読書体験

荒川佳洋『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』富島青春文学という世界

荒川佳洋『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』あらすじと感想と考察

荒川佳洋『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』読了。

本書は、2017年に刊行された作家伝である。

純文学・ジュニア小説・官能小説

これは、評伝ではない。

評伝の名を借りたスクラップ・ブックである。

あるいは、スクラップ・ブック形式の評伝というものなのかもしれない。

本書には取材によって新しい情報がない。

富島健夫の小説やエッセイ、対談、インタビューなどから、「およそ事実と思われる部分」を切り貼りして評伝形式にまとめている。

それに著者の主観が入りこみ過ぎている。

富島健夫に対する強い思いが反映され過ぎている。

評伝というよりも、研究論文である。

そして、研究論文としては、かなり優れた研究論文になっているのではないだろうか。

書名にわざわざ「ジュニア小説」と「官能小説」を含めているのは、商業的な思惑があってのことだろうが、著者は純文学作家としての富島健夫を高く評価している。

青春の回顧と、下層社会に生きる生活者たちと。これが出発当初からの富島健夫の文学世界であった。火野葦平が、「富島君はいかにも九州男児らしい好青年だ。文壇の時流なんかにはこせこせしないで、じっくり腰を落ち着けた作品を書き続けてきた」と平凡出版『雪の記憶』に寄せたのは、このことであろう。(荒川佳洋『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』)

本書を読んで、僕は富島健夫という作家の全体像を、ようやく把握することができたような気がする。

早稲田大学時代に丹羽文雄門下に入り、丹羽文雄の一番弟子だった中村八朗から技術的指導を受けつつ、同人誌『街』『文学界』に小説を発表した。

『新潮』同人雑誌推薦特集号に掲載された「喪家の狗」が芥川賞候補になるのは1954年(昭和29年)のこと。富島健夫は23歳の大学生だった。

卒業後は、安定した収入を得るために、丹羽文雄の紹介で出版社(河出書房)に入社するが、河出書房が倒産した後は文筆業に専念する。

ただし、編集者に頭を下げることを嫌った富島は、文芸雑誌に原稿を持ちこむことはせず、依頼のあった雑誌に原稿を寄せる作家スタイルを選んだ。

その結果、純文学雑誌への作品掲載はほとんどなく、『小説ジュニア』や『ジュニア文芸』といった少女雑誌が、主な作品発表の場になったということらしい。

いわゆる「ジュニア小説」の分野で、富島健夫は多くの読者を有する圧倒的な人気作家だったが、文壇において、ジュニア小説は文学ですらなかった。

富島健夫の名前が、現代文学史に登場しない理由は、ここにある。

少女雑誌が衰退していく中、富島健夫はアダルト向けの「官能小説」に移行し、この分野でも大きな成功を収める。

もっとも、富島健夫自身は、自分の文学世界は、あくまでも一つだと考えていたらしい。

富島は当初から、少女小説を書くつもりはない、「ジュニアであるみなさんが読んでも、みなさんのおねえさんおかあさんが読んでも、ひとしく感動をおぼえるものを書」くとはっきり書いている(『女学生の友』一九五六年八月号)。少女が読むだけの作品ではないと明言しているのだ。(荒川佳洋『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』)

ジュニア小説なのに、戦争や貧困など重たい舞台設定が多いのは、富島健夫の作家としてのこだわりだったのかもしれない。

代表作『黒い河』『雪の記憶』『恋の少年』

ところで、多数の著作を遺した富島健夫の代表作とは何だろうか。

本書の著者は『黒い河』『雪の記憶』『恋の少年』の三作を挙げている。

しかし、富島健夫の訃報を伝える報道の多くは、人妻女子高生が主人公の『おさな妻』を代表作として紹介していたという。

ちなみに、富島健夫本人は『恋と少年』を長く代表作として挙げていたが、晩年は『青春の野望』と『女人追憶』が代表作ということになったらしい。

『青春の野望』も『女人追憶』も、作家・富島健夫の集大成的な作品だから、これが代表作になっても決して間違いではないと思われるが、本書の著者は、官能小説時代の富島健夫を、あまり高くは評価していない。

本書で官能小説時代について言及が少ないのは、著者の嗜好によるものだろう。

自伝的小説『青春の野望』などは、性的描写が多過ぎると強く非難しているが、初めて『青春の野望』を読んだとき、僕もまったく同じことを感じた。

あんまりセックス描写が長くて退屈なので、かなり読み飛ばしてしまったくらいである(セックス以外の部分は好きなんだけれど)。

逆に言うと、官能小説時代の富島健夫が好きだった人には、本書のような評伝は物足りないかもしれない(一連のスワッピング小説についての言及もあるが、基本的にエロ小説は扱っていない)。

富島健夫を文学として理解したい人には、おすすめ。

少なくとも自分は、この本によって、富島健夫文学に対する理解がかなり進んだような気がする。

書名:「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝
著者:荒川佳洋
発行:2017/01/30
出版社:河出書房新社

ABOUT ME
みづほ
バブル世代の文化系ビジネスマン。札幌を拠点に、チープ&レトロなカルチャーライフを満喫しています。