文学鑑賞

庄野潤三「橇」小品ながらイギリスのエッセイ文学の味わいに近い小説

庄野潤三「橇」あらすじと考察と感想

庄野潤三「橇」読了。

物語の語り手は、普通の家庭の主婦である。

その土曜日、「私」は主人が帰って来るまでに夕方のお菜を買っておこうと思って近くのデパートへ出かけるが、買物から戻ってみると、家のドアがこじ開けられている。

主人が帰ってきているものと思って家の中に入ると、見知らぬ男が部屋の中に立っていた。

「私」は外へ飛び出して、大きな声で「どろぼう」とわめき、集まってきた近所の人たちによって、どろぼうは捕まってしまう。

大変だったのはそれからで、取り調べにやってきた巡査の後から、ぞろぞろと野次馬がついてきて、裏口から庭の中へ入って来る。

あつかましい人たちだとは思ったものの、どろぼうを捕まえるのに協力してくれた人たちだから無下にもできない。

ところが、ようやく騒ぎが収まった頃に気がつくと、庭で飼っている柴犬の仔犬が三匹いたはずなのに二匹しかいない。

いちばんかわいい仔犬がいなくなっているのを見て、「私」は庭に入りこんだ野次馬の中の誰かが持って行ってしまったことに気づく。

あれから一週間、テープレコーダーの英語講座の例文の中に「ある年のクリスマスには、私は両親から橇を一台貰いました」とあるのを見て、「私」はすごいなと思う。

それは、本当に大きな贈り物だったから。

イギリスのエッセイ文学の味わいに近い小説

この短篇小説のポイントは、泥棒による被害を防ぐことができた代わりに、かわいい仔犬を失ってしまったというストーリーにある。

三匹いるうちでいちばんいいのを取るなんて、ひどいことをする人です。鍵をこじあけて入った泥棒には何も取られず、あとから来た野次馬にいちばんいい仔犬を持って行かれたかと思うと、残念でなりません。取らない泥棒がつかまって警察に連れて行かれているのですから、なおのこと癪にさわります。(庄野潤三「橇」)

泥棒がテープレコーダーを盗んでいくところを防いだ代償として、いちばんかわいい仔犬を失ってしまう様子には、人生の滑稽と哀れが両立している。

人生の明暗という大きなテーマを日常生活の物語として描き出すのが、庄野潤三という小説家だったのだろう。

もっとも、物語は、それだけでは終わらない。

取り戻したテープレコーダーで英語講座を聞いている「私」が、こんなことを考えている場面が最後に置かれている。

「私たちは両親から大きなクリスマス・プレゼントを貰い、その他の人たちからは小さなクリスマス・プレゼントを貰ったものです」女の人が自分の子供の時のことをちょっと間に挟んでいます。「ある年のクリスマスには、私は両親から橇を一台貰いました」すごいなと私は思いました。本当にそれは大きな贈り物なので、びっくりしました。(庄野潤三「橇」)

テープレコーダーを取り戻した代償として、いばんかわいい仔犬を失った「私」が、両親から橇という大きなクリスマス・プレゼントを貰ったという女性の思い出話を聞いている。

このクリスマス・プレゼントの思い出は、仔犬を失って傷付いた「私」の心を、いささかでも癒すものであったに違いない。

そして、その大きなクリスマス・プレゼントは、「私」の将来に対する希望の光でもある。

人生にはきっと大きな良いことがあるものだという、希望の光になっている。

短い物語の中に起伏があり、最後にクリスマス・プレゼントのエピソードが盛り込まれていることで、この作品は清々しい印象を残して終わった。

人生を肯定的にとらえることで、このようなエンディングが生まれるのだろうが、庄野さんは、こうした小さな作品の中に、人生の機微を読ませることが本当に上手な作家だと思う。

それは、小説というよりも、庄野さんの影響を受けたイギリスのエッセイ文学の醍醐味に近い。

こうした作品を読むことで、僕は庄野潤三という作家を、もっと好きになることができたような気がする。

作品名:橇
著者:庄野潤三
初出:文学界(1963/1)

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みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。