1988年(昭和63年)、写真週刊誌『FOCUS(フォーカス)』に、パパラッチに盗撮されて激昂する作家(J.D.サリンジャー)の写真が掲載された。
当時、サリンジャーは69歳。
カメラマンたちの盗撮行為に、サリンジャーは「なぜ、この私をそっとしておいてくれないのか!」と叫んだという。
凋落の人気作家(サリンジャー)の80年代
村上春樹『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』の最初に「一九五一年のキャッチャー」が収録されている。
『エスクァイヤ』誌の十二月号はこの「ライ麦畑のキャチャー」の出版三十年を記念して「熟年を迎えたキャッチャー」という小さな特集を組んだ。小説も誕生日を祝ってもらえるようになればたいしたものだ。(村上春樹「一九五一年のキャッチャー」/『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』)
初出は『ナンバー』1982年(昭和57年)4月20日号で、1951年(昭和26年)に発表された『ライ麦畑でつかまえて』は、1981年(昭和56年)に出版30年を迎えていたのだ。
もっとも、作者(J.D.サリンジャー)は、長い隠遁生活に入っていて、1965年(昭和40年)6月『ニューヨーカー』に「ハプワース16、一九二四」を発表して以降は、一切の作家活動を停止していた(小説は書いていたらしいが)。
大ベストセラー『ライ麦畑でつかまえて』の作者だから、世の中は、サリンジャーに対して無関心でいられるはずもない。
1981年(昭和56年)には、カナダの若手記者(マイケル・クラークソン)の突撃記事が発表されて、話題となった(日本語訳は、1980年4月『中央公論』に掲載された)。
すべての報道機関による取材を拒否していたサリンジャーに面会するには、ゲリラ取材しか方法がない。
それは、没落した人気作家の「現在」を確認する作業であったとも言える。
彼は毀誉褒貶をものともせず、今でもどこかのライ麦畑で黙々とキャッチャーをつづけているのかもしれない。作者自身の凋落ぶりに比べれば、なかなかたいしたものだという気がする。(村上春樹「一九五一年のキャッチャー」/『THE SCRAP 懐かしの一九八〇年代』)
「作者自身の凋落ぶりに比べれば」と村上春樹に指摘されるくらい、この時代のサリンジャーは、既に、人気作家としてのサリンジャーではなかった。
「若者の代弁者」と信仰されていた作家(サリンジャー)は、もう、どこにもいなかったのだ。
サリンジャーを盗撮したパパラッチの写真
その没落したサリンジャーの写真が、1988年(昭和63年)5月13日『FOCUS(フォーカス)』に掲載された。
1990年代にダイアナ妃の死亡事故で話題となった、いわゆる「パパラッチ」による盗撮である。
だが、いくら人間嫌いのサリンジャー氏とはいえ、所用があれば高く柵で囲った隠れ家からお出ましになることもある。それで、今回、ニューヨークの二人のカメラマンがコーニッシュに6日間張り込んで、サリンジャー氏の撮影を試みたという次第。(「駐車場でつかまえて」/『FOCUS(フォーカス)』1988年5月13日号)
日常生活を脅かされたサリンジャーは、当然に激昂した。
拳を振り上げて怒る、年老いたサリンジャーの写真が、写真週刊誌に掲載されている。
1988年(昭和63年)、この年、サリンジャーは69歳だった。
まず始めに村の郵便局にいる彼を目撃してカメラを向けていたら、ご本人は顔を隠して自分の車に逃げ込んだ。だが、その数日後には、スーパーマーケットにいるところを発見。それで、ショッピングを終えて駐車場に出てくるところを待ち構えてシャッターを押していたら、今度は、サリンジャー氏、顔を隠すどころか、ものすごい勢いで真っ直ぐこちらに向かってきて、拳を振り上げて車の中のカメラマンの手を殴り、カメラを奪おうとする暴行に及んだ。(「駐車場でつかまえて」/『FOCUS(フォーカス)』1988年5月13日号)
サリンジャーは、『ライ麦畑でつかまえて』を発表したことを、生涯、後悔していたという。
名作『ライ麦畑でつかまえて』と、その主人公(ホールデン・コールフィールド)は、間違いなく、サリンジャー自身の暮らしを、自滅的に破壊してしまったのだ。
そして、「なぜ、この私をそっとしておいてくれないのか!」と声を震わせて怒鳴りつけた後、自分の車に乗って走り去った。そんな彼の後姿を撮りながら、カメラマンたちは、「サリンジャーが、ああいうことをするとはなあ」とド肝を抜かれていたのでありました。(「駐車場でつかまえて」/『FOCUS(フォーカス)』1988年5月13日号)
『ライ麦畑でつかまえて』発表以降、サリンジャーは、「なぜ、この私をそっとしておいてくれないのか!」と叫び続けていた。
高い柵に囲まれたサリンジャーの自宅は、村上春樹の小説に出てくる「高い壁に囲まれた街」を思わせる(『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』)。
サリンジャーは、サリンジャー自身の心の中でしか、生きていくことのできない作家だったのだ。
2010年(平成22年)1月、91歳で他界するまで、サリンジャーは、コーニッシュの「高い柵」の中で生き続けた。
作家の自宅には、生涯に渡って書き続けた「グラース家の物語(グラース・サーガ)」が残されていたという。