文学鑑賞

トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の十一月」生きにくさを抱えたキャラクターたちによるスピンオフ

トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の十一月」生きにくさを抱えたキャラクターたちによるスピンオフ

トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の十一月」読了。

本作「ムーミン谷の十一月」は、1970年(昭和50年)に刊行された、ムーミンシリーズ最後の物語である。

ムーミン一家不在の奇妙な共同生活

「ムーミン谷の十一月」にムーミン一家は登場しない。

この物語に登場するのは、<スナフキン>や<ホムサ・トフト><フィリフヨンカ><ヘムレン><スクルッタおじさん><ミムラねえさん>といった、ちょっと個性的なキャラクターたちである。

彼らは、めいめいにムーミン屋敷を訪れるが、果たしてムーミン一家は不在である。

やむなく、彼らは、ムーミン一家不在のムーミン屋敷を舞台に、奇妙な共同生活を始める。

もとより、コミュ障の集まりのような集団である。

感性も考え方も異なる彼らは、それぞれが自分勝手なことを主張して、共同生活は、とてもうまくいきそうにない。

ヘムレンさんのおどおどした目つき、ベッドに泣きふしているフィリフヨンカ、じっと地面ばかり見つめているホムサ、とんちんかんなことばかりいう、スクルッタおじさん……その人たちで、テントの中はいっぱいでした。スナフキンの頭の、まんまん中にまでいました。(トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の十一月」)

それでも、彼らは少しずつ、自分の居場所を見つけ出して、その奇妙な共同生活に馴染んでいく。

そして、その年の十一月を締めくくるかのように、あの大パーティーが開かれたのだ、、、

生きにくさを抱えたキャラクターたち

最初に読むムーミン・シリーズが「ムーミン谷の十一月」だったとしたら、その人はきっとがっかりしてしまうに違いない。

「ムーミン谷の十一月」には、<ムーミントロール>も、<ムーミンパパ>も、<ムーミンママ>も、<ミイ>も、<スノークのおじょうさん>も登場しないからだ。

まるでスピンオフの映画のように、「ムーミン谷の十一月」には主人公が登場しない。

むしろ、この物語では、スナフキンやホムサ・トフト、フィリフヨンカ、ヘムレン、スクルッタおじさん、ミムラねえさんといった登場人物の一人一人が主役であり、主人公である。

こういう物語を読むときは、どの登場人物に感情移入しながら読むかということが大切になってくる。

痴呆症なボケ老人のスクルッタおじさんか、メンヘラーなフィリフヨンカは、誇大妄想を抱えたホムサ・トフトか。

どの登場人物も、一人では社会で生きていくことの難しいパーソナリティを抱えている。

「ママのほうが会いたいのは、だれかしらね……」ホムサは、それ以上、なにもいいませんでした。ホムサが帰るとき、スナフキンは、うしろからさけびました。「あんまり、おおげさに考えすぎないようにしろよ。何でも、大きくしすぎちゃ、だめだぜ」(トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の十一月」)

あの協調性のないスナフキンが、まるでリーダーのように、チームのまとめ役になっているところは楽しい。

個人的に、一番好きなキャラクターは、決して姿を見せることのない<ご先祖様>だ。

みんながねむってしまうと、スクルッタおじさんは、ろうそくを一本持って、階段をのぼっていきました。大きな洋服だんすの前までくると、声をひそめてよびかけました。「もしもし、中にいるんでしょう。わかっているんですよ、中にいるって」(トーベ・ヤンソン「ムーミン谷の十一月」)

スクルッタおじさんは、裏側に鏡の付いたタンスの戸を、そうっと静かに引っぱり出して、鏡の中にいる<ご先祖様>に話しかける。

あるいは、それは、鏡に写ったスクルッタおじさんの姿だったのかもしれないけれど、スクルッタおじさんの目には、やはり、しっかりと、<ご先祖様>の姿が見えていたのに違いない。

冬が始まる直前の季節に、毎年読みたくなってしまう、秋の終わりの物語である。

書名:ムーミン谷の十一月
著者:トーベ・ヤンソン
訳者:鈴木徹郎
発行:2014/11/15
出版社:講談社「青い鳥文庫」

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。