デイヴィッド・シールズ「サリンジャー」読了。
本書「サリンジャー」は、『ライ麦畑でつかまえて』の著者、J・D・サリンジャーについての評伝である。
サリンジャー解体新書とも言うべき圧倒的なボリューム
本書の特徴は、200人以上の関係者から得られた証言を、サリンジャーの歩みに合わせる形で時代順に収録していることである。
テレビのドキュメンタリー番組ではよくある手法だが、評伝では珍しいかもしれない。
インタビューの合間合間に、著者のまとめ的なコメントも入っているから理解しやすい。
一方で、テレビ番組でもよくあるように、インタビューで得られた証言は、著者の考える方向で都合よくカット&ペーストされている可能性もある。
言葉の微妙なニュアンスは、文脈の流れの中で変わるものだ。
会話の断片を切り取って再編集するスタイルのドキュメンタリーには、不安な要素があるということを、読者は常に意識しなければならない。
まあ、テレビで放映されていることを鵜吞みにするタイプの人には、そんな心配は無用なんだけれど。
そういうリスクを認識した上で読めば、意外とおもしろい評伝に仕上がっていると思う。
なにしろボリューム感が圧倒的に凄い。
謎の作家・サリンジャーの人生を、これでもかというくらいに暴き立てようとしている(しかも、そこには正解がない!)。
大雑把に言って、サリンジャーの人生は「第一次大戦前」「大戦中」「大戦後」に分けることができる。
都会的でカジュアルな小説を書いていた大戦前。
『ライ麦畑でつかまえて』の構想を温めていた大戦中。
そして、戦争のトラウマを抱えて生きた大戦後。
現在の我々が知っているサリンジャーは、従軍中のトラウマに苦しみながら生きた、戦後のサリンジャーである。
サリンジャーが出版した本は、公式には4冊しかない。
『ライ麦畑でつかまえて』『ナイン・ストーリーズ』『フラニーとズーイ』『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア-序章-』の4冊である。
そして、第二次大戦後に出版されたこれらの作品には、すべて著者サリンジャーの戦争に対するトラウマが反映されている(と言われている)。
サリンジャーの抱えていたトラウマが、どのようなものであったのかということに、本書はかなりの分量を割いている。
それは、サリンジャー文学を理解する上で、非常に大きな鍵になるものだと、著者は考えているからだ。
特に、ヒュルトゲンの森の戦いやカウフェリンクの強制収容所でサリンジャーが見た地獄の光景は、生涯サリンジャーを悩ませたらしい。
<エルバート・アルセン> サリンジャーはカウフェリンクの強制収容所で目撃したものを決して文章にしなかったが、それは彼の人生と作品に染み渡っている。(デイヴィッド・シールズ「サリンジャー」)
本書を読んだ人たちは、サリンジャー作品のすべてを、PTSD的分析から解釈しようと努力することになるんだろうな(それもどうかと思うけれど)。
サリンジャーと深い関りを持った女性たちも登場している。
注目すべきは、サリンジャーの最初の妻となった<シルヴィア>と、ドイツで結婚した時の写真が、複数枚収録されていること。
「エズメに捧ぐ─愛と汚辱のうちに」のモデルとされている<ジーン・ミラー>は、インタビューと手紙と写真を提供している。
<ジーン・ミラーへの手紙からの抜粋> 僕が育ったこの部屋では、あらゆる色あせた目印たちがいまも僕の顔を見つめてる。クローゼットのドアを開けると、古いトム・スイフトの本によく頭をぶつける。あるいはガットが駄目になったテニスラケットに。机の引き出しも古臭い記憶でいっぱいだ。君はもうすぐ十五歳だよね? 幸せを願っているよ、ジーン。(デイヴィッド・シールズ「サリンジャー」)
コーニッシュで隠遁生活をしているサリンジャーのインタビュー記事を地元紙に売った女子高生<シャーリー・ブレイニー>の記事も興味深い。
サリンジャーの2番目の妻となった<クレア・ダグラス>、『ライ麦畑の迷路を抜けて』を書いた<ジョイス・メイナード>と、サリンジャーと関わった女性は、次々と不幸になっていくと、著者デイヴィッド・シールズは考えている。
もっとも、サリンジャーが謎の隠遁生活を送るようになった以降は、インタビューの断片が減り、デイヴィッド・シールズによる作品解説のページが増えていく。
『ナイン・ストーリーズ』や『フラニーとズーイ』の考察は、それはそれで楽しいが、これはあくまでも著者の主張なので、評伝だったら評伝に徹してほしいと思ってしまう。
完全に中立で客観的な評伝なんて存在しないのかもしれないけれどね。
ハーコート・ブレイス社の二つの見逃し
ゴシップ好きとしては、本筋とは関係のない周辺エピソードもいい。
『ライ麦畑でつかまえて』は、最初『ニューヨーカー』に持ち込まれたが、即座に掲載を拒否されている。
「ひとつの家族(コールフィールド家)に、これほど常軌を逸した四人の子供がいるという考えは、どうにも擁護しきれない」というのが、その理由だった。
次に『ライ麦畑』は、ハーコート・ブレイス社に送られるが、教科書部門のスタッフの判断により、その出版は見送りとなってしまう。
結局『ライ麦畑』は、リトル・ブラウン社から出版されてベストセラーとなるのだが、『ライ麦畑』の出版を拒んだハーコート・ブレイス社は、その直後、ジャック・ケルアックの『路上(オン・ザ・ロード)』の出版も拒否したという。
1950年代アメリカ文学の金字塔となる作品を二つも続けて見逃すなんて、よほど運が悪いのか、センスが欠けていたのか。
「エズメに捧ぐ─愛と汚辱のうちに」の映画化に向けたエピソードもそそられる。
エズメの配役はサリンジャーが決めるというのが、映画化の条件だったが、サリンジャーの連れてきた少女が、プロデューサーの合意を得られなかったため、結局、この話は流れてしまったのだという。
もしも、映画が完成していれば、「コネティカットのひょこひょこおじさん」(映画タイトルは『マイ・フーリッシュ・ハート(愚かなり我が心)』)以来のサリンジャー映画となっていたのだが。
結局のところ、こういう作家の評伝っていうのは、ゴシップの積み重ねなのであって、収録されているゴシップがおもしろいほど、評伝としても充実したものになるんだという気がした。
分厚いけれど、時間をかけて読むだけの価値がある本だと思いたい。
書名:サリンジャー
著者:デイヴィッド・シールズ、シェーン・サレルノ
訳者:坪野圭介、樋口武志
発行:2015/5/31
出版社:角川書店