日本文学考察

吉本ばなな『TUGUMI(つぐみ)』│失われた夏と、二度と戻らない匂い

吉本ばなな『TUGUMI(つぐみ)』あらすじ・感想・考察

海の匂いがする。

吉本ばななの『TUGUMI(つぐみ)』は、海の匂いがする小説なのだ。

それは、失われた故郷の、あの懐かしい匂いだった。

失われてゆく故郷の物語

『つぐみ』が発表された1989年(平成元年)、日本は大きな転換期を迎えていた。

経済大国ニッポンを象徴するバブル景気は絶頂期だったし、太平洋戦争の記憶を引きずる元号「昭和」は「平成」へと変わった。

昭和から平成への転換は、元号だけの問題ではなかったような気がする。

懐かしい昭和の匂いは、バブル経済によって支えられる再開発によって、急速に姿を消していった。

前年の1988年(昭和63年)に発表された村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』では、変わりゆくニッポンの象徴として「いるかホテル(ドルフィン・ホテル)」が描かれている。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』詳細記事を読む

それは「激動の時代」と言ってよかったかもしれない。

白河まりあの故郷さえ、それは例外ではなかった。

漁業と観光だけで回る静かな海辺の街にさえ、再開発の波は押し寄せていた。

『つぐみ』は、失われてゆく故郷の物語である。

その象徴として描かれている少女が、主人公「つぐみ」だった。

少女が大人になるとき

生まれた時から体がむちゃくちゃ弱くて、あちこちの機能が壊れていたつぐみは、失われつつある故郷そのものといった感じがする。

多くの故郷が、生と死の境界線の中で生きていた時代だ。

粗野で口が悪いつぐみは、次にやってくるだろうスタイリッシュな時代には似合わない少女だった。

そんな少女に、いつか逢ったことがあるような気がしないだろうか。

もしかすると彼女は、消えつつある懐かしい時代の少女だったのかもしれない。

言葉を飾らずにまりあや恭一と向き合う彼女は、とても美しい少女だ。

彼女の美しさは、今まさに消えていこうとしている海辺の街の美しさと重なっていく。

海辺の街の美しい思い出は、まりあの中で「山本屋旅館」最後の夏として閉じられた。

その一夏の思い出が、『つぐみ』という物語には描かれている。

消えてゆくものの美しさ

『つぐみ』ははかない小説だ、と思う。

まりあは故郷の街を離れて東京で暮らし始めるし、つぐみの実家「山本屋旅館」も店をたたんでしまう。

しかし、この物語のはかなさの根底にあるのは、少女が大人へと変わっていくときのはかなさではなかっただろうか。

一夏の物語は、少女時代の物語と言ってもいい。

なぜなら、必ず一回こっきりに通りすぎて、もう二度と戻らない季節と同じように、時代の流れの中で消えてゆく故郷の街と同じように、美しい少女時代もまた成長とともに失われてゆくからだ。

失われていくものの美しさが、この物語のはかなさを支えている。

つぐみは「失われていくものの美しさ」を象徴した存在だ。

その気持ちをまりあは「郷愁」という言葉で表現したのだろう。

失われていくものたちの中で

『つぐみ』は、海の匂いがする小説である。

その匂いは、懐かしい「昭和」という時代の匂いだったような気がする。

80年代という時代の中で、あまりにも、たくさんのものが失われていったのだ。

「そういう時代だった」と言ってしまえば、それまでかもしれない。

村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』もまた、喪失の物語だった。

時々声を出さずに泣いた。僕は失われたもののために泣き、まだ失われていないもののために泣いた。(村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」)

もしかすると、彼はつぐみのために泣いていたのかもしれない。

二度と戻らない夏と同じように、いつか失われてしまう故郷と同じように、やがて消えてゆく少女時代と同じように、はかなさ故の美しさを身にまとった、あのつぐみという女の子のために。

それが80年代という時代だったのだ。

失われていくものたちの中で、まりあは少女から大人になった。

失われていくものたちの中で、少年から大人になった僕たちと同じように。

つぐみ。

その名を僕は呼んでみる。

失われた青春の、その向こう側に向かって。

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ジェン
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