筒井康隆「時をかける少女」読了。
本作「時をかける少女」は、昭和40年(1965年)から翌41年(1966年)にかけて、学研「中学三年コース」と「高1コース」に連載された中編小説である。
1983年(昭和58年)、原田知世主演で映画化された。原田知世が歌う主題歌「時をかける少女」は、松任谷由実の作詞作曲。
時間を超えて過去に戻った少女
主人公<芳山和子>は、中学三年生の女子生徒である。
土曜日の放課後、同級生の男子生徒<深町一夫><浅倉五朗>と、理科教室の掃除をしているときのことだった。
校舎の裏庭にゴミを捨て、理科教室に戻った和子は、清掃用具を片付けようと、隣りの実験室へと向かう。
そのとき、和子は、実験室の中から不審な物音を聞くが、実験室の中には誰もいない。
ただ、誰かが理科の実験をしていたらしい痕跡があって、割れた試験管の中に入っていた薬品の匂いをかぐうちに、和子は気を失ってしまう。
その匂いは、ラベンダーの花の、甘い香りのようであった。
和子の身辺に不思議なことが起こるようになったのは、それからだった。
同級生の五朗と一緒に登校しているとき、和子たちは暴走トラックに轢かれそうになるが、その瞬間、和子は前日の朝へと時間を超えて戻っていたのだ。
地震に火事と、その夜に起こる事件を、和子は五朗と一夫の前で言い当ててしまう。
なにしろ、それは、和子にとって、一度は体験済みの出来事だったのだから。
「君はひょっとすると、超能力をもっているのかもしれない」「なあに、超能力って?」「ううん。ぼくもよく知らないけど、本で読んだことがあるんだ。世の中にはときどき、超能力のある人がいて、その人は、自分の思った場所へ、瞬間に移動することができるんだってさ」(筒井康隆「時をかける少女」)
理科の福島先生に相談すると、福島先生はあっさりと和子の話を信じてくれる。
「すると先生なら、この芳山君の場合のようなふしぎなできごとを、どう説明されるんですか?」「テレポーテーション(身体移動)とタイム・リープ(時間跳躍)だな」「タイム・リープ?」「うん、芳山君のように、はっきりした現象じゃないけど、それに似たできごとはあちこちで起こっているんだ」(筒井康隆「時をかける少女」)
福島先生は、理科の教師らしく、今回の事件を科学的に説明しようと心がける。
やがて、和子は福島先生のアドバイスを得て、この不思議な現象の原因を解明しようと、再び、過去へと戻ることを決意するのだが、、、
いつか未来で出会うかもしれない素敵な男性を待ち続けて
本作「時をかける少女」は、日本のジュブナイルSF小説の定番となった作品である。
昭和40年に書かれた作品が、時代を超えて愛されるスタンダードとなったのは、もちろん、映画化されたこと(併せてヒット作となったこと)の影響が大きい。
主演女優が原田知世だったことや、主題歌を手がけたのが松任谷由実だったことも、このSF小説にとって、大きな幸運だったのではないだろうか。
もっとも、「時をかける少女」が、原田知世主演で映画化された背景としては、この作品が持つ、ちょっとロマンチックな雰囲気が関係していると考えることができる。
「ぼくは未来より、この時代のほうが好きだ。のんびりしていて、あたたかい心を持った人ばかりで、家庭的だ。ずっと住みやすい。未来の人たちよりは、この時代の人たちのほうが好きだ。きみも大好きだ」(筒井康隆「時をかける少女」)
同級生だと信じていた深町一夫は、実は未来から時間旅行でやってきた未来人だったのだが、最後に「ぼくは、きっと、きみを好きになってしまったのにちがいないと思う」と、愛の告白めいたことを和子に告げる。
和子は「まるで少女小説ではないか」と考え、どぎまぎするのだが、未来へ帰る前に、一夫は、未来のルールに従って、自分に関わる記憶を、すべての人々から消し去ってしまった。
結局、和子の記憶の中には、一夫と過ごした日々も、一夫から受けた愛の告白も残っていない。
ただ、ラベンダーの匂いをかいだとき、いつか、誰か素晴らしい人物が、自分の前に現われるような気がするだけだ。
どんな人なのか、いつあらわれるのか、それは知らない。でも、きっと会えるのだ。そのすばらしい人に……いつか……どこかで……。(筒井康隆「時をかける少女」)
、、、と、まるで少女小説のように、この物語は幕を閉じるが、このあたりのロマンチックな感覚が、原田知世の主演と、松任谷由実の名曲へとつながったポイントなのではないだろうか。
時間旅行としては、せいぜい「数日前」に戻るだけの「時をかける少女」なんだけれどね。
書名:時をかける少女
著者:筒井康隆
発行:1976/2/28
出版社:角川文庫