2022年、練馬区立石神井公園ふるさと文化館で庄野潤三の企画展が開催された。
特別展-生誕100年記念-「作家・庄野潤三展 日常という特別」である。
石神井は、若き日の庄野潤三が暮らした街だ。
『ザボンの花』の舞台となった麦畑
庄野潤三初めての随筆集『自分の羽根』に「道のそばの家」という作品がある。
私の家はバス道路のすぐそばにあり、そのバス道路は東京駅から石神井公園を通って更に大泉の方に行く重要な道路である(アメリカ駐留軍が附けた名前はL通りである)。(庄野潤三「道のそばの家」)
この頃、庄野一家が住んでいた家は、石神井公園にあった。
当時の思い出は『野菜讃歌』に収録された「私の履歴書」にもある。
この土地は、石神井公園にいる友人の真鍋呉夫が世話してくれて、二年前に手に入れた。(略)皆さんのおかげで私たちは練馬区南田中町四五三番地のこの家で暮すようになった。(庄野潤三「私の履歴書」)
「練馬区南田中町453番地」は、住所改正により、現在は「東京都練馬区南田中4丁目24番」になっている。
庄野さんが暮らし始めた頃、この一帯は麦畑だったらしい。
「私の履歴書」にも「東京へ引越した私たち一家が石神井公園の麦畑の中の家に住むことになった~」と綴られている。
この麦畑の中の家から生まれた名作が、日本経済新聞に連載された『ザボンの花』だった。
青い麦畑の中の道である。(略)正三の家から村田さんの家までは、畑の間の一本道だ。(庄野潤三「ザボンの花」)
東京郊外の麦畑の中で暮らす五人家族の生活が、伸び伸びとした筆致で描かれている『ザボンの花』は、当時の庄野家がそのままモデルとなっている。
私はこの母に東京に引越した私たち一家がどんなふうに暮しているかを知らせるつもりで書いた。それが、「ザボンの花」であったといっていいだろう。(庄野潤三『ザボンの花』あとがき)
もっとも、石神井公園の住宅は、いつまでも麦畑の中の一軒家ではいられなかったらしい。
高度経済成長の中、東京郊外にも住宅化の波が押し寄せていたからだ。
旧早稲田通りの庄野潤三家
随筆「道のそばの家」には、暮らしにくくなった石神井公園の様子が描かれている。
実によく車が通る。トラックからオート三輪車、オートバイ、スクーター、モーター附自転車、これらが一日中通る。(略)トラックが通る時は、私の家をゆるがせて通り過ぎる。(庄野潤三「道のそばの家」)
実際に「南田中4丁目24番」を訪ねてみると、旧早稲田通りという表示があった。
東京都道・埼玉県道25号線(通称「旧早稲田通り」)は、庄野さんの随筆にもあるとおり、石神井公園を抜けて大泉学園へと続いていく。
とは言え、道幅から察するに「バス通り」とは思われないような気もする(少なくとも北海道の感覚としては)。
などと考えているうちに、本当に「石神井公園駅行き」のバスがやってきた。
狭い道を自転車が走っているのも気にしないで飛ばしていく。
どうやら、ここは自動車優先の町らしい。
さほど交通量が多いわけでもないが、常に自動車が通りすぎていく(しかも、それなりのスピードを出して)。
昭和30年代にバスやトラックが走っていたら、さぞかし賑やかな町だったことだろう。
穏やかな生活を好む庄野さんが、この町から逃げ出した気持ちも分からないではない。
町には「麦畑」だった時代の面影もなく、ここを舞台に『ザボンの花』が書かれたとは、誰も思わないだろう。
背後から走りすぎていく自動車に注意しながら、僕たちは南田中町を後にした。
町は変わっても、あの頃の思い出は『ザボンの花』という小説の中にある。
それもまた文学の持つ力だったのかもしれない。
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