大佛次郎「旅の誘い」読了。
本書「旅の誘い」は、2002年に講談社文芸文庫から刊行された随筆集である。
歴史小説の大衆作家が書く本格派の随筆
大衆小説作家として人気のある大佛次郎だが、随筆は本格派である。
背筋を伸ばして正座しながら読まなければいけないような気持ちにさせられる。
昔の日本のお爺さんと向かい合っているような、凛とした緊張感がある。
一番良かったのは、冒頭に収録された「屋根の花」。
1959年(昭和34年)に発表されたもので、本書の底本となっている随筆集『屋根の花』のタイトルを冠した作品だ。
横須賀線から、農家の茅葺き屋根の一部に白い百合の花が咲いているのが見えるが、いよいよ屋根が腐ってきたので、主人も屋根をトタンに直す決心をしたらしい。
かつて、保土ヶ谷の農家の茅葺き屋根に咲く花の美しさを教えてくれたのは、有島武郎だった。
学生時代に私は有島さんがホイットマンの詩を読んでくださる会に、友人とよく通った。そのせいで駅で会って汽車も向い合って乗って行くこととなった。保土ヶ谷に来ると、有島さんは、民家の屋根に咲くイチハツの花を指さして、「美しいことですね」といった。もとより花の美しさよりも、屋上に花を咲かせる人の営みの美しさをいったのである。(大佛次郎「屋根の花」)
当時、有島武郎は、後に代表作となる「或る女」を書いているところだった。
大佛次郎は、農家の屋根の百合について、「それにしても人間が自分がしていると知らずにしていることでも、美しいことだったら、だれかが見てくれているのだといえるなら、うれしいことではないか?」と、この作品を結んでいる。
導入・展開・締めくくりの構成がしっかりとしているし、主題も明確で、有島武郎のエピソードもいい。
この随筆一編を読むためだけでも、本書を読む価値はある。
「太郎冠者」(1962)では、外村繫の『阿佐ヶ谷日記』に触れて、ガンで死ぬ覚悟を持った作者の静かな文章に心を打たれている。
「古本さがし」(1965)は、地方にちゃんとした古本屋が少なくなっている状況を嘆く話。
地方の小さい町に行って専門の古本屋があったら、これは人の生活が落ち着いていると見てよい。新しく発展した町には、古本屋があっても、落ち着きのない新刊書だけしか見つからない。古い本は貴重になった。(大佛次郎「古本さがし」)
昭和40年の時点で「古い本は貴重になった」とボヤいている。
もっとも、これは江戸以前の、本当に歴史的価値のある資料本のことを指しているのだろう。
旅行記では、長崎へ行って異人館を見てくる話がいい。
この八月の始めに、私は十年振りで長崎に行き、町の様相は御同様に現代化されたが、原爆のような破壊的な被害をこうむりながら、古い異人館くさい異人館がまだ、朽ち木のようにかなり残っているのを見て楽しかった。(大佛次郎「異人館」)
これも、1965年(昭和40年)に書かれた随筆である。
このときの旅の感想は「真昼の幽霊」(1965)という作品にも書かれている。
長崎に多く残っている建物の一つなどは、外地から引き揚げてきた人々を入れたので、老朽した建物が粗末に手荒くされるので、いっそう破壊の度を早めているのを見た。屋根など破れて穴があいたのに、防水ゴムの布をかけて、石をおもしに置いてあるくらいに断末魔の様相である。(大佛次郎「真昼の幽霊」)
歴史小説の作家だけあって、歴史的建造物にも関心が高かったらしい。
丸善の本が私を濫作する大衆作家にしてしまった
「丸善の私」(1969)は、丸善で外国の画集を買っていた頃の話である。
売れる原稿を乱暴に書くようになったのは、買った本の支払いの為であった。丸善の本が私を濫作する大衆作家にして了い、苦しまぎれに「鞍馬天狗」を書かせ、入った金で、また本を買込むように使役した。フランスの書肆から直接買込んだものもあるが、私のところにどんな本があるのかは、丸善の古帳簿の方が知っている。(大佛次郎「丸善の私」)
「どうやら丸善の為に一代せっせと働き、大衆作家という看板が晩年になっても私から取れなくなった」というボヤキがカッコイイ。
1869年(明治2年)に創業した丸善は、この年、創業100年の節目を迎えていた。
丸善への愛情がなければ書けない一文だろう。
昔の作家が、いかに丸善を愛していたかが理解できる作品だと思った。
随筆は、こういう等身大のものの方がいいような気がする。
書名:旅の誘い
著者:大佛次郎
発行:2020/10/10
出版社:講談社文芸文庫