志賀直哉「暗夜行路(あんやこうろ)」読了。
本作「暗夜行路」は、1921年(大正10年)から1937年(昭和12年)にかけて、断続的に『改造』に発表された長篇小説である。
作品完成時、著者は54歳だった。
寝取られの末に生まれた子ども
本作「暗夜行路」のテーマは「寝取られ」である。
青年作家<時任謙作>の母は、夫の海外旅行中に、義理の父と肉体関係を結び、子どもを孕んでしまう。
まるで、風俗小説みたいだけれど、とにかく、このとき、生まれた子どもが、主人公の時任謙作だった。
罪の子。自分は本統に罪の子なるが故に生まれながらにして、そう出来ていたのではなかったか。こんなに考えられた。(志賀直哉「暗夜行路」)
謙作は生まれながらにして「寝取られの末に生まれた子ども」という十字架を背負っていた。
境遇が理由で、愛する幼馴染との結婚も破談にされた謙作は、巨乳の売春婦との放蕩生活へと迷いこむ。
彼は然し、女のふっくらとした重味のある乳房を柔かく握って見て、云いようのない快感を感じた。それは何か値うちのあるものに触れている感じだった。軽く揺すると、気持のいい重さが掌に感ぜられる。それを何と云い現わしていいか分からなかった。「豊年だ! 豊年だ!」と云った。(志賀直哉「暗夜行路」)
売春婦の巨乳をつかみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶ謙作の姿は、青春の痛ましい一場面だろう。
いかにして「寝取られの子」という境涯を乗り越えていくか。
それが、青年作家・時任謙作に与えられた人生の試練だった。
そして、この「寝取られ」という重いテーマは、その後も、謙作の人生に付いて回ることになる。
嫁を寝取られた夫の試練
京都で見つけた女性<直子>と結婚して、平穏な暮らしをしていた謙作だったが、彼が旅行へ出かけている間に、嫁の直子が別の男(直子の従兄)に寝取られてしまう。
時任謙作に与えられた、二つ目の人生の試練もまた「寝取られ」であった。
直子は静かに二階を降りて来た。仙に覚られることが恐ろしかった。そして、床に就いたが、何時までも眠られなかった。(志賀直哉「暗夜行路」)
従兄に強姦された嫁を、謙作は赦したいと考えるが、感情と理性とがうまく一致しない。
直子に虐待を繰り返すうちに、精神を病んだ謙作は一人、悟りの旅へと出かける。
しかし、山の中の寺で、謙作が知り合った男<竹さん>は、偶然にも「寝取られ男」だった。
竹さんは、嫁が多くの男たちと肉体関係を持ち、寝取られているのを、黙って見過ごしているという。
最初、竹さんを「変態ではないか」と疑った謙作だが、竹さんの妻に対する愛し方もまた、一つの愛し方だったことを理解する。
今はそれより、竹さんのはその女房を完全に知る為の寛容さであったかもしれぬと思った。性質と、これまでの悪い習慣を知る事で、竹さんは自分の感情を没却し、赦していたのだ。(志賀直哉「暗夜行路」)
竹さんの嫁が、情夫の一人に殺された直後、明け方の山の中で、謙作は「寝取られ」を乗り越える。
本作「暗夜行路」は、主人公の謙作が、「寝取られ人生」を克服するまでの過程を描いた、一つの青春小説である。
筋書きとしては、昭和の昼メロみたいで面白そうだけれど、物語のリズム感に付いていくのが難しくて、読み終えるまでに時間がかかってしまった。
最近読んだ近代文学の長編小説の中では、最も過酷な文学作品。
志賀直哉の長編小説が、この一作しかないというのも分かるような気がする。
書名:暗夜行路
著者:志賀直哉
発行:2007/8/25
出版社:新潮文庫