小林多喜二「党生活者」読了。
本作「党生活者」は、1933年(昭和8年)4月~5月『中央公論』に発表された中編小説である(発表時は「転換時代」の仮題だった)。
著者は、1933年(昭和8年)2月20日、築地警察署内における取り調べ中に死亡(29歳だった)。
地下生活者の苦悩
本作「党生活者」は、著者(小林多喜二)の死亡直後に発表された作品である。
この作品はその生前にはついに発表されず、一九三三年二月二十日に彼が党の街頭連絡中逮捕され、警察で虐殺された後、その年の四月と五月の『中央公論』に『転換時代』という仮題で、全体の五分の一におよぶ伏字をともなって発表された。(蔵原惟人『蟹工船・党生活者』解説)
新潮文庫版『蟹工船・党生活者』の解説を書いている蔵原惟人(くらはら・これひと)は、「党生活者」の末尾に、その名前が記されている人だ。
作者附記。この一篇を同志蔵原惟人におくる。(小林多喜二「党生活者」)
プロレタリア文学の代表選手(小林多喜二)が、警察に虐殺された歴史を知っている目で、この小説を読むとき、当時の党生活者たちの緊張感に溢れた生活がリアルに理解できる。
本作「党生活者」は、当時は非合法だった共産党員の、警察に追われて生きる暮らしをドキュメンタリー風に描いた物語である。
1922年(大正11年)に創設された日本共産党は「天皇制の廃止」などを主張していたため、結成当初から非合法の団体として活動していた(天皇制は法律によって守られていた)。
非合法の共産党に属する党員は、身バレしないように隠密で活動する必要があり、万が一、身バレしたときは、水面下に潜って地下活動を行なわなければならない。
本作「党生活者」の主人公(私)は、身バレしたために水面下で政治活動を行っている、共産党員の若者である。
私は自分の家を出るときには、それが突然だったので、一人の母親にもその事情を云い得ずに潜らざるを得なかったのである。(小林多喜二「党生活者」)
警察に逮捕された仲間が口を割れば、その交友関係は簡単に知られてしまう。
だから、仲間の逮捕は、彼らにとって大きな節目となった。
ところが六時に会ったその同志は、私と一緒に働いていたFが突然やられたこと、まだその原因はハッキリしていないが、直接それとつながっている君は即刻もぐらなければならないことを云った。(小林多喜二「党生活者」)
仲間が逮捕された時点で、自宅に戻ることもできず、主人公は潜伏活動に入る。
物語を支えているのは、地下活動しながら生きていく若者の凄まじい緊張感である。
下宿に男が一人いて、それが何処にも勤めていなくて、しかも毎夜(夜になると)外出する──これこそ、それと疑われる要素を完全に揃えていることになる。(略)そんな時、おばさんは現実に奇妙な顔をした。何をして食ってるんだろう?(小林多喜二「党生活者」)
戦争が始まって(満州事変)、警察は共産党員の摘発に躍起になっていた(「赤狩り」と呼ばれた)。
彼らは、自分が共産党員であることを絶対に身バレしてはならない。
下宿にも盛んに警察がやってきた。
私はやれやれと思って、また蒲団の上に腰を下した時、戸をあけながら巡査の声がした。「この頃、赤がよく間借りをしているから、気をつけてもらわんと……」私はギクッとした。(小林多喜二「党生活者」)
既に身バレしている主人公は指名手配犯と同じで、自分の素性を知られることが、そもそもアウトだった。
私の写真は各警察に廻っている。私はもちろん顔の形を変えてはいるが油断はならなかった。(小林多喜二「党生活者」)
息子(主人公)と離れて暮らす母親も、息子が警察に捕まることを恐れていた。
それから、急に心配な声で、「どうもお前の肩にくせがある……」と云った。「知っている人なら後からでも直ぐお前と分る。肩を振らないように歩く癖をつけないとねえ……」(小林多喜二「党生活者」)
友人の下宿で会合をするときには、できるだけ、下宿の人たちと顔を合わせないようにしなければならない(知っている顔があれば大変なことになる)。
下宿人が七八人もいるので、条件はあまり良くはなかった。私はもし小便が出たくなったら、伊藤が病気のときに買って置いた便器を使って、便所を降りて行かないことにした。(小林多喜二「党生活者」)
人混みの中を歩くことも危険だった。
急ぐとき、円タク(タクシー)に乗らなければいけないこともある。
自動車が赤信号で停車したときなどは、殊に注意する必要があった。
私は気が気でなかった。なかには車の中を覗き込んでゆくものさえいる。私は、イザと云えば逃げられるように、反対側のドアーのハンドルに手をかけたまま、顎を胸に落していた。(小林多喜二「党生活者」)
同居している女性(笠原)と一緒に出かけることなど、もちろん、できない(主人公は、その女性の部屋に潜伏していた)。
周囲から「赤い」と疑われた笠原は会社をクビになり、カフェの女給として働き始める。
生きていくだけで精一杯の暮らしだった。
なすが安くて、五銭でも買おうものなら、二三十もくるので、それを下のおばさんのヌカ味噌の中につっこんで貰って、朝、ひる、夜、三回とも、そのなすで済ました。三日もそれを続けると、テキ面に身体にこたえてきた。階段を上がる度に息切れがし、汗が出て困った。(小林多喜二「党生活者」)
資金の調達もままならない暮らしの中で、彼らは潜伏活動を続ける。
警察に捕まれば、厳しい拷問が待っていることははっきりしていた。
その後にTに入ったレポによると、ヒゲは更にK署からO署にタライ廻しにされ、そこで三日間朝から夜まで打ッ続けに七八人掛りで拷問をされた。両手を後に縛ったまま刑事部屋の天井に吊し上げられ、下からその拷問係が竹刀で殴りつけた。彼が気絶すると水を飲まし、それを何十度も繰りかえした。だが、彼は一言も云わなかった。(小林多喜二「党生活者」)
作者の(痛ましい)未来を予言しているかのような拷問シーン。
それでも、彼らは活動を辞めることはなかった。
彼らは既に「個人としての人間」ではなく、「組織としての人間」として生きていたからだ。
組織のために生きる個人
本作「党生活者」では、一人の個人だった若者が、(共産党という)組織の一員としての若者へと変化していく流れを描いている。
彼の父親は、資本家たちに搾取されながら生きる、秋田の百姓だった。
父は身体に無理をして働いていた。小作料があまり酷なために、村の人が誰も手をつけない石ころだらけの「野地(やじ)」を余分に耕していた。(略)そんなことのために父はひどく心臓を悪くしていた。(小林多喜二「党生活者」)
貧しかった父親の怨念は、やがて、息子の政治活動という形で芽を吹きだす。
然し、私はちがう。私はたった一人の母とも交渉を絶ち、妹や弟からも行衛不明となり、今では笠原との生活をも犠牲にしてしまった形である。それに加えてどうやら私は自分の身体さえそのために壊れかけているようだ。(小林多喜二「党生活者」)
そこには、もはや、個人の生活の幸福などというものは存在しない。
彼らが信じているのは、自分たちの活動の背後で生きている、貧しい大衆たちの幸福だった。
彼らは自分のためにではなく、大衆のために(つまり社会のために)生きようとしている。
一日を二十八時間に働くということが、私には始めよくは分らなかったが、しかし一日に十二三回も連絡を取らなければならないようになった時、私はその意味を諒解した。──個人的な生活が同時に階級的生活であるような生活、私はそれに少しでも近づけたら本望である。(小林多喜二「党生活者」)
彼らは自己犠牲の精神を持って、社会のために殉職しようとしていた。
逮捕されることを覚悟の上で、会社内でビラを撒いた須山にも同じことが言える。
須山は私の顔を見て云った。「誰かが大衆の前で公然とやらかさないと、闘いにならないと思うんだ。量から質への転換だからな。──俺、それは極左的でないと思うんだが、どうだろう?」(小林多喜二「党生活者」)
彼らが求めているのは、自分たちの幸せではなく、社会の幸せである。
社会全体が幸せになることによって、自分たちの幸せをも実現しようと考えていたのだ。
一時に丁度十五分前、彼はいきなり大声をあげて、ビラを力一杯、そして続け様に投げ上げた。──「大量馘首絶対反対だ!」「ストライキで反対せ!」…あとは然し皆の声で消されてしまった。(小林多喜二「党生活者」)
軍需産業の一端を担う倉田産業における「首切り阻止」という彼らの目標は、結果的に失敗に終わる。
しかし、彼らの前には明るい希望があった。
大衆は彼らの味方だったという、明るい希望である。
彼奴等は「先手」を打って、私たちの仕事を滅茶々々にし得たと信じているだろう。だが実は外ならぬ自分の手で、私たちの組織の胞子(たね)を吹き拡げたことをご存じないのだ!(小林多喜二「党生活者」)
おそらく彼らは(作者も含めて)、本当にそんな明るい未来を信じていたのかもしれない。
彼らの活動を支えているものは、(共産党という)組織は絶対に正しいという、強い信念である。
「組織」という強い信念の前に、「個人」はいつでも脆弱だった。
それは、彼らが憎んだ戦争においても例外ではない。
多くの若者たちが「お国のために」という強い信念に従って戦い、そして死んでいった。
個人よりも組織を優先するという考え方において、軍隊は共産党と同じである。
そこに、政治活動の難しさがある。
党生活者たちは、警察の拷問を恐れて自白する仲間たちを許さなかった。
ヒゲは普段口癖のように、敵の訊問に対して、何か一言しゃべることは、何事もしゃべってはならぬという我々の鉄の規律には従わないで、何事かをしゃべらせるという敵の規律に屈したことになるというのだ。共産主義者・党員にとっては敵の規律にではなく、我々の鉄の規律に従わなければならないことは当然だ、と云っていた。(小林多喜二「党生活者」)
共産党員の「鉄の規律」は、日本陸軍における「鉄の規律」と何も変わらない。
組織のために個人を消していくことの恐ろしさは、(自分を見失うあまりに)冷静な判断ができなくなるということなのだ。
もちろん、戦後の民主主義で生まれ育った我々は、客観的にそんなことを言えるが、作者(小林多喜二)が生きた時代は、決してそんな時代ではなかった。
「国家」という大義名分の前には、「個人」という存在など無きに等しいものだったのだ。
私がそう云うと、「我等にとって、工場は城塞ではなくて、これア戦場だ!」と、須山は笑った。(小林多喜二「党生活者」)
見方を変えると、「党生活者」は戦争小説として読むことができる。
倉田産業という戦場を舞台に、労働争議で闘う共産党員たちと国家との戦争の物語。
結局のところ、根本にあるものは、軍隊も政治団体も似たようなものだったという、一般大衆としての諦めである。
軍隊に入って戦場へ送られ、敵の銃撃を受けて死ぬか、共産党に入って警察に捕まり、ひどい拷問を受けて死ぬか。
そこにどのような違いを、当時の人たちは見出していたのだろうか。
小林多喜二の凄まじい熱量は、日本刀を振りかざしてアメリカ兵に立ち向かう日本兵の迫力に決して劣るものではない。
つかまれば死ぬ──そんな緊張感が彼らにはあった。
前を向けば戦争があり、後ろを向けば(非合法な)共産党がある。
そんな時代を生きた若者たちの苦悩が、この小説からは滲み出ているのではないだろうか。
書名:蟹工船・党生活者
著者:小林多喜二
発行:1953/06/28(2003/6/25改版)
出版社:新潮文庫

