に意を注ぐのあまり、外部の特徴を見失っているのでございます。見たいものを見、見たくないものは見ない。見なければならないものを見て、見るに及ばぬものは無視するのでございます。(サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」野崎孝・訳)
外見に惑わされるな、という教訓が、このエピソードにはある。
それは、「先入観に惑わされるな」という戒めでもあったことだろう。
友人思いの「介添夫人」の攻撃を乗り切ったとき、バディは、なぜシーモアが俗物(ミュリエル)を愛したかという理由を知る。
Mはわたしの話を聞くと、ただ、そうと言っただけだ。その単純さ、その素晴らしい正直さ、いかにぼくはこれを高く評価することか。いかにこれを頼りにしていることか。(サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」野崎孝・訳)
嘘っぽい取り繕いをしないミュリエルの姿勢に、シーモアは、外からは分からない彼女の内面を見ていたのだ。
これが、シーモアの支持する「識別なき態度」というやつだった。
シーモア少年が、シャーロットに石を投げてケガを負わせたエピソードも、また、人間の内面に迫るものだ。
彼女はある朝、うちの玄関から門へ行く車道のまん中にしゃがみこんで、ブーブーの猫を撫でてたんですね。するとシーモアが彼女に石をぶつけたんです。彼は十二歳でした。(サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」野崎孝・訳)
シーモアが石を投げた理由は「車道のまん中にブーブーの猫といっしょにしゃがみこんでいるシャーロットがあまりにも美しかったから」だ。
少女の美しさに感動した少年が石を投げる行為は、シーモアが直前になって結婚式から逃げ出したエピソード(つまり「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」という小説)に通じるものがある。
「男のほうではよ、そりゃとっても悪いと思うけども、今のこの幸福な気持がもっと薄らぐまではとても結婚できない、とかなんとか、バカみたいなことを言うのよ!」(J.D.サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」野崎孝・訳)
おそらくは、こうした展開をも予知していたのは、バスルームの鏡に伝言を残した妹(ブーブー)だった。
「大工よ、屋根の梁を高く上げよ。エアリーズさながらに、丈高き男の子にまさりて高き花婿きたる。愛をこめて。先のパラダイス放送株式会社専属作家アーヴィング・サッフォより。汝の麗しきミュリエルと何卒、何卒、何卒おしあわせに。これは命令である。予は、このブロックに住むなんびとよりも上位にあるものなり」(J.D.サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」野崎孝・訳)
作品タイトルでもある「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」は、サッフォーの詩「八九 祝婚歌断章」から引用したものだ。
高々と屋根葺けよかし、ヒュメーン! 家建てる男らよ、屋根葺けよかし、ヒュメーン! 入り来る花婿はアレースのごとく丈高く、世の背高き男よりもはるかに丈高ければ。(沓掛良彦「サッフォー 詩と生涯」)
「ヒュメーン」というのは、婚礼の折に唱える祝いの言葉であり、「花嫁が馬車に乗り、花婿と介添人とに付き添われて、行列を従えつつ婚家に向かう折に、その行列の人々の合唱によって歌われたものだろう」との解説がある。
花婿を神々や英雄に喩えるのは「makarismos」と呼ばれる手法で、祝婚歌などに見られるものらしいが、ブーブーは、兄(シーモア)に、古代の英雄の姿を見ていたのだ。
引用詩を要約すると「並の大男よりもずっと大きな花婿が来るので、屋根を高くして待っていなさい」ということになるが、シーモアは一般の人間を超越した存在なのだから、シーモアと結婚する者も、それを受け入れるだけの大きな心を持たなければならない、という意味が、ここには込められていると読み解くことができる。
花婿(シーモア)の脱走事件は、まさに「丈高き男の子にまさりて高き花婿」の、最初の予兆だったのだ。
妹(ブーブー)は、『ナイン・ストーリーズ』収録の短編「小舟のほとりで」では、少年の母親として登場している。
「あの眼鏡はウェッブ伯父さんのものよ。伯父さん、きっと喜ぶわよ」ブーブーは一口煙草を吸った。「昔はシーモア伯父さんのだったんだもん」(J.D.サリンジャー「小舟のほとりで」野崎孝・訳)
グラース家の子どもたちについては、むしろ「シーモア─序章─」に詳しい説明がある。
二人の妹の一人は、うら若き新進女優のフラニーであり、もう一人はウエストチェスターに住む、快活で、財力のある中年の主婦ブーブーだが、年齢はそれぞれ二十五歳と三十八歳。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
同じく『ナイン・ストーリーズ』収録の短編「コネティカットのひょこひょこおじさん」で、人妻エロイーズの元カレとして登場する「ウォルト」もまた、グラース家の子どもたちの一人だった。
彼は一九四五年の晩秋、日本で、お話にもならないほどにバカバカしい軍隊の事故で命を失ったのである。(J.D.サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」野崎孝・訳)
過去の作品の補足という機能が、サリンジャーの作品にはある。
たとえばつい去年のこと、数年前にわたしが書いた作品がシャーウッド・アンダスンにだいぶ関係があるということで、一人の青年がわたしのところへ訪ねて来た。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
シャーウッド・アンダスンの影響が指摘された作品と言えば、短編「笑い男」(1949)がある(『ナイン・ストーリーズ』所収)。
様々な視点から、生前のシーモア(とバディ)が解き明かされていく。
われらがシーモア自身もまた、わたしたちきょうだいみんなと同じように、こうした自分の「背景」に影響されて生き、あるいは死んだのである。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
無駄な文章が一つとしてない完璧な小説は、完璧な彫琢の賜物だろう。
彼は詩人なんだ。本物の詩人なんだ。たとえ一行も詩を書かないにしても、その気になれば、耳の裏の形一つででも、パッと言いたいことを伝えることのできる男なんだ。(J.D.サリンジャー「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」野崎孝・訳)
小説を書くことの歓びが、この物語にはある。
ジョー・ジャクソンの曲乗り自転車のエピソードは、そのひとつの象徴として読みたい。
彼はジョー・ジャクソンの美しい自転車から降りたかどうかはっきりしないと言った。そして、この答えは、わたしの父親にとって個人的にものすごく感傷的な価値があったということは別にしても、実に多くの点で、真実、真実、真実だったのだ。(J.D.サリンジャー「シーモア─序章─」井上謙治・訳)
おそらくシーモアは(そしてバディも)、ジョー・ジャクソンの「不安定な自転車」に乗り続けていたのだ。
それは、作者であるサリンジャーもまた、小説を書き続けてきたことを示唆している。
特別のストーリーがない物語なのに、そこには、幾人もの若者たちの人生がある。
そして、彼らの人生が収斂されたところにあるものこそ、サリンジャーという謎の作家その人だったのだろう。
この小説には嘘がない。
シーモア・グラースを理解することは、つまり、J.D.サリンジャーを理解することだと言ってもいい。
読者が、本作『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア─序章─』に惹かれるのは、そこに「生きているサリンジャーの姿」を見ているからなのだ。
書名:大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア─序章─
著者:J.D.サリンジャー
訳者:野崎孝、井上謙治
発行:1980/08/25
出版社:新潮文庫