初期の庄野文学においては、「夫婦の(特に新婚夫婦の)危機」を重要なテーマとして描いた作品群が、その中心を占めている。
そして、夫婦の危機と再生を織りなす出来事として登場しているのが、「夫の浮気」と「妻の自殺未遂」だ。
初期庄野文学の作品群を通読したとき、「<夫の浮気>と<妻の自殺未遂>は、作家の実体験に基づくものである」と考えないわけにはいかない。
そして、このことについて詳しく言及しているのが、川西政明『新・日本文壇史(第十巻)日本文学から世界文学へ』である。
庄野潤三の妻の自殺未遂が発覚したのは、昭和23年12月25日朝である
妻の自殺未遂が発覚したのは二十三年十二月二十五日朝である。(略)この妻の不意打ちの自殺未遂を経験した潤三は、妻が求める愛を確立してやることが、何より大切だと気づいた。潤三は「最も日常的な世界である家庭を私の文学のテーマとして、一人の夫と一人の妻とがそこでいかに生活するかを描いてみようという気持を起した(「わが文学の課題」)」のであった。(川西政明『新・日本文壇史(第十巻)日本文学から世界文学へ』)
筆者(川西政明)は「妻は夫に黙って死のうとした。自殺の理由は夫の浮気だろう」と指摘しているが、根拠は示されていない。
庄野さんの初期の作品群から文学的に類推すれば、そのように解釈するしかないということだろうか。
新婚家庭の夫が外に恋人を作り、夫の不倫を苦痛として妻が自殺を図るというストーリーは、「舞踏」や「メリイ・ゴオ・ラウンド」など初期庄野文学の登場人物において、もはや共通体験となっているからだ。
潤三の場合、妻は夫の自由そのものを拒否して自殺を図った。睡眠薬がわずかに致死量に達せず、妻は息を吹き返したが、そのまま死んでゆく意志は明確に夫と血族に伝わった。妻の身体から温もりが消えてゆくのを実感し、医者を呼びに駆け出した潤三は、自分の自由の崖っぷちに立っていた。(川西政明『新・日本文壇史(第十巻)日本文学から世界文学へ』)
結果的に、庄野さんは自由よりも家庭の安定を選び、命をかけて自分を愛してくれる者に対して、自分も命をかけて愛する道を選んだ。
ここで筆者が注目しているのは、「舞踏」から「静物」を書くまでに十年の歳月がかかっているということである。
「夫婦の再生」と「家族の再構築」、そして名作「静物」へ
潤三自身も受験勉強を強要する学校側と折り合いがつかず、転職を考えはじめた。彼は小説を書いて生きてゆきたかった。「愛撫」につづいて「舞踏」「スラヴの子守唄」「メリイ・ゴオ・ラウンド」を文芸誌に発表し、弾みがついてきていた。三十年一月には「プールサイド小景」で芥川龍之介賞を得ていた。
しかし三十四年に「ガンビア滞在記」を刊行した頃から書けなくなり、そのまま年を越しそうになった。いよいよ妻の自殺未遂と新しい家庭をかたちを描く「静物」を書く時期がきていた。(川西政明『新・日本文壇史(第十巻)日本文学から世界文学へ』)
夫の浮気と妻の自殺未遂によって崩壊直前まで進んだ夫婦(家庭)の危機は、夫の変貌をきっかけに再生へ向かって進み始める。
言い方を変えれば、それは「夫(庄野潤三)自身の再生」ということでもある。
「静物」が書かれた昭和35年は、妻の自殺未遂事件から既に十年以上が経過しており、子どもたちも三人になっていた。
「夫婦の再生」と「家族の再構築」が、おそらくある程度まで進んでいたからこそ、そして、父親としての自信を持ち始めていたからこそ、庄野さんも「静物」という作品を仕上げることができたに違いない。
大きな不安を抱えながらも「静物」は、穏やかな家族小説の萌芽をさえ、そこに認めることができるからだ。
過去に着目すれば「静物」は夫婦崩壊の物語であるし、未来に着目すれば家族の絆の物語ということにもなる。
「静物」が解釈の難しい作品であるという理由は、そんなところにもあるのかもしれない。
書名:新・日本文壇史(第十巻)日本文学から世界文学へ
著者:川西政明
発行:2013/3/28
出版社:岩波書店