庄野潤三の長編小説「さくらんぼジャム」読了。
まずは「あとがき」から。
『さくらんぼジャム』は、「文学界」1992年11月号から1993年10月号まで一年間連載した。『鉛筆印のトレーナー』(1992年5月・福武書店)に続いて、また一冊、私の孫娘の「フーちゃん」を主人公にした本を書くことが出来たのはうれしい。
子供が大きくなって結婚して家を出たあと、夫婦ふたりきりで暮すようになって年月がたった。そこへ近所にいる次男のところの長女が母親に連れられてやって来る。その長女が「ふーちゃん」だ。この小さな孫娘が私たち夫婦の晩年に大きな喜びを与えてくれるようになった。
どんなふうにフーチャンと私たちがつき合って来たかを書きとめたのが、『鉛筆印のトレーナー』であった。この中でフーちゃんは幼稚園へ通うようになる。『さくらんぼジャム』では小学1年生になった。
ということで、本作『さくらんぼジャム』は、『鉛筆印のトレーナー』に続いて書かれた「フーちゃんシリーズ3部作」の第3作目の作品である(第1作目は『エイヴォン記』)。
1992年7月から1993年6月まで(後日譚を含めると7月まで)と、ほぼ一年間に渡って、物語の語り手である「私」(庄野潤三)と孫娘である「フーちゃん」(庄野文子)との交流の様子が描かれている。
もっとも、フーちゃんとの交流は「妻」によって語られることも多いから、この小説は「私」と妻との夫婦によるフーちゃんとの交流の物語と言っていい。
1年間の連載に合わせて、ほぼ1年間の様子が綴られているが、日記のように等間隔の物語ではなく、書きたい部分を厚く、書くべきものがない部分は薄くといった感じで、豊富なエピソードに緩急を付けながら小説として仕立てられている。
全12章で構成されているが、それぞれの章に柱となるエピソードが設定されている。
例えば、第一章であればフーちゃんの6歳の誕生日(7月16日)だし、第四章はフーちゃんを含む次男一家の送別会(10月16日)、第五章は次男一家の引っ越し(10月29日)、第十章はフーちゃんの小学校入学式(4月5日)という具合に。
そうした大きなイベントを包み込むように、日常的な細かいエピソードが、これでもかという具合に詰め込まれていて、老夫婦の日常はこんなにも忙しいものかと飽きる暇がない。
その中でも本作最大の山場は、やはり第五章に出てくる、次男一家の引越しだろう。
「私」の家(「山の上」と呼んでいる)から歩いて行ける近所(「山の下」と呼んでいる)に住んでいた次男一家は、「読売ランド前」の丘の上にある住宅を購入し、「山の下」から引っ越していく。
祖父母から離れていくフーちゃんの成長
ミサヲちゃんが車に乗る前に、フーちゃんを呼んで、私にお別れの挨拶をして来るようにいいつけたらしい。私が荷物の運び出しを眺めているところへフーちゃんが来て、「さようなら」といって引返した。こちらは咄嗟のことで、何もいわずにフーちゃんのあとをついて行き、ミサヲちゃんとフーちゃんのいる前で、「遊びにお出で、泊りがけで」といった。そのあと、前田さんの車の方へ行くミサヲちゃんとフーちゃんのうしろを歩いているうちに、不意に顔がくしゃくしゃになり、泪が出そうになった。(「第五章」)
「私」の最寄り駅「生田」からフーちゃんが引っ越していく「読売ランド前」までは、小田急線で1駅1分なのだが、歩いて行ける近所に比べると、やはり遠くへ行ってしまう。
まして、フーちゃんは、翌春から小学校へ入学することが決まっていて、もう今までのように幼い女の子ではなくなってしまう。
「私」の泪は、物理的のみならず精神的にも祖父母から離れて行こうとしている孫娘の成長を無意識のうちに感じ取ったものではなかっただろうか。
実際、このフーちゃんシリーズは本作で完結し、この後、庄野さんは、フーちゃんだけではない、多くの肉親や近所の人々や古い仲間たちとの交流を描く「夫婦の晩年」シリーズの執筆を始める。
フーちゃんに焦点を当てて物語を書くことのできる時代は終わったということなのだろう。
ただ、このフーちゃんシリーズを、夫婦の晩年シリーズと切り離して考えることが、果たして適当かどうかということについては、疑問もある。
読書体験をベースにした『エイヴォン記』はともかくとして、フーちゃんにピントを合わせているにしろ、作家の晩年の暮らしが、子細に描かれているという意味では、『鉛筆印のトレーナー』以降の作品は、ひとつの流れの中でとらえたとしても、何の問題もないのではないか。
前作『鉛筆印のトレーナー』が手探りの中で進められた物語であるとしたら、本作『さくらんぼジャム』の完成度は、極めて洗練されていて、文学的なエネルギーに満ち溢れた作品となっている。
フーちゃんシリーズは、これで終わりだけれど、作家の晩年を描く壮大な物語は、今、始まったばかりだ。
書名:さくらんぼジャム
著者:庄野潤三
発行:1994/2/25
出版社:文藝春秋