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昭和初期のモダンボーイが愛用したロイド眼鏡は、多くの文学作品にも登場している

昭和初期のモダンボーイが愛用したロイド眼鏡は、多くの文学作品にも登場している

セルロイドを素材とする丸縁眼鏡を、俗に「ロイド眼鏡」と呼ぶ。

昭和初期のトレンド・アイテムで、「モダン・ボーイ」と呼ばれるオシャレ男子(いわゆるモボ)は、みな、この眼鏡をかけていたという。

「セルロイド眼鏡」の略称だが、1920年代に活躍したアメリカのコメディアン(ハロルド・ロイド)が着用していたことが由来という説もある。

文学に登場するロイド眼鏡

当時、リアルでモボ男子だった作家・谷崎潤一郎の『痴人の愛』に、ハロルド・ロイドが登場している。

或る晩あまり退屈なので品川の方まで歩いて行った時、時間つぶしに松之助の映画を見る気になって活動小屋に這入ったところが、ちょうどロイドの喜劇を映していて、若い亜米利加の女優たちが現れて来ると、矢張いろいろ考え出されてイケませんでした。(谷崎潤一郎「痴人の愛」)

もっとも、東京大学でフランス文学を教えていた辰野隆は、ロイド眼鏡そのものは、昭和初期に始まったデザインではないと指摘している。

断って置くが、ロイド眼鏡は決して近代の創意ではない。中世以来引続いて行われたもので、モリエールの喜劇に出て来る医者は、大抵ロイド眼鏡の愛用者である(辰野隆「愛書癖」)

伝統的なデザインの眼鏡が、1920年代になって、再びブームを巻き起こしたということなのだろう。

昭和初期の文学作品には、ロイド眼鏡の男が、頻繁に登場する。

高城鉄也は、ウイスキーを一丁、足の勇の為に通させながら、園花枝と顔を見合せて、いたずらっ子らしくにっこりしました。その青年記者のロイド眼鏡の底に光る鋭い眼と、山羊髭を付けた可愛らしい口元は、顔の表情に一種不思議な矛盾を感じさせます。(野村胡堂「女記者の役割」)

新聞記者や編集者のようにスノッブな連中は、特にロイド眼鏡を好んだのではないだろうか。

私が三丁目の近くの、藪そばへ曲る横丁の所まで来た時、その人通りの波の中に、一人の背の高い――その群集の間から一際、頭だけ抜出ているように見えた位だから、余程高かったに違いない――痩せた三十恰好の、ロイド眼鏡を掛けた男の、じっと突立っているのが、私の目を惹いた。(中島敦「虎狩」)

戦時中の作品だけあって、「虎狩」に登場する男のロイド眼鏡は「片方の弦が無くて、紐がその代用をしている」ものだったとある。

ロイド眼鏡は、主に男性に愛用されたが、オシャレな女性にも支持されていたらしい。

水木由子は大学生になって二月目ぐらいに近眼でもないくせにロイド眼鏡をかけるようになった。(坂口安吾「握った手」)

坂口安吾の「握った手」では、ロイド眼鏡が重要なキーワードとして登場している。

多くの作家がロイド眼鏡を扱ったが、とりわけ、多くの作品にロイド眼鏡を登場させた作家は、太宰治と江戸川乱歩の二人だろう。

東大で辰野隆の教え子だった太宰の代表作『人間失格』には、ロイド眼鏡の由来ともなったハロルド・ロイドが登場している。

「葉ちゃん、眼鏡をかけてごらん」或る晩、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出しました。「なぜ?」「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡を借りなさい」いつでも、こんな乱暴な命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。「そっくり。ロイドに、そっくり」当時、ハロルド・ロイドとかいう外国の映画の喜劇役者が、日本で人気がありました。(太宰治「人間失格」)

人生の道化者を演じ続ける主人公(葉蔵)に、ロイド眼鏡は、さぞかしお似合いだったことだろう。

太宰治の絶筆『グッド・バイ』は、紋服の文士とロイド眼鏡の編集者との会話から始まる。

紋服の初老の大男は、文士。それよりずっと若いロイド眼鏡、縞ズボンの好男子は、編集者。「あいつも、」と文士は言う。「女が好きだったらしいな。お前も、そろそろ年貢のおさめ時じゃねえのか。やつれたぜ」(太宰治「グッド・バイ」)

オシャレな編集者は、やはり、ロイド眼鏡を愛用していたのだ。

「生れて、すみません」の『二十世紀旗手』では、太いロイド眼鏡をかけた婦人が登場している。

その翌、翌日、まえの日の賤民とはちがって、これは又、帝国ホテルの食堂、本麻の蚊がすり、ろの袴、白足袋の、まごうかたなき、太宰治。ふといロイド眼鏡かけて、ことし流行とやらのオリンピックブルウのドレス着ている浅田夫人、幼な名は、萱野さん。ふたり涼しげに談笑しながら食事していた。(太宰治「二十世紀旗手」)

そういえば、『ろまん燈籠』に登場する長女も、ロイド眼鏡をかけていた。

長女は、二十六歳。いまだ嫁がず、鉄道省に通勤している。フランス語が、かなりよく出来た。背丈が、五尺三寸あった。すごく、痩せている。弟妹たちに、馬、と呼ばれる事がある。髪を短く切って、ロイド眼鏡をかけている。(太宰治「ろまん燈籠」)

ロイド眼鏡をかけた若者は、なにかしらスノッブな雰囲気を漂わせている。

『パンドラの匣』に登場する須川五郎も、気取って英語を話す、やはりスノッブな男だった。

姓名は須川五郎、二十六歳。法科の学生だそうで、なかなかの人気者らしい。色浅黒く、眉が太く、眼はぎょろりとしてロイド眼鏡をかけて、鷲鼻で、あまり感じはよくないが、それでも、助手さんたちから、大いに騒がれているのだそうだ。(太宰治「パンドラの匣」)

どうにも、太宰の小説から、ロイド眼鏡を失くすことは難しいらしい。

太縁のロイド眼鏡は変装に適しているのか、探偵小説でも人気だった。

黒い背広をきた五十歳ぐらいの紳士で、はんぶん白くなったかみをオールバックにし、黒いふちのロイドめがねをかけ、口ひげと、三角がたのあごひげを、はやしています。いかにも、学者らしい顔つきです。(江戸川乱歩「怪奇四十面相」)

変装シーンになると、乱歩はロイド眼鏡をここぞと投入した。

一夜のあいだに、潤一青年の山川健作氏はお芝居がすっかり板について、翌朝身じまいをおわった時には、ロイド目がねも付けひげも似つかわしく、医学博士とでもいった人物になりすましていた。(江戸川乱歩「黒蜥蜴」)

常に、ロイド眼鏡と付け髭では、むしろ、怪しい感じはしないのだろうかと心配になるが、それも、当時のトレンドということだったのだろう。

デッドストックで手に入れた古い眼鏡コレクション

老舗の眼鏡屋が廃業したとき、戦前の眼鏡のデッドストックを、まとめて譲ってもらった。

セルロイドのほか、鼈甲や金属など、いろいろな素材のものが混じっていた。

巻きつるデザインがほとんで、全部で50本以上あったが、倉庫の奥とは言え、よくぞ捨てずに保管していたものである。

もとより、実用するつもりもなかったが、状態の良いものが多くて、鑑賞しているうちに実際に使ってみたい気持ちが起きた。

二村定一の「洒落男」を、実地で演じてみたくなったのだ。

俺は村中で一番 モボだといわれた男
うぬぼれのぼせて 得意顔
東京は銀座へと来た

そもそも その時のスタイル
青シャツに 真赤なネクタイ
山高シャッポにロイド眼鏡
ダブダブなセーラーのズボン

二村定一「洒落男」

「山高帽子」は、既に昭和初期のデッドストックを持っていたので、古いロイド眼鏡にレンズを入れれば、とりあえずシャレくらいにはなるかもしれない。

眼鏡の山の中から、比較的、現代でも通用しそうなデザインのものを選んで、眼鏡屋へ持っていったところ、セルロイドのフレームが、ぽっきりと折れてしまった。

セルロイドというのは乾燥に弱く、丁寧に手入れをしていないと、すぐに劣化してしまうらしい。

どれだけ愛用していたところで、50年以上昔の眼鏡では、実用することは難しかったかもしれない。

その後、セルロイドの眼鏡は、古いデザインを復刻したものを、新品で買った(ロイド眼鏡ではなかったが)。

丸眼鏡は、東海林太郎や古川ろっぱなど、多くの著名人に愛用された。

文壇では、檀一雄や井伏鱒二、大江健三郎などの名前があがる。

写真の古い眼鏡ケースは、滝川市の高橋眼鏡店のもの。

眼鏡拭きに描かれた男性の表情が、やはりスノッブでいい。

ファッション・アイテムは、どんなに古いものも、時代の空気感を持っているものである。

古い眼鏡の中に漂う懐かしい匂い。

それは、憧れの文士たちが活躍した時代の匂いでもあるのだ。

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。