コロナ禍の自粛生活の中で、庄野潤三さんの著作を集中的に読んできました。
今回は、庄野さんの作品で特に人気の高い「家族小説」の中から、これだけは絶対に読んでいただきたいと思う「鉄板の作品」を厳選してご紹介したいと思います。
庄野潤三の家族小説の流れ
もともと庄野さんは、夫婦の不安や疑心暗鬼を描く「夫婦小説」で高い評価を得た作家ですが、やがて「夫婦の小説」は「家族の小説」へと発展していきます。
その最初の作品が、大阪から東京石神井公園へ移住してきたばかりの5人家族を主人公にした『ザボンの花』です(ここが第1期)。
両親と3人の子どもたちで構成される5人家族の物語は、その後の庄野さんの作品の定型となり、神奈川県生田の丘の上にある一軒家に引っ越した後の一連の作品群では「長女の和子」「長男の明夫」「次男の良二」というキャラクターが固定化されていきます(ここが充実の第2期)。
3人の子どもたちがそれぞれ結婚して独立した後、しばらくの間、庄野さんは家族小説から遠ざかっていますが、孫娘が生まれた頃から再び小説のテーマは家族へと戻り、「夫婦の晩年」をテーマとした連作的な小説を書き続けます(ここが晩年の第3期)。
要約すると、庄野さんの家族小説はざっくりと、次のように分類することができます。
・石神井公園時代(第1期、昭和30年代)
・生田の丘で子どもたちと同居していた時代(第2期、昭和40年代から50年代)
・生田の丘で夫婦二人で暮らしていた時代(第3期、昭和60年代から平成まで)
第1期には名作『ザボンの花』があり、第2期には非常に充実した作品群が残されていますし、晩年の第3期の作品群は近年も「静かなブーム」と言われるほど人気です。
今回、ご紹介する作品は、いずれ劣らぬ名作ばかり。
実際に手に取っていただけたら幸いです。
「ザボンの花」1956年(昭和31年)
『ザボンの花』は、大阪から東京の石神井公園そばへ引っ越してきた庄野さん一家の暮らしをモデルに描かれた、初期の名作長篇小説です。
第1章の「ひばりの子」が中学校の教科書に掲載されるなど、高い評価を得ました。
主人公である矢牧家の子どもたちの構成が「正三(小学4年生)」「なつめ(小学2年生)」「四郎(あと二年で幼稚園)」となっていて、後の「長女・長男・次男」とは異なっていますが、実際の庄野さんの子どもたちをモデルとして描かれているそうです。
東京都内に麦畑があった時代の牧歌的でほのぼのとした暮らしぶりの中に、生きることの切なさやおかしさなどが綴られています。
講談社文芸文庫で現在も入手可能。
「夕べの雲」1965年(昭和40年)
『夕べの雲』は石神井公園の麦畑から生田の丘の上へと引っ越してきた庄野家の暮らしをモデルに描かれた5人家族の物語です。
庄野さんは「『夕べの雲』が自分の代表作だと思う」と自ら語っていますが、その後の庄野文学の流れを決定づけたエポックメイキングな作品と言えるでしょう。
主人公となる大浦家の3人の子どもたちは、「晴子(高校2年生)」「安雄(中学1年生)」「正次郎(小学3年生)」として描かれています。
何気ない日常のスケッチを通して、季節の移り変わりの中で戻らない時間を生きる家族の暮らしを綴っています。
講談社文芸文庫で入手可能。
「絵合せ」1971年(昭和46年)
『絵合せ』は、庄野さんの家族小説が、非常に充実していた時期に書かれた中編小説です。
3人の子どもたちは、「和子(会社員)」「明夫(高校3年生)」「良二(中学3年生)」で固定化されていて、長女の和子が結婚して家を出て行く直前の日々の様子が描かれています。
『絵合せ』の前段の物語としては『丘の明り』などいくつもの短篇があり、和子が結婚して家を出て行く時の様子は『明夫と良二』という作品の中で綴られており、一連の「家族日誌」とも呼べる作品群となっています。
作家として充実期に入っていた庄野さんの仕事ぶりを楽しむなら、この時期の作品ではないでしょうか。
講談社文芸文庫の作品集『絵合せ』には、この時期の家族小説がまとめて収録されているのでお勧めです。
短編集なので、初心者の方の入門編としてもぴったりですよ。
「さくらんぼジャム」1994年(平成6年)
子どもたちが独立して家を出た後、庄野さんは家族小説から遠ざかっていますが、次男のところに初めての孫娘(庄野文子、愛称フーちゃん)が生まれると、新たな家族小説を書き始めます。
『エイヴォン記』『鉛筆印のトレーナー』「さくらんぼジャム』と続いた「フーちゃん3部作」がそれで、特に3部作完結編となる『さくらんぼジャム』はお勧めです。
第1作の『エイヴォン記』は、庄野さんの読書体験を軸にした長篇随筆で、読書と並ぶ柱としてフーちゃんが登場していますが、家族小説と呼べるような体裁にはなっていません。
家族小説のスタイルとなるのは『鉛筆印のトレーナー』からで、この『鉛筆印のトレーナー』が晩年の庄野さんの家族小説の始まりと言っていいかもしれませんね。
『さくらんぼジャム』では、近所で暮らしているフーちゃんが隣町へと引っ越して、小学校に入学するまでのことを描いていますが、祖父母の元から離れていくフーちゃんの成長は感動的な物語となっています。
小学館の「P+D BOOKS」シリーズで入手可能。
「ピアノの音」1997年(平成9年)
「フーちゃん3部作」の完結後、庄野さんは本格的に「夫婦の晩年」をテーマとした小説を書き始めます。
その第1作が『貝がらと海の音』(1996年)で、小学校に入学したフーちゃんをはじめ、多くの家族や近所の人々との交流の様子、庭の草花や野鳥、妻のピアノの練習や自身のハーモニカ演奏など、老後の暮らしを非常に立体的な構成で描いています。
一連の作品は第11作の『星に願いを』(2006年)まで、毎年単行本を刊行しますが、今回はシリーズ第2作目の『ピアノの音』をご紹介したいと思います。
一連の作品群とは言っても、同じテーマの小説を10年間も書き続けていけばスタイルや表現が変化していくことは当然で、庄野さんの「夫婦の晩年シリーズ」は初期の頃ほど書き込まれていて、後半に向かうほど表現が簡潔になっていきます。
『ピアノの音』は洗練された中にも純文学としての技巧的な表現が散りばめられていて、純文学好きの方にもお勧めできる充実の作品です。
講談社文芸文庫に入っていましたが、現在は版元品切れ。
それほど苦労しないで、古本での入手が可能だと思います。
まとめ
以上、庄野潤三の家族小説おすすめ5選をご紹介しました。
あくまでも個人的な好みで作品を選定してしまいましたが、この中の作品のどれかを入口にして、庄野文学の奥深い世界へと進んでいただけることを願っています。
庄野さんの作品は家族小説以外にもお薦めしたいものがたくさんあるので、いずれ、別の観点からご紹介したいと思います。
以上、参考になれば幸いです。