文学鑑賞

大江健三郎「飼育」異界の村に迷い込んだ黒人兵と傷ついた少年の成長

大江健三郎「飼育」あらすじと感想と考察

大江健三郎「飼育」読了。

本作「飼育」は、『文學界』1958年(昭和33年)1月号に発表された短編小説である。

この年、著者は23歳だった(東京大学文学部の学生)。

1958年(昭和33年)、第39回芥川賞受賞。

スマートでカッコいい文章

何と言うか、凄い小説である。

凄い小説だとは思うけれど、あんまり積極的に読みたいとは思われない小説でもある。

筋書きは至ってシンプルで、戦争中のこと、山中の貧しい村に、アメリカ軍の飛行機が墜落してくる。

村人は、生き残った黒人兵を生け捕りにするが、県の方針が出るまで、その黒人兵を監禁しておかなければならない。

主人公の少年<僕>は、黒人兵まで食事を運ぶ役を追わされたことで、やがて、捕虜である黒人兵と心の交流が生まれるという、そんな物語だ。

凄いのは、ストーリー以外の設定と文章にある。

盛りだくさんなのだ。

《町》から隔絶された未成育な開拓村、谷底の火葬場で焼かれた女の遺骨を探す兄弟、山犬狩りを楽しむ兎口の少年、共同倉庫の養蚕部屋で暮らす親子、鼬猟で生計を立てている父親、少年の<貧しいセクス>を剥いて笑う裸の少女たち。

黒人兵は、そんなカオスのような異界の村で捕虜になる。

「どうするの、あいつ」と僕は思い切って訊ねた。「町の考えがわかるまで飼う」「飼う」と驚いて僕はいった。「動物みたいに?」「あいつは獣同然だ」と重おもしく父がいった。「躰中、牛の臭いがする」(大江健三郎「飼育」)

町役場の担当者は、義足の《書記》で、<僕>は《書記》から<蛙>と呼ばれている。

短編小説の世界観の設定としては、いかにも盛りだくさんな内容だ。

そして、こうした込み入った世界観が、まとわりつくように粘着質で、それでいて無感情なまでに硬質の文章によって描き出されてゆく(いかにもフランス文学っぽい)。

《(遺骨の)採集》《町》《村》《敵》《獲物》《皮剝がれ》など、随所に「《》」を使うことで、一般名詞に固有名詞のような役割を与えていることも、この作品の文章上の仕掛けとなっている。

もっとも、僕はこの小説を、昔読んだときのようには「難解な文章」だと感じなかった。

むしろ、スマートでカッコいい文章だとさえ思われるのは、現代的な村上春樹の作品に親しんでいるせいかもしれない。

「僕はもう子供ではない」と考えた少年の心理

この小説のポイントは、仲良くなった黒人兵を、最後には殺さざるを得なかったという、ストーリー上の大きな展開にある。

黒人兵の人質に捕られた<僕>は、黒人兵の頭と一緒に、自分の掌を鉈で切られたことで、左腕に大きな障害を負ってしまう。

「臭うなあ」と兎口はいった。「お前のぐしゃぐしゃになった掌、ひどく臭うなあ」僕は兎口の闘争心にきらめいている眼を見かえしたが、兎口が僕の攻撃にそなえて、足を開き、戦いの体勢を整えたのも無視して、彼の喉へ跳びかかってはゆかなかった。「あれは僕の臭いじゃない」と僕は力のない嗄声でいった。「黒んぼの臭いだ」(大江健三郎「飼育」)

仲良くなったと思った黒人兵に裏切られ、左腕に大きな障害を負ったことで、<僕>は「僕はもう子供ではない」という啓示を受けたような気持ちになる。

この短篇小説のクライマックスは、おそらくここだ。

「僕はもう子供ではない」と考えた少年の心理に共感できるか否かで、この小説の評価は変ってくるのではないだろうか。

「あれは僕の臭いじゃない」「黒んぼの臭いだ」とつぶやく言葉は、負傷したことによって、少年の一部が死んだ黒人兵と同化していることさえ感じさせる(心の共感の残像)。

個人的には、この辺りの微妙な心理描写がいい。

もっとも、ここに至るまで、大江健三郎は非常に多くの文字数を費やしながら、少年と黒人兵との心の交流の構築と崩壊を描いている。

その文章そのものが、この小説そのものである、と考えることもできるかもしれない。

少なくとも、僕は、凄い文章だと思った。

当時、この作品は「外国語の直訳のような固くて解りにくい文章」(石川達三)、「もしも日本語に西欧風の関係代名詞があったなら、更らに明快だろうと思われるほど西欧風だ」(井伏鱒二)などの評価を得ている。

1950年代のことだから、大江健三郎の登場は、いかにも斬新で驚異だっただろうなあ。

「異常な才能と異常な題材」(川端康成)という言葉は、大江健三郎の将来まで感じさせる見事な指摘だと思うけど、この小説を好きになるかどうかと、凄いと思うかどうかということは、やはり別の話だろう。

この小説は、あまりに重すぎるのだ(いろいろな意味で)。

読者にとって自己満足感を得られる小説であることは確かなので、難しい小説を読んでみたいという人にはおすすめ。

作品名:飼育
著者:大江健三郎
書名:芥川賞全集(第五巻)
発行:1982/06/25
出版社:文藝春秋

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。